「子どもの声を聴き入れ、聴き届ける」ことで無くせる・救える子どもの人権侵害被害。
2021~2023まで、長野の子ども白書が届けたかった「子どもの声」は、学校で起きたいじめや不登校・体罰・暴力について、「なかったことにされてきた被害」にまつわる学校や教育委員会の対応への訴えでした。特徴的な事例はいくつか当事者の報告に依る記事を何件か掲載しましたが、そのうち、長野県子ども支援条例下の支援委員会に救済を申し出た2件について、委員会は延べ3年の協議の末、3月に県教委への「勧告」を発しました。(条例制定後初めて)
この勧告について、県教育長が見解を表明しました。昨日の信濃毎日新聞に記事がありました。
2件の人権救済申立てについて、
①小学校のいじめ・不登校については、勧告を受けて「再調査」を要請。
②中学校部活の体罰(体罰を含む暴力・暴言)については、「第三者委員会」を設置し、認定した体罰のほかにも体罰行為があったかどうか再調査するよう要請しました。
他の事例を見ても、第三者委員会ができたり再調査が開始されたりしても、何年も時間が経っていることで、困難な面やさらに時間がかかることも考えられます。そのため逆に「なかったこと」にお墨付きをされてしまうことすらあります。世論の監視や後押しが欲しいです。詳細は2023長野の子ども白書p30~36参照。(近日中にHPに公開)申立て本文は2021長野の子ども白書(HPに公開中)
■そもそも、子どもが学校で「いじめられている」、または「体罰がある」と告げた時に、きちんとその声を聴かず、「たいしたことないよ」「そんなつもりじゃない」「被害妄想だよ」「お母さんが神経質すぎる」などと指導し、本人の申し出(声)を信頼し尊重しない対応から始まります。この時、せっかく自分の気持ちを伝えても「信じてもらえない」「嘘つき呼ばわりされる」「自分がいけないのだと説得される」体験が、どれほど大きな傷を心に遺すのかその事例を教訓にしてほしいです。「自分の言うことを信じない大人・学校・社会」のどこに居場所を探せばよいですか?
■部活での顧問の体罰や暴力についても、学校の対応がまるで子どもの受けた被害とその痛みを聴き入れず、「先生は熱意のあまりやりすぎた」とか、被害を訴えた当事者を「がまんが足りない」かのように排除したり、学校の対面のためだけに「無かったことにする」ことから始まります。
■今朝の信毎「コンパス」には、古山明男さんが「マルトリートメントの害毒」として、学校内で「子どもだから」と許されている人権侵害が子どもを苦しめていることを書いています。2023長野の子ども白書「学校あるある」はほとんどがそれです。この件については、2022長野の子ども白書で、ライターの小鳥遊さんが、「アンコンシャス・バイアスとは何か」で、鋭く指摘しています。子どもの学校での小児期逆境体験が、その発育や発達に大きな影響を与えるということも書いています。
■春先の信毎の特集「ふつうってなに」シリーズも、この視点から考えると実に鮮やかでわかりやすいです。(よくわからない結末にも不満)今こそ、「子どもの声を聴く」価値観に私たち自身が変えていく時期です。「子どもは権利の主体です」。