子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から

子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から朝陽公民館体育館

「子どもの権利条約」の理解を広げる活動を考えていましたが、たまたま「子どもの権利条約」を地域の「人権を考える住民集会」に取り上げてくださった地区があり、長野の子ども白書を代表して、曲渕紀子さんと子ども記者の高校生が講演を行います。身近な話題から「子どもの権利」「意見表明権」「31条」などお伝えし、その理念を考えていただく予定です。どなたも参加できるようです。お近くの方はご参集ください!!ご発言も。

 昨年度出発した「こども基本法」「こども家庭庁」は、「子どもの権利条約」の精神を生かすことを明記しました。日本が国連子どもの権利条約を批准してから30年の節目である・・・ということもあり、「今こそ子どもの権利条約を!」と喜んでいたのも束の間、いっこうにその理解や啓蒙はすすまず、「なんのことやら」で実効ある実現が遠のきます。
 世界に目を向ければ、子どもの権利条約がその制定の動機となった「戦争の無い平和な社会を!」という願いが、踏みにじられ、多くの子どもたちが戦禍にまきこまれ生命も安全も子ども期のしあわせのすべてを奪われています。
 子ども・若者の生きづらさが語られ始めて20年、「しあわせな子ども期」は日本でも長野県内でもどんどんやせ細っていくように思えます。長野の子ども白書が見つめ続けてきた「しあわせな子ども期」は今、社会は子どもたちに何をしなければならないのかを教えてくれています。それは、大人にとっての「財産」私有物」「人材」としてのとしての子どもではなく、人権を持った、権利の主体としての子どもの今を保障する「子ども観」への理念の転換を求めているのだと思います。
 「子どもの声を聴く」「こどもまんなか」ということばにこめられた「こどもを主人公にその最善を」という意味は、「子どもは大人や社会の都合や期待で育ててはいけない。」というところに行きつきます。

 先進国38カ国中、子どもの精神的幸福度が37位である日本の子どもは、大人が考えたら「十分しあわせ」な状態であっても、子ども本人には「しあわせ」と感じられない「子ども期」を過ごしているのです。「生きづらさ」「不登校」「自殺死亡率」「いじめ」などの背景に、「行き過ぎた競争主義的社会がある」と、国連子どもの権利委員会は日本政府に勧告しています。第31条「余暇・レクレーション・文化・休息などの保障」の尊重も助言されています。「競争」にはかならず目盛や数値や標準があり、「人並」を求める考えはどうしても「ふつう」を作り出し、排除されないように同調や適応を強いられます。それらはあからさまにではなく自然なふるまいとして子どもたちに教えられ、内在化します。でもこれは、大人が自分の子どものために、良かれと思ってアドバイスしたり、教え子のためを思ってルールを決めたりしていることで、子どもは「ありのまま」では愛されない・評価されないことを知ります。「ありのままの自分」は、精神的に解放された「自由な自分」(しあわせな自分)です。

 さて、「子どもの権利条約の「子どもは権利の主体」という理念に、長野の子ども白書はいくつかのエピソードから迫ります。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年10月19日07:19

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