不登校対応の可能性「学校」が探る(信毎記事から)
不登校対応の可能性「学校」が探る(信毎記事から)
本日信毎教育欄に、「不登校対応の可能性探る学校」の記事がありました。
駒ケ根市立赤穂小学校で、不登校の児童が学校イベントの臨海学校に参加し、不登校傾向が変わった…と言うケースを紹介しています。
■不登校児童が希望すれば学校や学年の行事に参加できるよう、「配慮」することはどこの学校でもやっていると思います。必ずしもそれが登校へのきっかけにならないにせよ、子ども本人の希望を尊重しようという努力は、どの学校でもしていると思います。
■例えば集団一致行動に参加しなくても良い配慮・集団のルールから外れても許容される配慮・本人の特性や困り感に配慮を共有する環境・・・これらが実現すれば参加できる…こういう配慮が日常でもされれば「登校できる」・・・という事だと思います。
■長く現場にいた人なら、誰でもそのことが必要であり実現するように努力することは責務だと思っていたと思います。今も。
■ではなぜ今こうしてこと新たに報道されているのかと言えば、その配慮は学校教育の全体に日常的にされて欲しいという「意味」が認知されてきたからだと思います。「不登校の増加」という数の力で。子どもや保護者の声の切実さで。
■同じ紙面にNPO子ども若者サポートはみんぐの戸枝智子さんが語っています。「公教育に求めたいのは、不登校の児童生徒の親が求める提案をしっかり受け入れて実行することです」と。子どもの声・保護者の声を真摯に受け止めてその願いに応えようとする学校に、子どもたちは登校復帰を果たすように思います。
■保護者対応に追われる現場の教職員に「保護者クレーマーへの対応マニュアル」みたいなものさえ配布されているのが現実です。それは教職員も子どもや保護者の希望がわかっても「そうしてあげたいけどできないんです」としか答えようがないからです。どうしてできないか考えて見る余地がそろそろ見えてきたように思います。「多様な子どもへの対応」が建前上言われている時代です。軸足は「子ども」に。
■長野の子ども白書主催「学校のあるある対話会」は明日午後2時から長野市高校会館で開催です。不登校の要因は「学校教育の諸問題」にあります。それは例えば「みんな同じでなければいけない」というようなおかしなスタンダードや大人が子どもを支配する「ふつう」からの脱却かも。