「お蕎麦屋のおじさん」が、過日ご逝去されました。ご冥福をお祈りします。

「お蕎麦屋のおじさん」が、過日ご逝去されました。ご冥福をお祈りします。

長野の子ども白書創刊号(2012)掲載の「お蕎麦屋のおじさん」が、過日ご逝去されました。ご冥福をお祈りします。
長野の子ども白書創刊号は発行部数もわずかでしたから、お持ちの方は少ないと思いますが、今読んでも心温まる記事が満載です。その創刊号に、「子どもを守る安全の街~長野市七瀬で街を愛するお蕎麦屋さんのおじさんの話です~」という記事があります。当時編集に協力してくれていた3人の現役ママのひとり、田口ちはるさんが、日頃愛着を感じていたこのおじさんの活動を取材してくれました。おじさんのお人柄が伝わるあたたかな記事でしたが、今読むと「地域で子どもを育てるってこういうことか!」と原点に却って感動すらします。犯罪から子どもを守るために、外から来る人にも、「子どもを守る安心の街ななせ」という姿を見せて、登下校の交通当番はもとより、手作りの行灯を家々の前に設置したり「ななせ街の駅」にみんなで集まったりしてあたたかな見守りの空気を作りました。夕方は行灯の電源をそれぞれの家でともします。「こういう街で犯罪はできない」・・・とも。
ご遺族から「あの子ども白書の記事をずっと大事にしていました」とお伝えいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
「子どもたちが安心してのびのびと成長できるまち」を望んでいたおじさん(小坂さん)を惜しみ、長野市の子どもの権利条例にもこの文言が欲しいなと思いました。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年03月22日10:31

「みんな集まれ!長野市に子どもの権利条例ができるって!」第2回は30日

寒さからなかなか解放されませんが、卒業式の季節。新しい進路選択の季節。どうか子ども・若ものが、「自分のことは自分で決める権利」「自分の意見を表明する権利」が保障された「自由な出発」でありますように・・・と願います。

さて、「みんな集まれ!長野市に子どもの権利条例ができるって!」第1回がその参加者の数や内容のインパクトで大きな注目を集めたあと、ちょっとした「動き」がありました。
 その後の議会の委員会では、あまり大きな変化は見られなかったものの議会での質問に対し、市長が「第三者機関を設ける」と
発言したのでびっくりしました。
 実際には、現在ある「あのえっと」という総合窓口を、それに代わるものにしていく・・・ような構想を、のちの委員会では提案しています。
 やはり、子どもの権利の相談救済機関の意義をあまりわかっていないようだなあ・・・と思います。
 今、長野市の子どもがおかれている現状について、本当によく把握し、条例によってどのように解決していくのかが全く見えない「提案」のようです。「子どもの権利が守られていない」という認識が無いので、せっかく権利条例を作ってもそこそこの「子育て支援」で済まそうとしているようで残念です。私たちも「子ども施策」と「子育て施策」を混同しています。「子どもの権利」とは・・・・。子どもの意見表明権とは、そこから深堀しませんか?
 巻き起こす風は届いているようです。あなたも集まってください!第2回は30日午後2時から。長野県高校教育会館です。

お問い合わせは長野の子ども白書編集委員会事務局まで(090-3806-9332)

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年03月18日20:08

「いじめに対する大人の誤解」小森美登里(新日本出版社)お薦め

いじめ・不登校・虐待・子どもの自死・・・・子どもの権利が守られていない

過日、某民放ラジオの番組で、フリーペーパー「HANPO」の編集長・草深さんとお話しする機会がありました。テーマは「いじめ」。
私は長野の子ども白書に寄せられたり掲載された事例を通して、「いじめ」には一定の感想を持っています。
多くの方が聞いてくださっている番組の中でしたから、白書に取り上げたような特別な事例に触れることはできないし、それが一般論のように解釈されても困るので、注意深く言葉を選んでの発言をしました。                                                

私が知っている事例は、ことさら過酷でありながら学校では「いじめ」と認定されず、通り一遍の対応で終わっている…という事例です。この時点ですでに「いじめ」を訴えた本人は「考えすぎ」とか「おおげさ」とか、その負った人権侵害の心の痛みには共感も救済もしません。それが子どもにとってどれほど大きな人権侵害であるか、考えてはもらっていません。当然、いじめは終わらず、本人が不登校になると初めて「重大事態」として認知されるものの、時間の経過や証明できない事実が「証拠不十分」で「整理」され、たとえ県の子ども支援委員会から「再調査」を勧告されても、教育委員会や学校はすでに「過去のこと」として「関係者不在」のままです。すでに本人家族は他県に転住し、いじめから10年近くの年月を経て尚その人権回復に至っていません。
学校や教育委員会は、それが「いじめであるかどうか」を名付けるためでなく、子どもが受けた人権侵害をどう救済するかを考えて対応してほしいです。当然、いじめている側の子どもへのていねいな対応を求められています。保護者のクレームだと受け取る学校は、拙速に加害者に事実を認めさせ、謝罪させることで「解決」したことにします。
しかし、いじめは加害者が起こしていますが、どのようなストレスや苦しみの中にいたのかを聴いているでしょうか?きっと何らかの人権障害に苦しんでいます。学校がやらければならないのはここだと思います。大変かもしれないけれど、いじめている子どもが出しているサインを受け止めることからしか、いじめは止められません。いじめの対象になっている子には虐めてよい理由など無いという毅然とした態度で、なぜ自分がそんなことをしなければならなかったのかを聴き、もしそのことに共感してくれる大人がいれば、子どもは「やり直す」こともできます。「お互いに悪いところは謝って仲直りしよう」みたいな「仲裁」では、本当の再犯防止や関係修復にはなりません。
それをひとりでできる教師は少ないと思いますが、複数で関われば可能です。チーム支援。「いじめ問題対策委員会」はそのためにあります。



昨年末に「いじめに対する大人の誤解」という本が出ました。小森美登里さんという、娘さんを自死で亡くしているお母さんです。当時高校一年生だった娘の香澄さんは、いじめを原因として自殺されました。小森さんは自身の反省や疑問を胸にいじめ問題の解決をめざして、2003年、NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」を立ち上げて多くの現場や人の声を聴き学んでこられました。

この本の中で私が今更ながら強く共感したのは、「対応」ではなく「原因の究明」の大切さです。
不登校と同じです。なぜ、重大な人権侵害をしてしまうのか。なぜ学校は安全ない場所ではないのか」



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年03月12日11:37

長野市の子どもの権利条例に独立した相談・支援・救済のしくみを!

長野市の子どもの権利条例に独立した相談・支援・救済のしくみを!

「みんな集まれ!!長野市に子どもの権利条例ができるって!」長野の子ども白書ワークショップの第2回を開催します。この寒さ、もう少しだとのこと、あちこちに顔を出してる春の兆しに期待しながら、また第2回にお集まりください!!
 第2回を3月30日(日)午後2時から開催します。
「子どもの意見表明権」をテーマにいろんな声を集めます!!
会場は長野県高校教育会館(県町)です。
よく長野県教育会館(旭町)と間違えてこられる方がいます。
高校教育会館は、ホテル21とホテル犀北館の間にあります。
詳しくはHPへ。前回の失敗(資料が足りなかった!)から、参加申し込みをお願いします。
当日参加もちろんOKです。参加費無料。年齢制限ありません。(託児はありません)

このワークショップでは長野市にできる「子どもの権利条例」に、オンブズパーソンを設けて欲しいという要望を出していきます。独立した(教育委員会からも)相談・支援・救済機関の設置です。

ご存知の方も多いかと思いますが、長野市で昨年末(12月26日)に、2014年に起きた「いじめ問題」についての「再調査報告書」が出されました。いじめが起きてからすでに10年がたっています。保護者の訴えによって2017年に長野市は「重大事態」としてこの事案に関わる第三者委員会を設置しました。この委員会は2018年に調査報告書を出しましたが、2021年、保護者はこの内容に対し「納得できない」と、再調査を求める内容の所見および要望書を提出しました。これを受けて同年、市長は「再調査委員会」を設置しました。本委員会は、2022年から2024年までの間に30回の委員会を経て、「再調査報告書」をまとめました。
 この報告書には保護者も納得し、この事案が「いじめが重大な人権侵害であることを認め、初期の学校の対応に問題があった」と指摘している点も含め、「もっと子どもの立場で相談、支援してくれる窓口があればよかった」ともコメントしています。この「再調査報告書」は長野市のHPに紹介されていますが、「子どもの権利」保障の観点を貫いたすばらしい内容です。「独立した(特に教育委員会)機関であり、調査権があり、子どもの権利擁護の立場で専門家を擁し、組織や団体に勧告できる」委員会であったからできたことです。
 多くの「いじめ」重大事態は、被害者が未解決(いじめがなくならないこと)による不登校・転校などを余儀なくされている事案です。しかし同時に、多いと言われる学校での「いじめ」に対し、学校がすぐに対応して解決している事案がほとんどであるということも理解しておきたいと思います。
 もし、独立した相談・救済のしくみがあれば、万一「初期に対応しない」学校に「対応して下さい」と伝えることもでき、長引く膠着状態で子どもを二重に苦しめることは避けられそうです。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年02月19日09:31

「長野市に子ども支援条例ができるって」長野市議会傍聴しませんか?

「長野市に子ども支援条例ができるって」長野市議会傍聴しませんか?

さて、2日の「長野市に子ども支援条例ができるって」のワークショップで、長野市の方の説明に対し、質問や意見を出さなかったことはお知らせしました。(お約束でした)しかし、説明の中で、これまでの論議やヒヤリングの中に、いわゆる独立した相談・支援の設置については「条例は必要だがこれは要らない」という意見が特別に挙げられていました。その発言者や情報の根拠は明かされていませんが、内容が「ありえない」?ことなのでこれが委員会で反映されるのは「やめてほしいな」と思っています。近々委員会で「子どもの権利条例」が議題に上がっているそうなので、傍聴をしてみたいと思います。あんがいすんなりこの提案は通るのではないかと想像しています。そのすんなり具合も気になります。私は残念ながら都合悪く行かれませんが、都合つく方はぜひ!(公開です)
2月17日(月)午前9時から(40分くらい)
長野市役所第一庁舎7階


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年02月10日06:30

長野市に子どもの権利条例ができるって!」のワークショップには、60人も参加

子どもの権利条例ができるって!」のワークショップには、なんと60人もの方々が参加

2月2日の「みんな集まれ!長野市に子どもの権利条例ができるって!」のワークショップには、なんと60人もの方々が参加して下さいました。もともと「つくりましょう!!」と言い出したわけではなく、いつのまにか?「もう作ってます!!」という状況でしたので、そのショックというか、ワクワク感などを共有したくて開催したワークショップです。それにしても、24人しか座れない会場を予約していた私は、日に日にお問い合わせが増えるので「もしや?」と思い、たまたま空いていた「ホール」に予約を変更したら正解でした。(これだけでヒヤヒヤドキドキ)
「長野市はどうして急に条例を作ろうと言い出したの?」とか「誰がどんなふうにどんな条例にしようとしているの?」「議会ではどんな議論が始まっているの?」など、素朴な疑問にお答えいただくために、長野市子ども政策課の方を「出前講座」でお招きし、お話しいただきました。お願いした時に「途上のことなので、細かいことや質問や意見にはお答えできかねます」と言われておりました。無論、私たちが勝手に開いているワークショップであり、市が「市民の意見を聞くために」開催しているワークショップでは無いので、そこは質問・発言はなし。というお約束で、報告が済み次第、お帰りいただきました。
そのあと、「なんで質問に答えない!」と、お怒りの声もありましたが、参加者もどちらかと言えば言いにくいこと(証拠の無い憶測とか)もどんどん発言できて、良かったかな?と思います。
 長野子どもにやさしいまちフォーラムからは、すでに「この条例にオンブズパーソンの制定を」という署名が準備されていましたから、ここは「総合条例としての肝」ともいわれるものなので、たぶん?想定されていない条例案に横やりを入れられるのはつらかったろうと思います。
 この件をより明確にするために、条例のある松本市から、人権擁護委員の北川弁護士をお招きし、条例のある松本市の相談・支援・救済のしくみや実情をご報告いただきました。「保育園が日陰になるので、建設予定者に変更を依頼した」という事例では、「青木島公園も条例があれば子どもの権利をどう保障するのかを考えられるね」と納得。条例は市や施設・民間のあらゆる子どもの居場所で「守られなければいけない約束」なので、「やれることはやっています」では終わらないで「子どもの最善の利益」を守ります。もちろん、市民全体の意識やそれを実行しようとする人を議会に送る投票行動にも影響があります。
 「子どもの権利条例を作りました」という看板を掲げるだけでなく、条例を実効性あるものにする決意を持った人に、市政を任せたいと思います。
 子どもの権利条約31条推しの小林としては、ぜひこの条約の理念のすばらしさを共有したいと思ってワークショップを開催しています。「子どものしあわせな時間」が、何にもとらわれない自由な時間であることを私たちはもっと思い出したいです。(国連子どもの権利委員会からも忠告されている)
 「子どもの経験」を3万円のカードでプレゼントする前に、子どもが自由にのびやかに過ごせる空間と時間と見守りの大人をプレゼントして欲しい。
 さて、ということで、この条例の行方を見守りつつ、「市政」には厳しい目を「子どもの権利」に照らして向けていきたいですね。
 次回には、案外むずかしい「子どもの権利条約」の理解と学習を、主権者である「子ども」目線でワークショップしてみたいと思います。3月30日。高校会館。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年02月04日08:47

子どもの権利を語り合うところから始めよう!2月2日ワークショップ開催

子どもの権利を語り合うところから始めよう!2月2日ワークショップ開催

本日の信濃毎日新聞に「子どもの権利長野で語ろう」の記事が掲載されました。
長野の子ども白書編集委員会事務局が主催する「長野市に子どもの権利条例ができるって!」というワークショップの準備会を取材してくれました。
長野の子ども白書はずっと「子どもの権利条約の実効ある実現を」と、その発行の目的にしてきましたが、創刊から14年、やっと何かしら言葉としては良く使われるようになり、国の「こども基本法」の理念としても位置付けられました。
いったい、これまでの施策や法律とどこがちがうのか・・・ということですが、一言で言えば「子どもにとっての最善の策」を考えるか、従来のように大人が良かれと思うことを、大人の都合で考えるか・・・の違いです。
政治や政策でよく使われるのは「子育て支援」という言葉です。子育てするのは大人です。子どもに及ぼす影響は大きいですが、かならずしも「子どもにとっての最善」ではないことも多いです。そこが一番違うところです。

「子どもの今」のしあわせを保障するのが「子どもの権利条約です。
自治体の「子どもの権利条例」は、この精神を具体的に政策や考え方に生かすためのものです。

いくら国が「子どもの権利条約」を批准して「こども基本法」に明記しても、それを実効あるものにするためには、自治体に「条例」が必要です。
その「子どもの権利条例」が長野市にできるというのですから楽しみです。
市民がその理念を理解し、子どもたちにも理解を広めてこの条例に期待したいです。

「ちょっと関心ある」という方や「いっしょに考えたい」という方はぜひ参加して下さい。

2月2日2時から。長野市ふれあい福祉センター4階第2会議室です。どなたも参加できます。当日子ども向けの資料(500円)も用意します。ご希望の方はお求めください。お問い合わせは長野の子ども白書小林まで。(090-3806-9332)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年01月22日09:04

長野の子ども白書は、その願いを実現するために今年もがんばります。

おそまきながら新年あけましておめでとうございます。

 長野の子ども白書は、その願いを実現するために今年もがんばります。

 昨年は「本を作って売る」という段階で経済的な問題に阻まれ、「物価高騰」を本当に恨みましたが、編集委員会事務局・編集室の英知でなんとか切り抜けました。
 しかし次なる壁は「ネット」の普及でした。紙媒体の刊行物が次々と廃刊に至っているのを見れば、売れ行きが芳しくないことは仕方のないことかもしれません。長野の子ども白書がもともと「ネット」の恩恵に甘えて執筆者に無償で原稿を依頼し、一切の編集をネットで行い、コロナ禍を機に会議さえオンラインで行ってきたことを考えれば、今さらの恨み節かもしれませんが、2024長野の子ども白書は完売できませんでした。
 きっかけをメディアのせいにするつもりはありませんが、発行後に信濃毎日新聞が「2024長野の子ども白書」を取り上げてくれた記事はとてもありがたい記事で、掲載後信毎読者の方から2日間に50部の注文がありました。
 ところが紹介記事に取り上げた「給食指導」の内容に注目が集まり、ネットニュースになりました。するとこのネット記事は多くののコメントが寄せられてその関心の高さにに驚きました。「これで白書も注文が殺到する!」と期待しましたが、増えるのはネット記事へのコメントばかりで、検索ワードは「給食」になり、元ネタの「長野の子ども白書」ではありませんでした。
 ピタリと注文が途絶えたのは例年なら「完売」しているちょうどこの夏の終わりでした。

 昨年から「子ども白書による広報・研修活動」に助成金をいただき、講演会や対話会に活用させていただいて来ましたが、「本」そのものの収支は、今後に希望を持てるもににはならないかもしれません。
 当初から ネットで多くの方に読んでいただく・・・という努力もしてきましたが、これを「有料にする」という英断にはまだ至っていません。

 しかし、2025長野の子ども白書は、すでに多くの執筆者を得て(感謝)編集作業に入りました。7月には紙媒体で発行予定です。物価高騰にもネット普及にも負けず、アナログでしかできない「質の高さ」をめざしてがんばりたいと思います。

 年明けから暗いごあいさつですみません。2025年も長野の子ども白書をよろしくお願い致します。

2025年 1月4日 長野の子ども白書編集委員会事務局代表 小林啓子


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2025年01月04日08:48

長野市に「子どもの権利条例」ができるって!そりゃあ無関心ではいられない。

長野市に「子どもの権利条例」ができるって!そりゃあ無関心ではいられない。

長野市議会内外で「子どもの権利条例の制定を」と議論を続けている「長野市子どもにやさしいまちフォーラム」(長野市)が、現在準備中の市議会に対し「第三者機関『子どもオンブズパーソン』の設置を条例に盛り込むように」求める署名を開始しました。これは、行政から独立した立場で子どもの相談や救済に当たる、子どもの権利を守るために欠かせないものです。「子どもの権利条約の実効性の試金石」(あるとないとでは大違い)です。子どもの権利条例下の相談・救済機関は、行政や組織の(大人の)責任能力を問うものでは無く、子どもへの人権侵害そのものを問い、子どもの権利を保障するために子どもの願いや希望に沿って「解決」に伴走します。この機会に「わたしたちも子どもの権利条例に期待しているよ!という声をあげたいと思います。

子どもオンブズパーソンに相談するとどうなるの?
「つらい」「なやんでいる」「暴力を受けた」「いじめられた」「誰かに助けて!って言いたい」
そんなときに「子どもオンブズパーソン」に相談できます。
★子どもが希望しないのに、学校や家の人に連絡することはありません。
子どもにとって一番いい解決方法を一緒に考えます。
調査や話を聴くことを通して
子どもが「もう大丈夫」「安心した」と思えるまで一緒に考えて手助けします。

・・・議会で市長さんは「長野県には子ども支援条例下の支援センターがあり、そこに相談できるので、長野市に作らなくても大丈夫」と答えましたが、長野県子ども支援条例は、子どもの権利条例ではありません。子どもの権利条約の精神に則るという文言も「子どもの権利」という言葉も一言もない、大人のための条例です。支援センターがどのような働きをしているか(報告も無いのでわかりませんが)相談した子どもが「救済された」とは思っていないのが事実です。

★県下では、子どもの権利に関する条例を制定している松本市には、独立した相談機関(心の鈴)があり、多くの子どもたちを救済しています。市の子ども施策も、子どもの権利条例によってすすめられています。子どものしあわせにとって、大きな力を発揮しています。

さて、長野市の条例がどんなものになるのか、無関心ではいられません。

ワークショップを開きます。
「長野市に子どもの支援条例ができるって!!」

2月2日2時から5時 長野市ふれあい福祉センター4階第2会議室
関心ある方はご参加ください。

お問い合わせ:090-3806-9332(長野の子ども白書・小林)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年12月24日08:27

子どもの意見表明権と進路指導・高校選択。子どもに必要な情報の開示を。

子どもの意見表明権と進路指導・高校選択。子どもに必要な情報の開示を。

 過日の「よくわかる子どもの権利条約」講演会で、子どもがしあわせと思わない」要因に、アンケートの対象が中学生であることから、日本の子どもは「進路選択」や「受験準備」のために、かなりのストレスや精神的不自由を感じているのではないか・・・という事例が紹介されました。三者面談で保護者が先生の「提案」に対して疑問や心配を伝え、先生がそれに応える・・・というような。そこにいる本人はどうなのでしょうか。「どうしたいのか」「何が楽しいのか」「進学したいのはどうしてなのか」を聴いてもらうことなく、それはさておき「結果」を出す方法を話し合う場になっている。とりあえずランキングと自分の得点力を見比べて可能性の高そうな進学先を提案してくれる先生に、いったい本人の声は届いているのでしょうか?聞かれるのは「もっとがんばれるか?「あきらめるか?」くらい。保護者の前では「がんばる」としか答えようがないけれど、客観的にその「がんばり」が「結果」に反映するとは限らないことを知っている先生は「滑り止めも」と勧めてくれる。誰のための?何のためのかわからないが、保護者と先生のやりとりは本人の頭上でビジネスライクに交わされる。本人はどんな思いだろう。「誰のことを話し合っているのだろう」!

 「子どもの意見表明権」をめぐる問題は単に「意見を言っていい」ということではなく、どんな時でも子どもは自分に関わることは自分の意見や希望や拒否を言って良いし、大人はそれを尊重しなければいけないという「権利条例の精神」(権利の主体は子ども)にあります。子どもを「主体的にとか「自立した、とか言う前に、まず未熟で未経験な子どもが大事な選択をするようなときこそ、その声を尊重し実現に伴走する大人や社会が欠かせません。まず必要な情報を開示し、疑問や不安に応えましょう。
 「経験不足な子どもの言う事ばかり聞いていたら、失敗してしまうこともある。大人が選んだり決めたりすることは必要なことだ」という考えはそうかもしれませんが、その「結果」を心配する大人のためである…ということも事実です。

 情報を公開し本人に選択・決定させましょう。あなたはあなたの進路を決めてよい…ということを前提に。
問題は入試制度が「競争の原理」で成り立っているという事実をまず理解させることです。努力すればするだけ結果につながるということは無いのです。「自分らしく」「マイペースで」は通用しない「相対的評価」のもとに自分が置かれていることを理解させる必要があります。だから、得点力や内申評価で測る「偏差値」は、絶対値では無く「順位」なのだということをしっかり教えましょう。
すると、偏差値のランキングで高校を輪切りするような進路指導は一見合理的で平等のように見えますが、ここに受験競争による「競争率」が生じ、データーでは「合格だったけれど不合格になる」ということもあり、ギャンブルのような神頼みのような要素すらあるということも教えましょう。「万一不合格になったら…」という心配は「浪人はしない」という「常識」によるもので、同一年に同世代が一斉に進学するような「普通」は、本当の学力重視の他国ではほとんどあり得ない考えです。まして専門性や独自性で「どうしても」と選択する高校でない限り「不安なら]やめておけば良いだけです。偏差値重視で高校を選ぶのは、大学の進学率や将来の就職に有利だからでしょうか?本人には、「そのために力を入れている高校なのだ」と教えましょう。教職員の質や学校運営に大きな差は無いのです。「楽しい高校生活」を送りたいなら、それなりの高校を選べばよいのです。こういうことを教えて、過去のデーターも開示して、自分で判断できるようにしなければ、子どもは自分で選択できません。まして「滑り止め」高校の検討を保護者が先行してしまったら、それは本人のためでしょうか?簡単な受験ゲームの進め方は子どもの方が確かです。なにしろ勇者(ヒーロー)は子ども本人なのですから。

受験生の保護者の皆さんが、「自分で決めよう」と励まし、一緒に情報を集め選択の伴走者になって下さることを願います。学校の進路指導は決して子ども一人一人のために行われているとは言い難いからです。貴重なデータは持っているので教えてもらいましょう。






Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年11月19日12:09

子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から

子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から朝陽公民館体育館

「子どもの権利条約」の理解を広げる活動を考えていましたが、たまたま「子どもの権利条約」を地域の「人権を考える住民集会」に取り上げてくださった地区があり、長野の子ども白書を代表して、曲渕紀子さんと子ども記者の高校生が講演を行います。身近な話題から「子どもの権利」「意見表明権」「31条」などお伝えし、その理念を考えていただく予定です。どなたも参加できるようです。お近くの方はご参集ください!!ご発言も。

 昨年度出発した「こども基本法」「こども家庭庁」は、「子どもの権利条約」の精神を生かすことを明記しました。日本が国連子どもの権利条約を批准してから30年の節目である・・・ということもあり、「今こそ子どもの権利条約を!」と喜んでいたのも束の間、いっこうにその理解や啓蒙はすすまず、「なんのことやら」で実効ある実現が遠のきます。
 世界に目を向ければ、子どもの権利条約がその制定の動機となった「戦争の無い平和な社会を!」という願いが、踏みにじられ、多くの子どもたちが戦禍にまきこまれ生命も安全も子ども期のしあわせのすべてを奪われています。
 子ども・若者の生きづらさが語られ始めて20年、「しあわせな子ども期」は日本でも長野県内でもどんどんやせ細っていくように思えます。長野の子ども白書が見つめ続けてきた「しあわせな子ども期」は今、社会は子どもたちに何をしなければならないのかを教えてくれています。それは、大人にとっての「財産」私有物」「人材」としてのとしての子どもではなく、人権を持った、権利の主体としての子どもの今を保障する「子ども観」への理念の転換を求めているのだと思います。
 「子どもの声を聴く」「こどもまんなか」ということばにこめられた「こどもを主人公にその最善を」という意味は、「子どもは大人や社会の都合や期待で育ててはいけない。」というところに行きつきます。

 先進国38カ国中、子どもの精神的幸福度が37位である日本の子どもは、大人が考えたら「十分しあわせ」な状態であっても、子ども本人には「しあわせ」と感じられない「子ども期」を過ごしているのです。「生きづらさ」「不登校」「自殺死亡率」「いじめ」などの背景に、「行き過ぎた競争主義的社会がある」と、国連子どもの権利委員会は日本政府に勧告しています。第31条「余暇・レクレーション・文化・休息などの保障」の尊重も助言されています。「競争」にはかならず目盛や数値や標準があり、「人並」を求める考えはどうしても「ふつう」を作り出し、排除されないように同調や適応を強いられます。それらはあからさまにではなく自然なふるまいとして子どもたちに教えられ、内在化します。でもこれは、大人が自分の子どものために、良かれと思ってアドバイスしたり、教え子のためを思ってルールを決めたりしていることで、子どもは「ありのまま」では愛されない・評価されないことを知ります。「ありのままの自分」は、精神的に解放された「自由な自分」(しあわせな自分)です。

 さて、「子どもの権利条約の「子どもは権利の主体」という理念に、長野の子ども白書はいくつかのエピソードから迫ります。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年10月19日07:19

日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。日本も核兵器禁止条約に

日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。日本も核兵器禁止条約に署名・批准を!

 今年のノーベル平和賞が、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されるというニュースは、本当にうれしいことです。
「広島と長崎の原爆生存者によるこの草の根の運動は、核兵器のない世界を達成する努力、また目撃証言を通じて核兵器が二度と使われてはならないということを身をもって示してきた」とその地道な活動を評価しています。
 被爆から11年後に結成された日本被団協は「核戦争起こすな」「原爆被害に国家補償を」と訴え続け、国内外で被爆の実相を広め続けてきました。私たちの記憶に新しいのは2016年、被爆者が初めて世界に呼びかけた「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)を開始し、2020年までに1370万2345人分の署名を国連に提出したことです。こうした動きは世界を動かし2017年、核兵器禁止条約が国連会議で採択されたのです。2017年には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。しかし日本政府は一貫してこの会議にも参加せず、署名も批准もしていません。
 たまたままじかに迫った総選挙に向けての党首討論をラジオで聴いていたら、今回の受賞について石破首相は「核被爆の悲惨さはもっと広く知らせなくてはならない」とかよくわからないことを話していました。即署名・批准して欲しいです。するつもりはないようでした。

 ロシアが核による威嚇を繰り返す今だからこそ、日本が禁止条約を批准し核兵器廃絶の先頭に立たなければ・・・と思います。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年10月14日06:46

秋の「人権月間」に「よくわかる子どもの権利条約」はどうですか?出前します。

秋の「人権月間」に「よくわかる子どもの権利条約」はどうですか?出前します。

秋・・・といえば、各種団体や組織で年間計画の中に「人権教育」「人権学習」「人権講演会」が予定されていると思います。学校教育でも「人権教育月間」などを設けているところも多く、児童生徒への教育と同時に保護者や地域とともに取り組まれる「講演会」が行われています。

 長野県では、1969年の同和対策事業特別措置法制定以来、学校教育を中心に「人権教育」として「差別・偏見の解消」が図られて行きましたが、事業の終了(2002年)とともに、さまざまなテーマを取り上げながら時間や期間を短縮して取り組まれているかと思います。同和教育については2016年制定の「部落差別解消推進法」によって、引き続き大切にとりあげるようになっています。
 
 2023年に国の「こども基本法」「こども家庭庁」ができ、各自治体へも、これまで分散していた「子ども対策」「子どもに関する窓口」などを横断的に一括して取り扱う窓口を設けるよう指導しています。そこに明示された「子どもの権利条約」についての理解・啓蒙をおこなうことも促しています。現行の法律に直結している「児童福祉」の分野では、児童福祉法の見直しやあらたな施策の必要性が具体的に議論され、実施に移されています。
 この機会に、「子どもの権利条約」についての理解をすること、保障する必要性について考えることは、とても重要です。

 特に、この法律が今のところ「理念法」であることから、その「理念」の共有が急務です。「子どもの人権」というだけでこと新しいテーマですが、それは虐待や体罰をなくし、「しあわせな子ども期の保障」につながる「子ども観の変換」への入り口でもあります。

 長野の子ども白書が13年間の取り組みから「なぜ今子どもの権利条約なのか」というその必要性を「よくわかる子どもの権利条約」というテーマでお届けします。80分程度のプレゼンテーションを準備しました。ぜひ、「人権学習」を計画されている団体や組織などでご検討下さい。

お問い合わせはこのブログのメッセージから。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年09月23日08:17

給食トラウマがすごい!「会食恐怖症」の記事に反響コメント3,000?

給食トラウマがすごい!「会食恐怖症」の記事に反響コメント3,000?

信濃毎日新聞が2024長野の子ども白書の紹介記事を掲載してくれました。この記事で、白書に寄稿した大学生にインタビューした内容を紹介しています。「給食残してごめんなさい」保育園で謝らされて流した涙 「完食指導」で会食恐怖症に 交際相手と食事もできず…苦しみ続けた大学生の願い」という記事です。この記事が信毎デジタルに載り、昨日Yahooニュースに載りました。そうしたらコメントが続々ついて、あたかも「給食トラウマ」大会みたいになっています。学校給食での悲しい体験や嫌な思い出を持っている人がたくさんいるのだと驚きました。時間内に食べられないと、みんなが掃除をしている中で食べる経験は、私も小学生の時にありました。給食の後に掃除をする時間割は今も同じなのかな。「完食指導」は今は無いと専門家はコメントしていますが、何かしらの形で残っているような気もします。また、この記事の大学生が心に傷を負ったのは、「みんなにあやまる」という行為を強制されたからです。自分がみんなに謝らなくてはいけないくらい「悪いこと」なのだと、刷り込まれてしまったからです。このことを「指導の徹底」という言葉で済まされてきたのかと思うと、罪深いことだと思います。同じようなことは他にもあるかと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月27日21:04

戦争を知らない元教師が8月15日にふり返る「平和教育」の反省と後悔と。

戦争を知らない元教師が8月15日にふり返る「平和教育」の反省と後悔と。

 戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代は「新しい憲法」のもとで育てられました。「二度とふたたび教え子を戦場に送らない」という旗を掲げた教師たちの熱い思いに守られて「平和教育」を受けた世代です。目標に「平和を希求する」と明記された教育基本法ができた1949年、私は生まれました。「日本はもう二度と戦争はしない」という安心感がありました。 (2006年に改悪され削除されてしまいましたが)
                                                                                            でも、その後朝鮮戦争やベトナム戦争に米軍が参戦すると、日本が後方支援基地になっていることに対して、大きな反対運動がおこりました。「ベトナム戦争反対」の運動は若い世代にも広がりました。高校生だった私が、所属していた同人誌に初めて送った原稿は「渦の中から」という、フィクションでした。急に学校に来なくなった同級生が、ある日広い自分の家の庭で焼身自殺した・・・というストーリーでした。その頃の非力な自分と重ねていたのかもしれません。当時の高校の教師たちが多くの政治課題に生身で抗議行動しているのをまじかで見ました。「**反対」というプレートを胸に付けて駅前でビラ配りをし、ストライキにも入りました。私たちは学校を休まず教師の来ない教室でいつになくおとなしく自習していたのを覚えています。
 
 その後将来の自活のために「教師」になりました。高度経済成長期で、公務員の給与は民間の半分くらいで、誰でもなりたければ教師になれた時代だったと思います。「でも・しか教師」とか呼ばれた時代です。大学時代は政治的課題にかかわる(大学紛争も含めて)ことが多かったせいか、卒業時、地元の教育学部から教職採用試験を受けた人がほとんど合格する中、人生初めて「不合格)通知をもらいました。同じように不合格になった人は他県の二次募集に受かって県外へ行きました。

 採用年齢制限(今はない)ぎりぎりに採用試験を受けて合格し、定年まで子どもたちと過ごしました。1980年代「日の丸君が代」が職員会の議題になり始めました。学校行事のたびに必ず飾られる日の丸の旗と歌われる「君が代」は、「お国のために」と戦場に散った兵士の悲しみの象徴であり、「天皇陛下万歳」と命を棄てさせた「君」を讃える歌なので、子ども達に強制することを拒んだ教師たちの闘いでした。今でも壇上で日の丸の旗に敬礼させる慣行があります。東京都や大阪府では「君が代」を歌わない(起立しない)教職員を処分したり解雇したりすることが始まりました。「憲法違反」と主張する教師たちに対し、政権は「国旗・国歌に制定する」という方法で『合法化』しました。(1999年)小学校の来入児種目に「旗ひろい」という種目があり、日の丸の旗を拾う伝統がありました。先輩教師は担任している6年生に「動物の旗」を作ってもらい、運動会にそれを来入児に拾ってもらいました。あちこちの学校で、日の丸の旗を飾らないように校長かけあったり、音楽の時間に「君が代」を教えるときに工夫したり、儀式のときにピアノ伴奏を拒否したり様々な工夫をして闘っていました。戦争加害の現場のある勤務校では、総合学習でテーマにしたり、中国からの帰国の同級生を迎えた勤務校では「満蒙開拓の歴史」をアニメや映像で知らせたりしました。この間「平和教育」を積極的に行おうとする教職員は、先の戦争の責任をあいまいにして正当化する勢力からは「政治的」な教師として疎まれました。でもこの攻撃に屈して、本当に子ども達に戦争の反省を伝えてきただろうか・・・と反省しきりなのです。平和教育にも「失われた30年」を思います。私たちの責任です。
 ソ連のウクライナ侵攻以後、「平和」は誰しもの願いになり、その大切さを継承する世論の高まりから、「平和教育」の新たな機運が広がりました。でも今、親となり現役世代となった教え子たちに、私たちが教室で伝えてこなければいけなかったことがあったと思います。反省と後悔と。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月15日08:36

子どもを主体に子どものねがいや声を「社会的課題」につなげるということ。

子どもを主体に子どものねがいや声を「社会的課題」につなげるということ。

子どもの権利条約が「子どもは権利の主体です」と謳っているのは「子どもの権利条約」が、子どもを育て養育・教育する大人を守るための条約じゃないという意味です。大人社会(国)は子どもの権利を守る義務があるという意味です。
「こども基本法」「こども家庭庁」はそのことを明文化していますが実行しようとしているかどうかは疑問です。新たな子ども施策も支援策も、子どもを養育する保護者・監護者を支援するためのもので、「こどもまんなか」と言いつつ、子どもの声を聴き尊重しているようには見えません。

2024長野の子ども白書は、そのことを「不登校」というテーマを切り口に発信しました。
例えば不登校。
不登校になると一番困惑し苦しむのは本人(子ども)です。
自分の何が身体症状になって表れているのか理解できないから、苦しみます。
保護者は何とか励ませば登校できると信じて声がけしサポートします。
子どもは親の信頼を裏切ってはいけないと思いがんばります。
でも体は動かなくなります。「できない」と自己否定感に陥ります。
休むと少しはほっとします。
安心できる場所で初めて自分のこと(できごと)を言語化します。
それが不登校の原因ではないと思うけれど要因の一つではあると・・・。
「友達を注意する先生の声が大きくて怖かった」等々。

これらを「学校をみんなが安心して通える場所にしようよ」という社会的課題につなげることを今やらなくてはいけないと思います。

過去に長野県子ども支援委員会に「申し出」をしていた小学生の保護者は、低学年の時から自分の違和感を言語化していた子どもの
いじめや不登校対応のまずさを学校と教委に伝えていましたが、その後無責任な対応で不登校になります。その申立ての記録を見れば、相談された学校や機関が「わがまま」「親が身勝手」「自分勝手」「過敏症では無いか」「検査が必要」などと驚くような発言を公的に繰り返していました。地域の教育委員会の顧問弁護士は保護者に対して「これ以上の苦情申し立ては業務を妨げる」と脅迫していました。最終的に長野県子ども支援委員会は「再調査」を勧告しましたが、そもそも自らのまちがいも正せず「もうやめましょう」という態度が透けて見えます。勧告から2年目になります。「子ども支援条例」は、子どもの権利は守らないとはっきりしたと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月14日07:54

2024長野の子ども白書執筆者・土屋ゆかりさんにたくさんの「ありがとう」

2024長野の子ども白書執筆者・土屋ゆかりさんにたくさんの「ありがとう」

2024長野の子ども白書はお手元に届いたでしょうか?108ページ「コロナ禍・物価高騰で困窮する家庭の子どもたちにスポーツを!困窮世帯の子どもたちの「諦める」を減らしたい」という土屋ゆかりさんの記事をぜひお読みください。
 実は7月初旬に、闘病中だった土屋ゆかりさんが亡くなられたという知らせをもらいました。生前のご本人の希望で「誰にも知らせず・・・」ということで、お悔やみ欄にも掲載なくご葬儀についても公表されませんでした。今も「知らなかった」という方が多いかと思います。本当に残念でなりません。
20日に行われた「きずな村」に集まった人たちの中には土屋さんにお世話になった人がたくさんいました。「亡くなられた」という情報が広がると「あんないい人は他にいない。ありがとうと言いたかった」と涙を浮かべている方もいました。本当に、みんなの「ありがとう」を伝えたかったです。

土屋さんはここ10年、長野市社協「まいさぽ長野市」の所長を務められ、そのお人柄や支援のあたたかさに多くの人が助けられてきました。私は子育てしているお母さんが生活困窮したり仕事や住居が無く困っていたら、まず土屋さんに相談して支援につなげてもらっていました。「まいさぽ」は就労支援のための事業所ですから、「仕事探し」が中心ですが、土屋さんは本当に相談者の話を良く聞き、今の制度の中でできる支援につなぎ、子どもがいれば子どもがどうしているかも心配してくれました。だから、保護者や子どもがどんな困難に見舞われているかとても良く知っていました。現状の環境では、どうしようもないことも多いけれど、土屋さんはいつも「でも何とかしようね」と励まして、職域を超えて助けてくれました。一方で「こんなことはだめだ!」と、学校や社会の在り方を変えていくことにも遠慮はしませんでした。

昨年、長野市社協などいくつかの団体が「コロナ禍・物価高騰で困窮する世帯への支援」として、休眠預金を活用した「食料・生活物資」支援を行いました。「やさしさつなぐプロジェクト」です。大々的に宣伝しなかったのは、「本当に困窮している人」に届くように配慮したからです。このプロジェクトの立ち上げに際して、土屋さんは「子どもが部活をあきらめている」「スポーツをあきらめている」と話し、なんとかこの子ども達に運動用具を支援したいと提案しました。私もこのプロジェクトに加えてもらい、「子どもにスポーツ用品を!」という支援活動を担いました。運動靴も含めて、70人以上の子どもが運動のための道具や衣料を手にしました。協力してくれたスポーツ店は、在庫商品の提供もしてくれました。ほんの少しだけれど、夢をあきらめないで部活やスポーツに参加できた子どもたちがいました。

2024長野の子ども白書には、このプロジェクトの動機になった「子ども・保護者の切実な声」が紹介されており、その背景や解消への提言が書かれています。プロジェクトで支援を受けた当事者の声も紹介しています。
この記事を書いてくれた頃、土屋さんはすでに病床にあって、「どうしても書いておかなくては!」という強い思いで執筆して下さいました。           

記事の最後に「子どもたちが夢や希望を描ける『諦めない支援』がたくさんある社会になっていたいと思います」。と書いておられます。土屋さんの早すぎるご逝去を悼み、この大事な生きざまと遺志を継いでいかなければと思います。(合掌)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月26日08:08

「きく」を哲学する。伊藤先生の論考は2024長野の子ども白書に掲載。

「きく」を哲学する。伊藤先生の論考が2024長野の子ども白書に掲載されています。

2024長野の子ども白書は、おかげさまで無事発行致しました。7月7日には発行記念講演会に70名を超す参加者が、大阪公立大学教授・伊藤嘉余子さんのご講演を聞きました。「きく」を哲学する・・・という、子どもの意見表明権を支える大人社会の応答(きく)についての、具体的でわかりやすいお話でした。子どもの権利条約のこと・子どもの意見表明権のこと・子どもの本当のニーズのこと・・・。私たちがずっと追い求めてきた「子ども達の生きづらさ」の原因がこんなところにあったかもしれない!とハッとさせられます。私たち(私)が良かれと思ってしていた応答や支援は、子どもの本当のニーズではなかったかもしれないし、そもそも、子どもの本当のニーズを「訊いて」いなかったことに衝撃を受けます。自分の気持ちを言語表現できない(訊いてもらえない)もどかしさから、手が出たり身体症状が出たり黙り込む子どもたち。被虐体験をした子どもほど、言語表現を止めている。「どうして語らないのか」(Why)ではなく、「何が有ったのか(What)を訊いてもらい、一緒に考えてもらい、ともに行動してくれる大人に出会う」ことしか信頼回復ができないと。「子どもは今を生きている」という強烈なメッセージも「あなたの将来のために良かれと思ってする応答や子育て・教育」は、もう一度今を生きる子どもの気持ちを「きく」ことに立ち戻らなければ・・・という警告にも思われました。それぞれが自分に引き寄せて自問し考えられるお話でした。終了後すぐに「次はいつ伊藤先生の講演がありますか?」と聞かれる参加者がいて、「もっと聴きたいお話でしたね」と苦笑でした。
 さて因みに、この伊藤先生の論考が2024長野の子ども白書に掲載されています。併せて「不登校」というできごとを子どもに「きいて」そこから考えていこうとする取り組みも掲載しました。「子どもの権利条約を読んだことがない」大人がたくさんいます。2024長野の子ども白書の巻末に「こども基本法」「子どもの権利条約」を資料として掲載しています。ご一読ください。
 財政的な苦境を何とか切り抜けて発行に至りました。完売しないと資金を回収できません。ぜひご購入下さい。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月12日07:54

伊藤嘉余子さんの講演会に70名が参加。子どもの声を「きく」ことの意味

伊藤嘉余子さんの講演会に70名が参加。子どもの「きいてもらう権利」の保障を

 長野の子ども白書が創刊から13号目となる2024長野の子ども白書の発行を記念して、本誌に投稿されている大阪公立大教授・伊藤嘉余子さんの講演会を開催したところ、多くの皆さんがご参加くださいました。ありがとうございました。140分に及ぶ長い時間を休みなくずっと話されていても、時間を忘れる充実のご講演でした。
 
 子ども元年・こども基本法の制定・子ども家庭庁の創設は、私たちに何を求めているのか。

 直接・間接的に子どもとかかわるお立場の参加者にとって、その「理念」の理解はそれぞれでありながら、講演会の後参加者の誰しもが「あー。反省するなあ」「ここからやりなおせるかなあ」「もっとやるべきことがあるんだ」・・・と、深く受け止めながらも先に向けて展望を持っているのが伝わってきました。抽象的な「思い」や「熱意」ではなく、具体的な「尊敬」の在り方。

最後を締めくくるのは、ヤヌシュ・コルチャックの言葉。「子ども達は未来の存在ではなく、今を生きている存在である。彼らの存在は真剣に受け止められるべきである。子ども達はおとなたちから敬意をもって、等しき存在として扱われる権利を有する」。

2024長野の子ども白書が、その思いにたって多くの皆様に読まれることを期待しております。

 講師の伊藤先生が、お子さんとの七夕の約束を反故にして、遠路長野での長時間講演に臨んでいただいたことに深く感謝申し上げます。




Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月09日07:56

2024長野の子ども白書発売になります!!今年は大きな変わり目の年!!

2024長野の子ども白書発売になります!!今年は大きな変わり目の年!!

2024長野の子ども白書は明日5日、発売になります。ぜひご注文下さい!!

2012年の創刊から追い続けてきた「なぜ?」や「どうして?」の謎が、どうやら解けてきました!!
減らない不登校や子どもの生きずらさ・自死。それはどうして起こっているんだろう?長野県がとりわけ多いのはなぜなんだろう?
広がっている格差・貧困の中で子どもの権利が守られないのはなぜなんだろう?
「戦争やイヤだ」という子どもたちの思いに、再び「戦争できる国」に向かう政治はどうしてなんだろう?
「幸福度」の低い、自尊感情の低い子どもたちが多いのはなぜなんだろう?
「モノ言わない子ども」「同調する子ども」「適応しようとがんばる子ども」は今、しあわせだろうか?

答えが少し見えてきた今年、まず「不登校問題」に関心のある方は是非お読みいただきたいと思います。
教育関係者・子育て中の方々・子ども施策や支援に関わる方々・・・。
「権利の主体は子ども」という子どもの権利条約の基本理念にたち、わたしたちが「子どもたちのしあわせ」を願って今何をしたらよいのか、考えて見たいと思います。

ご注文はこのサイトから。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月04日08:32