学生たちの目から見た「子どもの貧困」・無料学習支援の活動を通して

2016長野の子ども白書掲載記事予告⑬

学生たちの目から見た「子どもの貧困」
~無料学習支援の活動を通して考える~

はじめに
 私の担当している長野大学社会福祉学部の「専門ゼミナール」(以下、「ゼミ」と略記)では、「子どもの貧困」というテーマを設定し、学んできました。2015年度のゼミ活動の一環として、学生は長野市で行われている無料学習支援「きずな塾」(反貧困ネット長野主催)の活動にサポーターとして参加させていただきました(「きずな塾」および反貧困ネット長野の活動については、2013年、2014年、2015年の『長野の子ども白書』で宮﨑ようこ氏より詳しく紹介されています)。ゼミでは、活動を通して「子どもの貧困」をどのようにとらえたのかを学生自身の視点から振り返り、報告集『学生の目から見た「子どもの貧困」2015』(2016年2月発行。以下、「報告集」と略記)としてまとめました。
 ゼミには社会福祉学部3・4年生が集まり、18名の学生が活動に参加して報告集を執筆しました。社会福祉を学ぶ学生ですが問題関心は様々で、どちらかといえば「貧困」よりも「子ども」に関心がある、子どもが好きな学生が多かったように思います。
 本稿では、報告集での学生からのコメントを紹介しながら、「貧困」「SOS」「居場所」という3つのキーワードから「子どもの貧困」について何が問われているのかを考えてみたいと思います。


「貧困」
「貧困」とりわけ「子どもの貧困」をどうとらえるかについて多くの学生が触れています。そこでは、(1)見えない、見えにくい「貧困」をどのように把握するか、(2)私たちの持つ「貧困」のイメージについて、という2つの論点がありました。
第一に、見えない、見えにくい「貧困」に関して、多くの学生にとっては活動で出会った子どもたちが「貧困」であるようには感じられなかったようです。その一方、学生Aさんは「何気ない日常生活に貧困は隠れているのではと考えた」(Aさん、報告集より)と指摘しています。また、学生Bさんは(ディスカッションで他の学生から寄せられた意見として)「印象だけでは貧困を見つけることは出来ない。大人が何度も関わることで変化に気づくことが重要」(Bさん、報告集より)と述べました。このように、子どもたちとの何気ないかかわりを通して、表面的には見えない生活問題にアプローチしていくことが重要であるといえます。
第二に、私たちが無意識のうちに持っている「貧困」のイメージへの気づきについて多くの学生が言及しています。例えば、学生Cさんは「私たち学生をはじめ、『「貧困」であるような子どもたち』と決め付けているのではないか」としたうえで、「『貧困』ではない人が『貧困』を悪いものと考えているから余計に深刻な問題になってしまっている…(中略)…『貧困』=『不幸』ではない」と述べています(Cさん、報告集より)。学生に限らずネガティブな貧困観を持っている人は少なくないと考えられますが、このコメントから実際のかかわりを通して意識が変化していることがうかがえます。同時に、「貧困」を「問題」としてとらえることで、ある人に対して「貧困者」というラベルを貼ってしまう危険性を示唆しているといえます。(続きは白書で)


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2016年03月20日20:44

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