長野県の高校に制服が少ないのは
~高校生の自由と自治を尊重する長野県~
長野県の公立高校はなぜ制服が少ないのか
長野県の公立高校には、制服を定めていない高校が約5割存在します。この割合は全国的にみると最も高く、とりわけ松本市の全ての公立高校は制服を廃止しています。最近ではファッションとしての「なんちゃって制服」を好む高校生も多いですが、松本市内では県内他地区より際だって売上げが少ないようです(制服メーカーKANKOによる)。県内に暮らしていると当然のこととして受け入れていましたが、なぜここまで制服を否定した文化が広がったのか不思議に思い、高校在学中に制服をテーマにした映像作品を制作しました。その時の調査に基づき、制服廃止の歴史をたどりながら、その理由とそこから読み取れる松本地区の中等教育の文化について考えてみたいと思います。
学校における制服の始まり
そもそも制服は明治維新(1868年頃)に軍服をモデルにした詰襟の男子制服が始まりでした。女子の制服は和洋さまざまなスタイルを経て大正時代に現在のセーラー服スタイルに落ち着きました。しかし太平洋戦争を迎え物資不足により制服文化は一時中断されました。生徒はあり合わせの服で通学し、学童疎開も行われたために、県内の中学校や高等女学校に通う生徒が全員一律の制服を用意する余裕など不可能だったのです。
再び制服文化が戻ってくるのは戦後のことです。戦後の社会が徐々に落ち着きを取り戻し、新制高校の登場(1948年)とともに制服文化も復活してきました。ところが、松本市にはこの流れに乗らない二つの高校がありました。これには、松本深志高校と松本蟻ヶ崎高校に戦後組織される生徒自治会としての生徒会の誕生が、大きく関係することになったのです。