「教え子を二度と再び戦場に送らない」
かつて長野県は満蒙開拓に続いて率先して少年たちの送出計画を立て、終戦までに満州に送られた全国の少年約8万6千人のうち、最も多い6800人余を送り出しました。その背景には、1933年年に起きた大規模な思想弾圧「2・4事件」で、非合法の労働組合、労働運動に関わったとの理由を付けた治安維持法違反の疑いで県内の66校の教職員230人が摘発されたことがあります。この事件を信濃教育会は「信州教育に於(お)ける一大不祥事」と批判し、汚名返上のために率先して義勇軍の送出を推進したのです。後に、「先生たちは何度も家庭訪問して『満蒙開拓は大事な国策』と語り、熱心に説得された」と生還した元隊員たちは証言しています。満蒙開拓記念館には、当時自分が教え子を戦場に送った過去を悔やみ、その事実と謝罪の思いを語るために訪れた方がいるという話も聞きました。2・4事件の弾圧の恐怖や締め付けから、子どもを動員することに抵抗できる教員はいなかったのです。 国と軍と県そして信濃教育会が一体化して、子どもを国策にまきこむことになりました。義勇軍に送られ、戦闘にも参加し、敗戦で捕虜となって収容所生活を送ったのちに帰還された方々が、これまで続けてこられた墓参の旅もご高齢のため終えることになったと聞きました。ソ連軍の攻撃や逃避行、収容所での病気などで県内の約1400人が亡くなりました。満蒙開拓の背景には農村の貧困がありました。政治と教育が結びつく背景には、厳しい思想弾圧がありました。
今、改憲の動きや、集団的自衛権、秘密保護法、道徳の教科化などが、かつての戦争への足取りによく似ていることを、多くの人々が警戒しています。だからこそ、長野県の教育関係者の多くが「教え子を再び戦場に送らない」という思いを強くしています。もし、言論の自由や教育の独立が脅かされようとするなら、子どもたちのために毅然と抗える長野県の教師であってほしいと思います。いただく年賀状には「平和」「戦争はイヤ」「憲法9条」の決意がいつもの年よりずっと多いのは、じわじわとよせくる波音を聞いているからかもしれません。
2015年、子どもたちに平和を。