青少年健全育成条例」をどう考えるか

■まず、中日新聞の記事から。
十八歳未満とのみだらな行為などを禁止する東御市青少年健全育成条例。県警は三月下旬、この条例を初適用し、東御市内の中学校の男性教諭(35)を条例違反容疑で逮捕した。県には全国で唯一、十八歳未満との「淫行処罰規定」を盛る条例がなく、県内市町村で設けているのは東御市だけ。「青少年健全育成は住民運動で」が長野方式だが、インターネットなどの普及で子どもたちの環境は大きく変化し「県条例で守るべきだ」との意見もある。第24条で「淫行処罰規定」を設けている東御市青少年健全育成条例。県条例による規制か、住民運動かの論議が続く東御市の条例は「何人も、青少年に対してみだらな性行為又(また)はわいせつな行為をしてはならない」と規定し、違反者には三十万円以下の罰金が科せられる。被害者の関係者から相談を受けた県警は、今回のケースは場所が東御市内とされ、被害者は教諭が以前に勤務した学校の教え子だったことなどを重視。金銭のやりとりがなかったため児童買春・ポルノ禁止法などの適用はできないと判断し、条例の初適用に踏み切った。教諭は今月十三日、罰金二十万円の略式命令を受けて即日納付した。東御市の条例が全面施行されたのは二〇〇七年十月。当時の条例策定懇話会では「どこまでが『みだらな行為』に当たるのか」「子どもの自由を制限しないか」といった意見があった。委員長だった市青少年補導委員会の荻原慎一郎会長(62)は「インターネットや携帯電話の普及で子どもをめぐる環境は変わり、青少年が性の被害に遭いやすくなった。淫行処罰規定を否定するのは時代にそぐわない」と指摘。「青少年に対するわいせつ行為が、ある地域では罪に問われ、別の地域では問われないのはおかしい」とも話し、県条例の必要性を訴える。
 
県次世代サポート課によると、県内では一九六〇年代ごろから有害図書の規制を中心にした条例制定論議が起きたが、当時の西沢権一郎知事(故人)は「条例で縛るより住民運動を徹底することが大事」と県議会で答弁。その後の知事も踏襲し、阿部守一知事は今月三日、「条例で規制するのではなく、地域や関係者の活動で青少年保護に取り組んできた」と述べ、条例制定には否定的だ。県議会にも「住民運動は限界がある」として補導員やPTAなどの団体から条例制定を求める請願や陳情がある。二〇〇〇年度以降では請願三件、陳情二件が提出され、うち請願二件、陳情一件がそれぞれ採択された。
 
県弁護士会子どもの権利委員長の上条剛弁護士は、条例による淫行処罰規定は「性教育をないがしろにしたまま単に条例で規制するのは反対。みだらな行為の定義もあいまいだ」と強調し「インターネットや出会い系サイトなどの環境変化には個別に規制をかければよい」と指摘する。児童福祉法や児童買春・ポルノ禁止法などに関連した昨年の二十歳未満の県内被害者は七十七人で、増加傾向にある。県条例による規制か、それとも住民運動の強化か。被害者になる青少年を出さないためにはどうすればよいのか、あらためて論議する必要がある(以上新聞記事)

■長野県が全国で唯一「保護育成条例」を持たない県であるため、今回これを機に議論が高まることが予想されます。昨年9月にこのブログで紹介した資料を、再びここに取り上げます。やや古く、長いので読みたい方だけお読み下さい。ことの本質はよくわかると思います。なお、文中の「少年法」はすでに改悪されています。以下「子どもと法・21 通信 06.8 月号」より。津田 玄児( 弁護士)さんの文章を、コピーさせていただきます。

■各地で青少年保護育成条例の条文を改めようとする動きが活発で、子どもの権利や市民生活をおびやかさないかが問題にされ、岐阜県の会員の方から育成条例を改める動きについてどう考えるかとの疑問が寄せられました。みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
そもそも青少年保護育成条例とは、青少年の保護育成をはかることを目的にかかげ、有害な影響を与える図書・玩具や、深夜に外出をさせたり・みだらな性行為の対象にすることなどを規制し、すべてではないが違反の一部に対して罰則を準備する条例を総称するものです。

自主規制から、規制の強化・拡大へ 
都道府県レベルの自治体では、1950 年岡山県が、有害図書を規制する条例を定めたのを皮切りに1951 年和歌山県・1952 年香川県・1955 年神奈川県と相次いで、有害図書に加えて有害興業・器具・広告を規制し、深夜に外出させることを制限し、みだらな性行為の対象にすることを禁止する条例を設けたことにより、その原型が整いました。1967 年までにこれらの原型を手本にそれぞれ各地の特色を盛り込んでの条例の制定が進み、1967年までに制定した都道府県は岐阜県を含む31 都道府県に及びましたが、当時はなお自主的な規制が本来だとして条例を持たない府県も半数弱を占めていました。
ところがその後有害品を納める自販機が広がり、テレフォンクラブが「非行の温床」として問題とされ、それらの事態への規制による対応を、条例を持つ自治体では新たに取り入れ、条例のなかった自治体でも規制のために条例を整備するにいたり、1981 年には条例を持たない都道府県は長野県のみとなってしまいました(もっとも長野県は長野市など有力都市レベルで同様な条例が整備されています)。
しかし条例が、それぞれの自治体でバラバラに制定されてきた結果、条例の名称は一様ではなく、その規制の対象・方法・罰則の有無なども、それぞれの自治体により異なり、統一されてはいないのが特徴です。出来上がった条例の条文を改める最近の動向は、①保護条例、愛護条例、保護育成条例、環境整備条例、環境浄化条例など様々であった条例の名称を「健全育成条例」に改め、②保護者に責任をもたせる規定を設け、③警察を含む地域における青少年に関わる団体・個人の連携・協力を定め、④青少年の夜間の外出・立ち入りの規制を強化し、⑤有害図書などの有害として規制の対象なる物や行為を広げ、あるいは対象となる基準を緩め、規制の方式を個別指定から包括的な指定や業者団体が指定したものをそのまま有害対象とするなど、規制や対象を大幅に広げ、罰則を強化し、⑥古物の買受や、インターネット上での有害情報の閲覧についてまで規制を広げるなどを内容としています。おおまかにいえば、最近の青少年をめぐる環境の変化を背景に、青少年の自己責任・家族の養育・監護責任を強調し、これまで自主規制にまかされていたところにまで、警察につながる規制の拡大・強化が進んでいるといえます。

子どもの成長を歪める危険
ところで、青少年を有害な環境から守るこのような取り組みが、なぜ子どもの権利や市民生活をおびやかすものとして問題にされるのでしょうか。それは青少年の育ちは、様々な人との交流、様々な情報との出会いを必要としており、そのことが成長発達の基本となっていますから、有害と環境の変化を口実に、自己責任・監護責任などを強調し、強力な規制を広げることは、子どもにとって必要な人や情報との出会いを妨げ、子どもの成長を歪める危険があり、現在の保護育成条例による規制強化には、その危険が読み取れるからです。またその運用にあたって子どもの権利を踏まえる理念が明らかにされてないばかりか、逆に自己責任・監護責任を強調し、この面でも子どもの権利環境の実質後退がもたらされようとしているからです。
子どもの権利に関する条約(以下条約といいます)12 条は、子どもの意見表明とその表明された権利をまともに受けとめ対応する責務を定め、そこで展開される対話を通して子どもが発達することを、基本として重視しています。また、条約13条1 項は、表現の自由を保障し、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受けおよび伝える自由を含む」とし、条約17 条は、「児童が国の内外の多様な情報源からの情報及び資料、特に児童の社会面、精神面及び道徳面の福祉並びに心身の健康の促進を目的とした情報及び資料を利用することができることを確保する。」とし、あらゆる種類の情報への接触が、子どもの発達にとって大切であることを明らかにしています。しかし情報には有害な情報もあることから、そうした有害情報からの保護については、13 条及び児童の最善の利益に従う父母の責任に留意して「適当な指針を発展させる」(17 条(e))こと、つまり自主規制を基本とすることとしています。以下保護育成条例について、質問にあった岐阜県の場合を例にとって、子どもの権利や市民生活との関係をみてゆきたいと思います。

「有害図書」は知事が決める?!
岐阜県条例は、第一に、少年が有害情報と接触することを、遮断することを重要な内容としています。接触は様々ですが、ここでは便宜的に図書に限定して検討したいと思います。まず有害図書として対象となるのは、①著しく性的感情を刺激し、②著しく残忍性を助長し、③著しく犯罪又は自殺を誘発し、且ついずれも青少年の健全な育成を阻害するおそれがあるもの、として知事が青少年育成審議会に意見を聞いて、指定したものとされています。そしてこの指定された有害図書については、何人も青少年に見せ、聞かせ、読ませ、又は使用させてはならない。販売・貸付を業とする者は販売し、配布し、貸し付け、陳列にあたっては容易に監視できる場所に青少年の目に触れない方法で陳列しなければならない。自販機業者は自販機に有害指定図書を収納してはならないなどとされ、子どもとその情報との遮断を徹底しています。
問題は、青少年育成審議会に意見を聞くことになってはいますが県知事が、「①著しく性的感情を刺激し、②著しく残忍性を助長し、③著しく犯罪又は自殺を誘発し、且ついずれも青少年の健全な育成を阻害するおそれがあるもの、」とした場合には、一方的に規制が出来ることとされ、子どもや保護者や教師の自主的な選択が許されておらず、県知事の指定にあたっても何がそのようなものに当たるかについての具体的な基準がないことです。①〜③の表現はいずれも抽象的で、どのようにでも伸縮自在で、白紙一任に近いものです、しかも知事は青少年育成審議会の意見を聞くことにはなっていますが、審議会の委員には子どもは加わっていません。そして審議会の意見に従う義務づけはなされていません。更に緊急の場合には、青少年育成審議会の意見をきくことさえ省略することが出来るとされ、さらに特定の場合には、全裸、半裸又はこれらに近い状態での卑猥な姿態や、性交又はこれに類する性行為の写真又は絵を掲載する紙面が10 ページ以上又は編修紙面の10 分の1以上を占める書籍・雑誌などについては、指定をまつまでもなく、有害図書として扱うことにされています。

遮断だけでは、判断能力は育たない
こうした刺激が社会に存在し、成人すれば直接接触することが避けられない以上、青少年はこれらの刺激に対し適切な取捨選択をし、惑わされないで対応できる能力を、培うことが必要です。有害情報として遮断するだけでは、そうした能力を培う機会は生まれません。それにも関わらず、大抵の青少年は、適切な批判選択能力を身につけていますが、その能力の獲得は、大人の目に見えないうしろめたい領域で、大人との対話を欠いたまま行われており、歪んだ知見と能力を身につけることも心配されます(東京都のように性に関する健全な判断能力の育成という項目を設けているものもありますが、岐阜県では制限一方です)。
またそうした心配を防ぐため、例えば学校で行われる「性教育」の中で、こうした素材を用いて行われる性情報への正しい対応の仕方を学ぶ実践が、時として保護者の間でいかがわしい物を児童生徒に披露したとして、問題とされ続行できなくなるという事態が各地で起こっています。残忍性についても特に戦争をどう理解し、平和への感覚をどう育てるか、虐待や搾取をどう理解し、被害に対する感覚をどう育てるかなどの理解をめぐって、素材を限定させ偏らせ、正しい成長を妨げるおそれがありますし、犯罪についても同様なことが考えられます。有害情報からの遮断は、そうした青少年の適切な批判・選択能力の獲得をゆがめ、その成長にマイナスの影響を与える副作用を伴っているのです。一時期まで半数に近い府県が採用に躊躇したのも、制定された都道府県においても、自主的な取り組みを優先させる規定が広く置かれているのも、そうした事情によります。

真の問題を覆い隠す
岐阜県条例は、第二に、「みだらな性行為」「わいせつな行為」を行い、教え、見せてはならないとし、午後10 時から午前4 時までの間、連出し、同伴し、とどめてはならず、これらに違犯するものを処罰する(青少年を除く)ことにしています。問題はこのような行為は、青少年が同調する関係で行われており、青少年自身のさまざまな事情が背景でそこに引き込まれているということです。相手が青少年でなくても、「みだらな性行為」「わいせつな行為」の相手になり、深夜連出しなどの相棒になるものは、ごく近い年齢の者が多いといわれています。競争社会の下で信頼しあう人間関係を育てることが困難で、居場所を持てない青少年が求め合うなど、そうした行動を生み出す原因・背景は複雑で、青少年自身が置かれている環境自身に深く関わっています。それをあきらかにしないで、行動することだけを禁止しても、問題は闇に隠されるだけで、ますます陰湿なものになり解決はしません。また闇に隠されてしまうと、そうした関係についての対話は「やばい」ということになり、周辺の成人との対話の形成を妨げることになります。そしてこれらの行為は青少年自身を被害者として問題にはしませんが、行為自体は問題の行為として、青少年自身への一方的な警察の指導・補導に事実上つながっています。青少年自身を警察の補導の対象にし、引き続き警察監視の対象にするという直接の不利益をもたらすのです。これらの事実は、青少年の成長に必用な対話の場を狭めるだけではなく、青少年の将来に暗い影を落とすことになります。そして自己責任・監護責任の強調が警察の介入を後押しします。岐阜県条例は、第三に、子どもたちの健全な育成を図るとともに、これを阻害するおそれのある行為を防止することを目的とし、青少年審議会は知事の諮問に応じて、青少年の健全育成に関する総合的施策の樹立につき必用な重要事項及びなにが有害な物・行為・広告にあたるかについて、調査審議しそれらの事項について、意見を述べることになっていますが、肝心な「健全な育成」の内容については、全く規定していません。1994 年5 月日本政府は条約を批准し、国内においては(都道府県レベルを含めて)条約と矛盾し、調整を必要とする事態は起こっていないとしていますが、批准した以上条約4 条によりその実施義務を負い、それは都道府県においても同様です。そして「健全な育成」自体、条約が求める子どもの権利の実現に応えるものでなければならないことはいうまでもありません。

条例にはまず県内の青少年の現状を踏まえ、条約が求める子どもの権利の実現に応えるものとしての「健全な育成」の内容を明示する必要があります。その明示については、国連の子どもの権利委員会が政府の青少年育成施策大綱について行った、条約が求める諸権利に基盤に置くものであること、条約のすべての領域を網羅すること。国連子ども特別総会の最終文書である「子どもにふさわしい世界」における約束を考慮するものであること、子ども及び市民の組織と共同して見直しをはかること。という勧告が参照されるべきです。

肝心な点が抜けている施策方針
岐阜県の青少年審議会は、2004 年11 月19 日に「青少年に関する総合的な施策の方針について」(以下総合的施策方針といいます)を答申しています。この総合的施策方針は、最近の各地における条例を改める動きと密接に連動しています。いかにも青少年の自発的参加を求めるかのごとき記述があり、そのために保護者が日々の生活の中で、子どもときちんと向き合い、適切な関係を築くことをもとめ、それが困難になっている背景には触れていますが、それをどう解決するのかについては全く触れないまま、いきなり家庭の養育・監護責任を強調し、青少年自身の責任が自分にあることを強調し、その裏返しとして自発的参加が述べられているに過ぎません。
有害図書・自販機に対する規制については、業界指定に疑問が呈されるなどの例外はありますが、より徹底した規制方式の導入に関心が払われるのが大部分です。新しい有害環境としての、インターネット規制については、「有害な情報を完全に遮断することは困難であるため、多様な情報に対して、大人はもちろん青少年自身も自ら判断し適切な情報を集め活用する情報選択能力を育てていく必要がある」とは指摘していますが、具体的にはフィルターソフトによる遮断が強調されるだけで、どのようにして青少年の情報選択能力を育てていくかという最も必要な論点には全く触れていません。マンガ喫茶・インターネットカフェなどについても、青少年の居場所の問題は全く視野におかれていません。そして罰則については、「精神的な部分の教育を大事にする」ことは触れられていますが、自己責任につながる論議でしかなく、具体的にはもっぱらどこまで強化できるかの視点でしか検討は行われていません。疑問を寄せられた岐阜県の方は、教育基本法改正の項目に似ていませんかと感想を述べられていますが、全くそのとおりで、ここでは詳細は触れませんが、その背景には国連子どもの権利委員会から厳しく批判された青少年育成施策大綱があるのです。

奈良県の2つの条例の問題点
最後に、事態がこのまま進むとどうなるかを象徴する最近の奈良県において行われた2 つの条例の制定を見てみましょう。ひとつは、2005年7月、公布同日施行された「子どもを犯罪の被害から守る条例」で、もうひとつは2006年3月28日公布され、7月1日施行された「奈良県少年補導に関する条例」です。「子どもを犯罪の被害から守る条例」は、何人も、「公衆が出入りすることができる場所、公衆が利用できる乗物において、保護監督者がただちに危害を排除できない状態にある13歳未満の子どもに対し、正当な理由なく、」①「甘言を用いて惑わし、又は虚言を用いて欺いてはならない」②「言いがかりをつけてはならない」③「身体衣服等を捕らえ、進路に立ちふさがり、つきまとってはならない」とし、そのような者を発見した者は、「保護監督者又は警察官に通報するよう務めなければならない」としています。別に「県民は、子どもの安全を確保するため、自らが積極的に活動するとともに、県及び市町村が実施する施策に協力するよう努めるものとする」とされていますから、県民にはこれらの禁止と通報に努めることが求められていることになります。そして②③については処罰規定が設けられ、県はさらに①〜③のような「行為を行う者その他子どもに危害を加えるおそれのあるものに関する情報を収集し、活用するものとする」としていますから、取り締まりと処罰の対象となり、ブラックリストに載せられることにもなります。
「奈良県少年補導に関する条例」では、18歳未満の者が、正当な理由がなく、①奈良県青少年の健全育成に関する条例(奈良県では青少年保護育成条例をこのように呼称します。以下保護育成条例といいます)が制限する情報を、インターネットを利用して、閲覧・視聴・聴取する行為、②保護育成条例が制限する有害図書・有害玩具を所持する行為、③午後11時から翌日の午前4時までの間徘徊する行為、④保護者に無断で外泊する行為、⑤学校を欠席、早退、遅刻する行為などを、不良行為とし、保護者には不良行為を行わないよう指導・監督することを義務付け、そのような行為を行っている少年を発見した県民には、必要な注意・指導を行うとともに、保護者・学校・警察職員などに通報するよう努めることを要求し、警察職員は、補導(注意助言・指導)を行い、所持品の一時保管、身柄の一時保護(保護房への収容)も可能としています。いずれも正当な理由がないことを条件としていますが正当な理由があるかないかは外形だけでは判別できません。従っていずれも県民に求められている通報は外形だけで行われることになります(そうでなければこの条例は役に立ちません)から、迷子ではないか、薬物を使用しているのではないか、いじめが行われているのではないか、こんな時間にどうして?など、様子のおかしい子どもを発見して声を掛けたり、あぶない行為をやめさせたりしようとする当然の行為が、条例違反として問題にされることが起こりかねません。それを恐れて大人が心配な現場に遭遇しても、だまって見過ごすことになると、周辺の大人との関係を通して成長を遂げる子どもに必用な関係づくりの環境は後退してゆくことになります。皮肉なことに、補導条例が求める「必要な注意・指導」にも支障が出るという自己矛盾も生じます。そして補導条例は、事実上行なわれて来た保護育成条例が少年自身の成長のために制限している有害な対象物を、青少年が所持したり、利用したりする場合を不良行為とし、警察などへの通報を求め、自ら補導したり、保護房に収容することを、公認させようとしています。青少年の保護育成のために、有害行為が規制、取り締まられるのではなく、被害者である少年まで補導という取締りの対象にされるのです。育成条例が補導の根拠条例に転化するわけで、その目的が問われることになります。

世界の流れに逆行する日本
条約は、青少年を保護の客体ではなく、権利行使の主体としてとらえ、大人が青少年との対話に応える権利を中核に据えて、「育ち」の実現をはかっています。一方的な権力機関である警察の補導は、それに脅威を感じて行動を繰り返さない、あるいは見付からないように行動することにはつながりますが、対話には発展せず、それだけでは青少年が当面する情況をみずから克服する契機にはなりません。そればかりか警察の指導の対象となっている青少年はそのことを警戒し、巻き添えになることを嫌う仲間や周辺の大人たちとの対話の場をも失い、孤独や自暴自棄やひきこもりへと発展する恐れもあります。2002年5月10日、国連子ども特別総会成果文書(総会特別会期第27会期)では、条約を批准していないただふたつの国の1 つであるアメリカの大統領を含む(もちろん日本の首相も含みます)、世界の首脳により、「われわれは、子ども——思春期の青少年を含む18歳未満のすべての者——ひとりひとりの権利を促進および保護するために行動する義務を再確認する。われわれは、すべての子どもの尊厳を尊重し、かつその幸福を確保する決意である。われわれは、史上もっとも普遍的に支持を集めた人権条約である子どもの権利条約およびその選択議定書に、子どもの保護および幸福のための国際的な法的基準が包括的に掲げられていることを認知する。われわれはまた、子どもに関連する他の国際文書の重要性も認識するものである。」「われわれはここに、社会のすべての構成員に対し、われわれとともに、子どもにふさわしい世界を構築する一助となるグローバル・ムーブメントに加わるよう呼びかけるものである。」として子どもの権利の実現により、子どもにふさわしい世界を構築することが宣言され、国連の子どもの権利委員会はその約束に従って日本における大綱の見直しを求めています。奈良県の動向はこうした世界の流れに対する逆流です。教育基本法や少年法の改悪提起も同様です。
わが国の首相が国際的に約束した施策であることに自信をもって、この条例や継続審議となっている改悪法案を撤回させ、新しい流れを作り出すことが、私達には求められているのではないでしょうか。(つだ・げんじ)(以上がコピーです。)
Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2012年04月26日01:03

この記事のコメント

ケースバイケースでいいですよね。ある県では恋人同士であったのにもかかわらず社会人の20代の彼が書類送検されて高校3年の女子高生の彼女がショックで鬱になったあげく自殺した子もいたけれど、強要や金品目的とかでなければケースバイケースで良いと思う。
好き合って付き合っている恋人同士ならば他人が踏み込むべきではない。 長野県警の本部長が県議会で例をだしていたが、一つは被害相談を受けていたのだから、これを淫行条例が無いから逮捕できなかったというのはおかしい。被害を受けたと相談受けていれば条例がなくても現行刑法で罰する事は出来るはず。もう一つの例も結局は女の子側の許可が無いそうなのでこれも条例が無いからは言い訳に過ぎない。状況によってで良いと思う。ちなみに国連基準では子供は義務教育以下であって日本では中学生以下にあたる。
Posted by 暁44 at 2012年07月20日 19:50
暁44様 コメントありがとうございました。そのように考えればとても分かりやすいです。東御市の教職員による事件も、現行の児童福祉法で逮捕・処罰できたのだと思います。意図的に取り上げられたのだとも感じます。
Posted by 子ども白書編集委員会. at 2012年07月21日 07:08
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