2017長野の子ども白書を読む
311からの生活、親たちはどうやって 子どもを守ろうとしたか
執筆者:手をつなぐ3.11信州 森永 敦子氏
原発事故と放射能汚染
事故から6年、ほとんど報道されなくなってしまっ た福島第一原子力発電所のある福島県は、「復興」という言葉で問題がなくなっているかのように案内されています。国内向けの発表では、チェルノブイリ事故より被害は少ないとされていますが、今も放射性物質の拡散が続く福島の現実は「原子力緊急事態宣言」が出されたままの被災地です。すぐに石棺により放出を食い止めたチェルノブイリ とは違い、冷却し続けないとまたメルトダウンする原 子炉から空気中への放出は続き、デブリ(溶け落ちた 核燃料)は地下水に接触し、水蒸気として空中に放出 されると同時に汚染水として毎日太平洋に流れ出ています。それらはいつになったら止められるのかわか りません。ですが、みなさんは毎日考えられないほどの放射性物質が身近に存在しているということを意識 されているでしょうか?私は311後、2011年5月に長野に避難し、支援活動を続けながら放射能による子どもへの影響について 2013版から執筆させていただいています。ですが、長野県民にとっては、どうしても遠い出来事と思われてしまい、自分たちの周囲に少しずつ危険が増してきていることに気が付いてもらえないというジレンマを抱くようになりました。子どもたちをとりまく環境は決して楽観視できません。1962年にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が出版されました。日本が高度経済成長へ向かおうと しているその時期に自然破壊の問題を警告したこの本は世界中に波紋を呼びました。1974年には有吉佐和子が朝日新聞に「複合汚染」を連載、今度は日本から子どもたちの未来への危険を問いかけました。ですが、今の日本のおとなたちはそういった警告にきちんと向き合っているでしょうか。ことあるごとに「自然が豊かな」と形容詞の付く長 野県ですがそこに生活しながら、311以後疑問を持ち調べ、何をするべきか考え、子どものために行動 を起こした親たちがいます。放射能はたくさんの汚染 の一つでしかありません。でも究極の汚染物質です。原発事故も放射能も長野県には関係ないと思っている親たちに、まずは知ってもらうこと、そして自分の頭で考え直してもらいたいと思い、一部ですが親たちの取り組みを紹介させていただきます。
ケース1、「安心Foods+ 」 大西千絵さん 松本で支援活動をしていたことで知り合った大西さ んは、ごくごく普通のおかあさんです。食品に含まれる放射性物質の問題に関心を持ったの は、2011年の秋ごろ。事故当時友人から「爆発したやばい」というメールを受け取ったものの、「なんで こんなこと言ってるの?」くらいにしか思っていなかっ たそうです。ところがふと「自分の口に入るものは大 丈夫なのか?」と思い、スーパーでいつも買っている ものが気になり始めました。電話で産地やメーカーを 教えてもらい、放射性物質の検査がされているのかどうかを確認してみたそうです。その結果のメモがどんどんたまっていき、すぐに探せるようにと自分用に作ったのが「安心Foods+」というブログでした。メーカーと直接話してわかったことは、食品を扱う会社もほ とんど放射性物質のことをわかっていないこと、検査していますという会社でも、測定の仕方がずさんなところが 多かったことでした。「国で検査しているから問題ない」「そんなことを聞 くなんて風評被害だ」と怒る会社も あったそうです。周囲は無関心な人ばかりであまり話 もできなかったので、ただブログに書き込むというこ とをしていると、避難者やそれまで面識のなかった同 じように放射性物質の危険性を意識している親たちから「助かっている、ありがとうございます」ということばを受けとるようになっていきました。最近あまり更新してないのだけど、だんだんメー カー側の意識が薄れ始めていることや、放射性物質は 山から川に、キノコや山菜という山のものを食べる動物にと移動していくことから、また再チェックしない といけないと感じるそうです。
ケース2「、給食の測定を自治体に要望」 八木まき子さん 八木さんの住む大町市は、消費者庁から自治体に貸し出した測定器を使って給食と市民が持ち込む食品の測定をしています。その地域では一時期センター給食 にする案が出ていたのですが、保護者たちが反対し自校給食を続けています。その運動にかかわった親たち の一部が給食の測定を要望し、現在も続いています。ただその測定には問題があるといいます。それは検出限界値がセシウム134、137合算で20bq/㎏程度と高 いことです。以前松本市では信州大学のボランティア チームが15bq/㎏のしいたけを見つけ、配られていた スープを直前でストップしたということがありましたが、この検出限界値では通り抜けてしまうということ になります。また、産地の公開もHP上のみとなって いて、一般の母親には意識できない状態になっていま す。情報は届かなければ、そして意識しなければなかったことになってしまうのです。この限界値をもっと下げるように自治体を動かすには、多くの市民が危機意識を共有する必要があります。普段関心のない親たちに食の危険性などの問題を伝えていくには、子どもの給食ということを入り口とするほうがわかりやすく、意識も変わっていくのではな いかと思うそうです。「食は食べる人だけでなく、学 校、社会、政治にも関係していきます。問題の根源に ついて考えていくことができれば、食の問題を解決することは大きな社会変革につながっていくと思います」 という言葉が印象的でした。
ケース3、「母たちの勉強会」 堀金和美さん 堀金さんは、松本で「おかんの会」という母親たちのグループを立ち上げました。このグループは放射能のことだけでなく、会員それぞれが気になったことを出し合い、講師を呼んで勉強会を開催しています。子どもが生まれてから食品添加物や農薬などを避 け、できるだけ野菜中心の食事に切り替えるなど、健 康を考えた食事を心がけていた堀金さんは、原発事故から1年ほどたったころ、医師がネット上に人工甘味料の危険性についてアップしていたのをみかけました。 気になってスーパーで表示を見ていくと、加工品には かなり使われていること、商品を丁寧に見ていけばある程度安全なものを選ぶことができることに気づき ました。そこでふと原発事故のことを思い出したのです。食品の中の放射能や添加物の危険性について友人に話 したところ、「え?何この人」という空気にそれ以上 言えなくなってしまいました。そんな時に高森町の 「おかんの会」に行ってみると、メンバー同士で当た り前に話ができていて、「松本にも作ってみれば?」 とアドバイスされて、活動を始めました。食品を選ぶ際にメンバーすべてが同じような基準 を持っているわけではありません。大事なことは、まず知って、それから各自で判断することだといいます。 メンバー有志で給食センターに産地を教えてもらうた めのメールを出し続けるということもやっています。 以前私も給食センターに食品測定について確認したと ころ、サーベイメーターでの表面検査だったので、それでは正確な判断ができないと感じました。一つひとつ確認することで、より正しい情報を受け取ることが できます。それをみてよしとするか、やっぱりお弁当 にするかも個人の自由です。堀金さんは、自分の子どもの健康にかかわる大事な ことを、親はもっと堂々とこうしたいといっていい じゃないかといいます。全体の意見をまとめるのは難しくても、だからといって自分の子どものことを誰かに決められてしまったり、誰かの顔色をお伺いしなくてはならないという のは変だと思っているのです。
ケース4、「安全な食を作る」 阪本瑞恵さん 311の地震があったその時、阪本さん夫婦は茨城の 畑で出荷の準備をしていました。直接顧客と取引する 無農薬の野菜農家です。まだ2か月のお子さんを抱え、ライフラインが止 まったエリアにはいられないため、とりあえず千葉の夫の実家に移動しました。原発事故で放射能が拡散したことを知ってからは、準備していた苗をあきらめ、夫婦で話し合った末に安心して子どもを遊ばせられる畑と住居を探し、松本に移住を決めました。一緒に野菜作りをしていた仲間と別れ、土地を手放 しても移住を決めた理由は自分がもうここでは気持 ちよく生きていけないことや、子どもを畑で転がして遊ばせながら育てたかったからだといいます。それに顧客もまた家族と同じなので、少しでも危険性のあるものは食べさせたくないという思いからです。今阪本さんの畑『むすび農園』には「援農ボラン ティア」の母親たちが子ども連れで手伝いに来ています。最初は出荷の手伝いから始まって、そのうち畑の手伝いや、仕分けなど手伝ってくれる人数も増えてき ました。同じように安全な野菜を食べさせたい、子ど もを土の上で遊ばせたいと思う親たちにとって阪本さ んの畑は最高の場所になっています。茨城に残った農家の仲間たちの中には、「測定して伝える」ことで農業を続けた人もいれば、土地を離れられないため、違う仕事に就くことを選んだ人もいる とのことでした。時に自分たちだけ避難したことに苛まれることもあるそうです。それまで自然とともに安全な農産物づくりをしてきた農家にとって、その方向性を変えざるを得ない苦しみ、この責任は誰が負えるのでしょうか?消費する私たちも考えなければいけな いことだと思います。
ケース5、「正確な測定で支える」 一ノ瀬修一さん みなさんは千葉県の母親の母乳から放射能が測定さ れたというニュースを覚えているでしょうか? 一ノ瀬 さんは母乳育児で育てられた4人の子どもを持つお父さんです。このニュースの母親の気持ちを考えると、心臓が止まりそうなほどのショックを受けたそうです。 もしこれで何かが起きたら、母乳を通して被曝させた母親は自分を責めるでしょう。そしてこれ以上子どもを被曝させないように毎日の食事を調べようとするで しょう。でも、当時出回っている食品の測定数値はほとんどわからない状態でした。当初は国が守ろうとすると期待していたものの、そういう方向にはいかないため、技術者であった一ノ瀬さんは、12月13日に塩尻で民間の測定所を社内に立ち上げました。中信地域は菅谷松本市長の発言もあり、避難者も多く、放射能汚染について敏感な人もいること、冬季はほとんどの野菜を県外から購入しなければならないことなど、きっと必要性があると思ったのです。技術は社会を作るのと同時に壊すことがある、技術者の道を選んだ時に、いつかシステムトラブルによる大規模災害は起きるだろうと思っていたそうです。ま た、コンピューターが小型化されていく時代、個々が 意識的につながる時代、知識的にも危機感にも温度差 のある状況で正確な数値を知ろうという母親たちにき ちんとした情報を説明する側になろう、そしてその数値をもとに自己決定する人たちを支援しようと思ったそうです。県内の食を扱う企業にも働きかけ測定値を公表するところも出てきました。1bq/kg以上出た場合は、仕入れた食材を使わないというレストランもあります。日本は福島原発事故だけでなくかつての核実験や チェルノブイリ事故に由来する汚染も同時に存在しています。個人の感受性も違えば、生活環境で被曝量も違います。一ノ瀬さんは政府の決めた安全基準をそのまま一律で受け入れるのでなく、正確な数値をみて 自分の行動を個々に決めていくことが必要だといいます。またそういう自己決定に対して社会全体が応援で きるようにならなければいけないし、自己決定できるだけの能力を育てなければいけないのではないかと考えています。
終わりに
原発事故がもたらした放射能災害は、原発周辺だけに被害をもたらすわけではありません。チェルノブイ リ事故では350km離れた南ドイツで、推定25万人の子どもが健全に生まれることができなかったといわれ ています。しかもその汚染はまだ収束できず、チェルノブイリのように次世代にまで影響する可能性があります。日本は食品の測定をすべて義務付けているわけでもありませんし汚染土の全国での再利用を進めようとしています。今回紹介した親たちは、なんとなく安全、もしくは危険とするのでなく、さまざまな情報を正確に調べ判 断しようとしました。共通した意見は、その行動を奇 異な目で見られがちだということ、そして簡単にメ ディアの表面の情報をうのみにし、自己決定しようと する人たちとの間に溝ができてしまうことです。レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いてもう すぐ半世紀がたとうとしていますが、未だに多くの人間は自分たちの置かれている状況に気づこうとしません。このレポートを読んでくださった皆さん、せめて今 この瞬間から環境や食といった大事な問題について、 みずから行動していきませんか? <参考> ブログ「安心Foods+」 http://redchailatte.blog.fc2.com/ むすび農園 http://musubifarm.org/ 信州放射能ラボ https://www.imeasure.jp/about.html 松本おかんの会 https://www.facebook.com/matsumoto.okan/