一年生のどうとく教科書(光村図書)「かぼちゃのつる」

一年生のどうとく教科書(光村図書)「かぼちゃのつる」

〇かぼちゃのつる(教材本文)
 おひさまが、まぶしいあさです。
かぼちゃばたけの かぼちゃのつるは、ぐんぐんぐんぐんはたけのそとへのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」みつばちがとんできて、こえをかけました。
「そっちへのびてはだめですよ。そこはみんながとおるみちですよ。」
「そんなことかまうものか。」
かぼちゃはそういって、ききません。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」こんどはちょうちょがとんできて、いいました。
「あなたのはたけは、まだまだすいていますよ。そちらへのびたほうがいいですよ。」
「いやだい。ぼく、こっちへのびたいんだい。」
かぼちゃのつるはみちをこえて、すいかばたけにのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」すいかが、よびとめました。
「ここはわたしのはたけだから、はいってこないでくださいよ。」              「ちょっとくらい、いいじゃないか。」かぼちゃのつるは、ぐんぐんすいかのつるのうえを、のびていきました。
「かぼちゃくん、かぼちゃくん。」こいぬがとおりかかって、はなしかけました。
「ここはみんなのとおるみちだよ。」
「またいでとおれば、いいじゃないか。」こいぬはおこってつるをふみつけました。
「ふまれたってへいきだい。」そこへトラックが、ブルンブルンとやってきました。
そして、あっというまに、かぼちゃのつるをぷつりときってしまいました。
「いたいよう、いたいよう、ああん、ああん。」
かぼちゃは、ぽろぽろぽろぽろなみだをこぼしてなきました。
(以上本文)

■私はこのかぼちゃくんが好きだな。ぐんぐんのびろ。
■おこってつるをふみつけるのはいいのか?
■つるをぷつりときってしまうトラックは一時停止もしないのか?


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2018年11月22日21:18

この記事のコメント

この話し、教えてもらいネット検索して読んだ。正直、なんじゃこれ?と。何を教訓にしたいのかさっぱり不明。カボチャのツルのように自由にのびのびしてると痛い目に遇うぞ、とかワガママしてると痛い目に、大人の言う事は黙って聞け、みたいな?回りくどく回り回って訳がわからない。大人がわからないのに子どもがわかるわけない。真面目にこんなのやらせるの?他にも正しいあいさつ、何てのもありますね。次の内正しいあいさつはどれ?1お早うございますと言いながらお辞儀する。2お早うございますと言ってお辞儀する。3お辞儀してからお早うございますと言う。正解は二番とのことです。やはり大人でもわかりません。そんな形式より、気持ち良くあいさつしたらいいんじゃないの。茶道何かでは形がありますが、これらは、日本会議が広めようとしている、江戸仕草、と無関係ではないような気がする。お早うございますと言ってお辞儀する。まるで軍隊のようです。
Posted by 太陽の破片 at 2018年11月22日 21:38
追伸、カボチャくん、どんどんツルを伸ばして腐った国会をぐるぐる巻きにしてやりなさい。中にいるふんぞり返ったお偉いさんは、カボチャくんよりカボチャ頭の連中ばかり。
Posted by 太陽の破片 at 2018年11月22日 21:54
補足、日本会議が広めようとしている江戸しぐさ、全く根拠はありません。マナーの名の下に今や企業の研修にも使われているようですが、江戸時代の江戸っ子のしぐさなどは全く資料はないです。一部の片寄った人の片寄った価値観です。いよいよ教育の現場に入り込んで来ました。実は怖い事です。
Posted by 太陽の破片 at 2018年11月22日 22:15
何だこの話は?

かぼちゃのつるが変なとこに伸びたからって、いろいろ言うやつは自然にはいないよ。みんなうまく共存してるんだよ。

なのになんだ、この話。読んでて気持ち悪い
Posted by 通りすがりの日本人 at 2018年11月28日 16:18
言うこと聞かないと痛い目に遭うぞって?
子供と親をバカにするな。
かぼちゃのつるの住んでいる世界はなんのための秩序なのかが不明瞭のままということが物語の出来がそもそも悪くないかこれ。

もし人間が彼らを意図的に繁殖させて植えているなら、このあと収穫伐採されるはずだろう。
それはかぼちゃたちにとってはホロコーストの可能性もあるんだよ。

かぼちゃのツルはかぼちゃ畑の中セーフゾーンをでるな、トラブルが増えるから。
という主張がさっぱり飲み込めない。
明日のことはわからないし誰も守ってくれないかもしれない。

たまたま、かぼちゃのツルは向こうの道が楽しそうだと面白そうだと思った。
↑この場合、かぼちゃのツルはなぜそう思うにいたったのだろうか?
彼は畑がまだ空いてると言われ、スイカや犬に文句を言われたのに外へ出続けたのだろうか?
このとてつもない好奇心やエネルギーはどこからくるんだろうか?
ある意味、いいことなのではないか?

また、反対に忠告した蜂や蝶々は、なぜヘタの行動へのエネルギーの原動力に関心をモテなかったのだろうか?
気にもしないのだろうか?
危ないとわかっていたのにわざわじ行くって尋常じゃない理由を聞かないのはなぜ?

そもそも主人公は、本当に悪いことをしただろうか?
他人の土地に人間が入ったら法律上勿論だめなんだだけど、これはかぼちゃのヘタの話であり、スイカのヘタと交わってもいいし、スイカの上を通るのも別にいいのでは?
犬に踏み越えろというのも、転んで危ないとかあるかもだけどそこまで目くじら立てる話でもない。

道路にでて踏まれても、切れても多少痛みをおえば、道路の犬やスイカの人もいるということがわかったわけだし、なによりホロコーストの未来の場合、仮に今収穫しに来た人間が来ても、今の彼ならにげきれることもできるわけで実はラッキーかもしれない。
それは行動した事がある人間にしか手にできない素晴らしいチケットかもしれないわけだ。

しいていうなら、この話の不幸なところは主人公の周囲が

・最初の場所は安全性が保たれていること。
・やりたいことの中でも周りの忠告や反感を買いやすいような、自分だけが面白いことは、本人の身が危なくなることもあること。
・好奇心で行動することは迷惑をかけたりデメリットもあるが、とっても大きいメリットがあるかもしれない、そしてそれはその瞬間の事象だけでは判断できないこと。

を教えてほしいのにしないことだろ?

この話で足りない要素として、同じ志の仲間がいないこともある。

なんか向こうの道面白そうだって?
あー確かに楽しいかもしれないよね?
一緒いってみる?
ただ、車来たらやばいんであなたが通る間、道路みとくわ。来たら合図するよー!
という友人が1人くらいいてもいいもんだよ。

親としては、

今までとは違うルールができて、他国が自分のつるを伸ばしたい、は世界中で当たり前に起きている。
その時に、どういう行動をとるのか、そして他人のために行動するのも大事だけど、自分のやりたいことだけやりまくる道もありだ。

その条件は2個。
周りが全て同じ秩序でしか生きていないとき。
自分が嫌なのに、他人がこうしろって押し付けてきて疲れたり心が壊れそうになるとき。

この場合は戦ってもいいし逃げてもいいからやりたいことをしよう。
Posted by 奴隷作りかよ at 2023年06月20日 00:19
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