掲載予定記事紹介 ⑦私がやりたいこと・学びたいことはもっと違う進路の先にある

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ⑦私がやりたいこと・学びたいことはもっと違う進路の先にある

私がやりたいこと・学びたいことはもっと違う進路の先にある
 ボランティア団体Aspiration創設者・株式会社LeaP UP!創業メンバー 大西 彩桜

はじめに
大西さんはどんな人?と聞かれたとき、私はいつも「うどん」みたいな人でありたい、と自己紹介しています。しなやかさを持ちながらも強いコシがあり、一本の筋が通ったうどんには、和風だしや醤油だけでなく、さまざまなスパイスの辛みや風味が効いたカレーも、ケチャップやバターと炒めても、キムチ鍋の〆にも美味しい。うどんには、異なる歴史や文化などの違いを受け入れて調和させるポテンシャルがあります。私自身も、「自分らしさ」を持ちながら他者を受容して世界を広げていきたい、そんな考えに至った私のこれまでの経験と思考を覗いていただけたら幸いです。

なんで長野高校を辞めたの?
私には、高校生のうちに達成したい目標が二つありました。一つ目は、自分が探究したいことを専門的に学べる大学への合格。二つ目は、カンボジアの農村部の小学校に絵本を作って届けるプロジェクトの達成。結論から申し上げますと、私は高校3年生の7月に、長野県立長野高等学校から通信制高校へ転校しました。長野県内ではよく知られた進学校を、受験生の夏目前に辞めたことは、多くの人から驚かれ、もったいないとも言われました。確かに、転学は簡単に決断できたわけではなく、悩み続けて動けなかった時期もあります。でも自分の人生で本当に大切にしたいことは何か?と自分に問い続けた結果、いま情熱を持って取り組みたいことに時間を使いたい、信念を持って臨みたいという答えが出たのです。残念ながら、より良い大学に行くことを目的とした教科学習や、偏差値を上げるための競争に高校生活のほとんどの時間を費やすことは、私の求める「学び」ではありませんでした。転校を選択し、自分の時間が自由に使えるようになったことで、二つの目標を達成することができ、今は第一志望であった大学で新たなスタートを切っています。

私の人生は私に決定権がある
私は幼少期から常に親の顔色を窺いながら、迷惑をかけないよう、怒られないように振る舞う子どもでした。親が喜んでくれることを選択し、家でも学校でも、誰かの何気ない言葉にプレッシャーを感じ、毎日机にかじりついて勉強しないと不安になり、空気を読んでは「いい子」を演じ続けていました。もしかしたら高校選びも他者の評価を気にして選んだ節があったかもしれません。
とても厳しかった私の両親は、私の弟が小学校低学年のときに不登校の選択をしたことをきっかけに、他者からどう見られるかの相対評価を気にするのではなく、個々がやりたいことを最も大切にし、どんな選択も応援してくれるようになりました。この家庭内の環境変化はとても大きく、自分の思いを伝えても否定されず受容される環境は、私に安心して自分と向き合う時間をもたらしてくれました。高校を何度も何度も休んで、立ち止まる時間、自分の感情を見つめる時間を経て、自分だけの道しるべを模索することができました。
今では、両親は心から信頼して相談できる存在です。
こうして今の私は、私の人生は私に選択の決定権があり、私の価値は、学歴や偏差値、他者との比較で決まるものではなく、「私が私らしく生きていること」そのものにある、と確信しています。
誰しも、大なり小なり「他者の評価」を気にして自分の人生の選択をそこに委ねることがあると思います。また、情熱を傾けるものが見つからない、好きなことがない、などの声も周りからよく聞きます。おそらく、私たち学生は勉強に、塾に、部活にと、与えられるものが多すぎて、毎日が忙殺され、「自分の声」に耳を傾ける時間など全く無いのではないでしょうか。
あれもこれも、「しなければならない」に追われているうちに、「これやってみたい!」という気付きなど、すぐに見落としてしまうということを体感してきました。自分が強く興味を惹かれたものを、後回しにしたりないがしろにしてしていれば、「好きなことなんてない」となってしまいます。
「与えられる学び」「押しつけられる学び」には、私も、そして不登校を楽しむ私の弟も全く興味がありませんが、ゲームでもニュースでも、気になることや面白い内容はどんどん調べて、誰よりも詳しくなっていきます。「欲する学び」こそが、本来の学びの姿なのだと実感しています。
高校や大学、会社であっても、人生の選択肢は自分から狭めたり、執着したりする必要はなく、自分が大切にしたいこと、大好きなこと、やり始めたら止まらないワクワクなど、自分だけの唯一無二の宝物を信じてこれからも人生を歩んでいきたいです。

私が挑んだ活動
“図書館はあるのに絵本が足りないんだ。子どもたちも読み飽きてしまっている”
昨夏、私は農村部の小学校で行われるボランティア活動に参加するために、アンコール・ワットで有名なカンボジアに降り立ちました。ボランティアでは、学校建設や村民・小学生の健康診断のお手伝い、小学校で自主企画の企画立案・実行等を仲間と共に行いました。そんなある夜、子どもたちの笑顔に囲まれて活動を進められた楽しさに浸りながら、カンボジアの料理を食べるためにネオンが輝く繁華街へと足を運びました。美味し料理と楽しい時間を満喫していると、そこに一人の物乞いの少年が、目に涙を浮かべながら近づいてきました。
「お金を渡してはいけない」1ドル札を渡そうとした私に、スタッフが声をかけてきました。犯罪組織が人身売買で買った子どもに物乞いを強いている可能性があることや、一人に渡すと他の物乞いが寄ってきてしまい、対処しきれない可能性があるからです。少年を目の前に、私はどうすることもできず、やりきれない気持ちを抱きました。この一件から、私は、今の私にできることはないかを模索し始めた。ふと思い出したのが、冒頭のフレーズです。カンボジア農村部の小学校に出向いた際、校長先生から直接聞いた“現状”です。実際に図書館内へ案内していただきましたが、絵本の数は100冊にも満たないだけでなく、どれもボロボロの状態でした。一方で、カンボジアで過ごすうちに、子どもたちが手を洗わずにご飯を食べる等、健康意識の低さも気になっていました。そして、2023年1月、学校の「絵本不足」と「低い健康意識」の課題を同時に改善したいと考え、カンボジアで出会った仲間と共にボランティア団体「Aspiration」を立ち上げ、「カンボジア農村部の小学校に絵本を作って贈る」挑戦が始まりました。今日に至るまで、進めるほどに次々と生まれてくる課題に、時に苦しさを感じながらもメンバーと絵本の内容に熟考を重ねてきました。多くの方からのサポートをいただいて「手洗いの重要性を伝える絵本」をクメール語で製作しました。9月に始めたクラウドファンディングも45名を超える方々にご支援いただき目標金額を達成し、2024年2月、304冊の自作絵本を届け、手洗いのイベントを開催することができました。ここまで規模を大きくして活動できるとは1年前の私には想像すらできなかったし、言い訳材料をなくして出来る限りのことを実行できたことに大きな価値を感じています。

最後に
何かを選択し、何かに挑戦するとき、それには莫大な時間と苦悩が生じると思います。そんなときでも、なんでも楽しみながら自分らしく生活していれば、自ずと目指す方向へと進んでいくと思います。私自身、恵まれた環境で育ってきたことを自覚していますが、辛い想いをしている人や安全や自由すらも制限されている環境で生活している人が幸せだと感じる社会を創造できるよう、邁進していきたいと思います。

大西彩桜 立命館アジア太平洋大学1年。高校2年生で18日間カンボジアへボランティア活動へ行く。日本帰国後、現地の課題を少しでも解決したい想いで「カンボジア農村部小学校に絵本を作って届ける」プロジェクトを設立。手洗い絵本を作成し、2024年2月、300冊の自作絵本を小学校に届けに行く。2024年9月、カンボジアに500冊の絵本を届けに渡航予定!大学では「自由と安全が保障される」社会を創造すべく、人身売買や児童労働、労働搾取の問題に関して研究していく予定。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月15日07:09

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