「突然死ということにした方が良いかもしれない」自殺を隠す学校

「突然死ということにした方が良いかもしれない」自殺を隠す学校

本日の信濃毎日新聞には、2017年に長崎・海星高校でいじめ自殺をした当時16歳の高校生の母親が、共同通信に寄せた手記を掲載しています。19日は20歳の誕生日を迎えるはずでした。
この事件では、学校が設置した第三者委員会が18年の報告書で「主たる原因はいじめ」と認定しましたが、学校側は「論理的な飛躍がある」と主張して受け入れていません。
この手記の中に、自殺の1週間後海星高校の教頭(現校長)が「突然死ということにした方が良いかもしれない」「転校したことにもできる」と、遺族に提案したと書かれています。2020長野の子ども白書に掲載の「17歳で逝った息子と母が伝えたいこと」にも、同じような場面があります。混乱した貴族の心の揺れに乗じて、「自殺」であることを隠し「病死という事」にするよう学校が提案しています。在校生の動揺を防ぐため…という理由でしたが、本当は「自殺」にまつわる否定的な判断が、そうさせていたように思われます。このお母さんはクラスの生徒に手紙を書き、「命を大切に」という思いを伝えようとしますが、その手紙にも「自死であること」を書かないように促されています。よく似ています。
 この海星高校の生徒はいじめを訴えていましたから、「いじめ防止ガイドライン」によって、原因究明の義務が学校にあるので、再発防止に取り組むように働きかけても全く誠意を見せていません。

■「自殺」という結果にさえ、「二度と同じことが起こらないように」と願う遺族の思いが頑なに拒否される事件が、過去にもいくつかありました。後日その誤りを認めて謝罪した事例もありました。
■何度も学校や教育委員会に訴えても聞き届けてもらえないことに絶望して亡くなった事件すらありました。
■「指導死」と言われる、学校職員や部活指導者による不適切な指導によって、絶望し死を選ぶ事件もありました。

■不適切指導によって心に深い傷を負った本人が、「やめてほしい」と訴えても受け入れられず、さらに追い打ちをかけるような仕打ちを受けても、学校はひたすら穏便に済まそうとし、本人の自尊心が回復できるような慰謝の言葉もなく、絶望に追い込まれて自死を試みてさえいます。
本人は今も苦しみながら懸命に生きているからこそ、二度と同じことが起こらないように、反省と教訓にしてほしいと思います。





 
Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2021年01月19日21:19

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