昨年の子どもの自殺513人。原因は「学校問題」(学業不振・進路・友だち)最多。

昨年の子どもの自殺513人高止まり。原因「学校問題」(学業不振・進路・友だち)最多。

 本当に悲しく悔しいことです。子どもが生まれない・・・どころか、せっかく生まれた奇跡のいのちを、子どもが自分で終わりにする国・にっぽん。
日本が「幸福度調査」で高評価を得られないのは当然と言えば当然です。こんな社会はイヤだ。

 子どもの自殺・とりわけ学齢期の現役児童・生徒の自殺が多いのはなぜなんだろう…。調査して分かっただけでも、その原因や動機は「学校」に多くある。次いで多い「健康問題」は、2次的に発症した精神的病気や身体症状であり、「家庭問題」も、最近言われている、家庭の学校化が子どもの困難を容認しないことで子どもが追い込まれてしまう2次被害だと思います。
 
 不登校の子どもたちや、いじめを訴えても信じてもらえない子どもたちが必ず口にする「死にたい」は、学校と言う「社会」でその存在を否定される孤独感につながっています。「学校に行くのをやめた」子どもたちが「命びろい」したと感じるのはそのためです。
 
 私には「子どもを評価・管理する学校」が、大きな川に架かるつり橋のように思えます。ゆらゆら揺れるつり橋をドキドキしながらわたるのは楽しいものです。でもいったん大きく揺れたり誰かに揺さぶられたり川底を見て恐ろしくなってしまったりしたら、その足が止まり立っていることすらできずそこにうずくまってしまいます。それでも「ここを渡るしか向こう岸に行かれないよ」と言われて、はいつくばって渡ったり誰かに肩を貸してもらって渡ったりします。「また明日もわたれ」と言われたら「ダメ」と言える子は正直です。(みんなはできているのにじぶんはできないという自己否定感に苛まれながら)。「不登校する子は勇気がある」と言ってくれた小児科医もいます。
 がんばって渡ろうとしてもうがんばれないのにわたり続けたら・・・。

渡るのをやめてみたら、川面に浮かぶ小舟を見つけます。ちょっと回り道だけど気ままに向こう岸に行かれる野道もあるのがわかります。つり橋の先だけが向こう岸じゃないこともわかります。ちがう橋を渡った大人にもたくさん出会います。あのつり橋を渡らなかったことを「自分がダメだから」と思わすに安心します。自分がどうしてあのつり橋を渡れなかったのかその時はじめてわかります。(もうつり橋には聴いてもらえないけど) 本当の願いはこのつり橋をみんなが楽しく安心して渡れる橋になってほしいことです。
                                                                                       つり橋を渡れない子が増えているので、川岸に分校(管理者は同じ教育委員会だからね)を作って「ここにおいで」という『学校』もあるけど、子どもを管理したり評価したりすることで自分の事業評価をするような『学校』だったら、つり橋とあまり変わらないと思う。「適応力」や「我慢強さ」も評価するらしいけれど、そのことがつり橋を大揺れさせているんだってこと、気付いて欲しいな。

つり橋を渡れない子に「いつでもここに来ていいよ」と言えるのは、教育委員会の管理を離れた「あそび場・広場」が内包する「まなびの場」。
(川崎市は子どもの権利条例によってこの施設が実現している。子どもの問題を横断的にとらえる施策や事業には「条例」が必要だから)




 
Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月30日08:17

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