小学校道徳教科書「かぼちゃのつる」の記事にコメントいただきました!

長野の子ども白書編集委員会

2023年06月20日 08:23

小学校道徳教科書「かぼちゃのつる」の記事にコメントいただきました!

「かぼちゃのつる」…覚えていますか?知っていますか?

「かぼちゃのつるが」というのびのびした「詩」が、道徳教材になってとんでもない扱いを受けてるっていうお話しでした。
久々にこの記事にコメントが届いたのでここに紹介します。文科省の「子ども観」はヘンです!!

「言うこと聞かないと痛い目に遭うぞって? 子供と親をバカにするな。 かぼちゃのつるの住んでいる世界はなんのための秩序なのかが不明瞭のままということが物語の出来がそもそも悪くないかこれ。 もし人間が彼らを意図的に繁殖させて植えているなら、このあと収穫伐採されるはずだろう。 それはかぼちゃたちにとってはホロコーストの可能性もあるんだよ。 かぼちゃのツルはかぼちゃ畑の中セーフゾーンをでるな、トラブルが増えるから。 という主張がさっぱり飲み込めない。 明日のことはわからないし誰も守ってくれないかもしれない。 たまたま、かぼちゃのツルは向こうの道が楽しそうだと面白そうだと思った。 ↑この場合、かぼちゃのツルはなぜそう思うにいたったのだろうか? 彼は畑がまだ空いてると言われ、スイカや犬に文句を言われたのに外へ出続けたのだろうか? このとてつもない好奇心やエネルギーはどこからくるんだろうか? ある意味、いいことなのではないか? また、反対に忠告した蜂や蝶々は、なぜヘタの行動へのエネルギーの原動力に関心をモテなかったのだろうか? 気にもしないのだろうか? 危ないとわかっていたのにわざわじ行くって尋常じゃない理由を聞かないのはなぜ? そもそも主人公は、本当に悪いことをしただろうか? 他人の土地に人間が入ったら法律上勿論だめなんだだけど、これはかぼちゃのヘタの話であり、スイカのヘタと交わってもいいし、スイカの上を通るのも別にいいのでは? 犬に踏み越えろというのも、転んで危ないとかあるかもだけどそこまで目くじら立てる話でもない。 道路にでて踏まれても、切れても多少痛みをおえば、道路の犬やスイカの人もいるということがわかったわけだし、なによりホロコーストの未来の場合、仮に今収穫しに来た人間が来ても、今の彼ならにげきれることもできるわけで実はラッキーかもしれない。 それは行動した事がある人間にしか手にできない素晴らしいチケットかもしれないわけだ。 しいていうなら、この話の不幸なところは主人公の周囲が ・最初の場所は安全性が保たれていること。 ・やりたいことの中でも周りの忠告や反感を買いやすいような、自分だけが面白いことは、本人の身が危なくなることもあること。 ・好奇心で行動することは迷惑をかけたりデメリットもあるが、とっても大きいメリットがあるかもしれない、そしてそれはその瞬間の事象だけでは判断できないこと。 を教えてほしいのにしないことだろ? この話で足りない要素として、同じ志の仲間がいないこともある。 なんか向こうの道面白そうだって? あー確かに楽しいかもしれないよね? 一緒いってみる? ただ、車来たらやばいんであなたが通る間、道路みとくわ。来たら合図するよー! という友人が1人くらいいてもいいもんだよ。 親としては、 今までとは違うルールができて、他国が自分のつるを伸ばしたい、は世界中で当たり前に起きている。 その時に、どういう行動をとるのか、そして他人のために行動するのも大事だけど、自分のやりたいことだけやりまくる道もありだ。 その条件は2個。 周りが全て同じ秩序でしか生きていないとき。 自分が嫌なのに、他人がこうしろって押し付けてきて疲れたり心が壊れそうになるとき。 この場合は戦ってもいいし逃げてもいいからやりたいことをしよう。」

因みにこの「かぼちゃのつるが」という原作詩はこちらです。「自由におおらかにのびのびいきよう!」という教材としても国語教科書にありました。

「かぼちゃのつるが」
                   原田直友

          かぼちゃのつるが
          はい上がり
          はい上がり
          葉をひろげ
          葉をひろげ
          はい上がり
          葉をひろげ
          細い先は
          竹をしっかりにぎって
          屋根の上に
          はい上がり
          短くなった竹の上に
          はい上がり
          小さなその先たんは
          いっせいに
          赤子のような手を開いて
          ああ 今
          空をつかもうとしている