不登校の児童生徒の「出席」扱いについて。「受験に不利なのは内申書の*?」

不登校の児童生徒の「出席」扱いについて。「受験に不利なのは内申書の*では?」

過日信毎の「教育の風」に小さくとても衝撃的な記事がありました。「不登校『高校受験で不利にならず』」という記者の取材記事でした。この記事には、かねてから「不登校しているので公立高校の受験がむずかしい」と学校の先生から言われていた保護者が、その後希望する第一志望の公立高校に合格できた」という報告が紹介されていました。その記事の中では、記者が県教委に問い合わせると以前から「不利にはならない」と明言してきたとあります。       

■それなのに現場の指導は「不利にはならない」とは程遠い「むずかしい」「できない」「やめたほうがいい」に近いものになっているのはどうしてか。
「受験できない」と、指導したらそれはもちろん大きな間違いですが、それにしても現に説明を受けた保護者や生徒が自ら「選択肢からはずす」ようになっているのはなぜなのか。現場の進路指導がまちがっているのだろうか?私は県教委が名言しているという事実の方が驚きでした。だって必ずしも、「不利にならない」とは思えなかったからです。

■この記事にはまだていねいな説明があります。3月に出された県教委のサポートガイドには、「評定のつかない教科がある受験生には他の受験生と同じようにはできない・・・」と書かれています。(ほらやっぱり)つまり駄目じゃないけど「不利」かもしれない・・・と読み取れます。「欠席日数は不利にならないけれど内申評価の*は不利かもしれません」と言い直して欲しいです。

■昨日の信毎には上田市で「不登校の子の学校出席扱い指針」が出されたことが報じられています。「上田シネマクラブ」の要請によるものです2017年施行の「教育機会確保法」が定めた「不登校児童生徒の支援」を明記したことも後押ししていますが、「不登校」「欠席」「内申書評定」「受験」の問題は根本的にずっと以前から変わっていないと思います。かつて「欠席日数が多いと受験に不利」はほぼ事実だったし・・・。

■点数化されない「総合的な学力」が問われるようになって、入試選抜にはいわゆる「主要5教科」以外の「音楽・美術・体育・技術家庭科」にも何らかの「評価」(比較可能な基準値)が求められるようになり、学習指導要領に準拠した「観点別到達度目標」が設定されました。連動してすべての教科で到達目標が決められ、個別に評価する「個別観点別評価」(絶対評価)が始まりました。児童生徒自身や保護者にとって必要だったかどうかは不明ですが、高校に出す「内申書」が本人にも開示されないことを考えれば、「入試のため」としか考えられません。

■この評価項目の中に「関心・意欲・態度」が2~3割程度の重さで配点されているので、目の前にいない生徒や他のクラスメイトと共同学習しない生徒(不登校・別室)の評価は難しいです。絶対評価なので必ずしも同じ条件で評価せずとも、個別にかかわれば理論上は評定を付けることも
可能ですが、それは現状では難しいので「欠席すると評定が点かない」というのはそのためです。理由も根拠もあります。

■私はこの「関心・意欲・態度」の評価も大きな問題だと思います。「意欲があるように見える」「きっと意欲がある」「関心がなさそうだ」「関心があればこうするはずだ」「望ましい態度だ」「態度が悪い」など、本当は子どもがどう思っているのかわからないことを「試験紙」で試すように評価する。毎日提出ノートをきちんとやってくる子は関心Aなのか」「正解を発言する子は意欲的なのか」・・・・そのように評価されると子どもは高評価を得よう(認められよう褒められよう否定されないようにしよう)と思って、自らそのようなふるまいをする。「イヤだけど」「すきじゃないのに」「きっとこうした方が良く思われる」「こうしないほうがきっといい」・・・と。ストレスフルだな・・・。

■「評定を可能」にするためには、個別に対応すればできることです。教科担任が個別に評価すればよいことです。または他の場所で行った学習の成績物を評価してもらえばできます。ただこれは、定数内の学校職員の手に負えることではなく、まして学校全体で共通理解することは不可能に近いので実現はむずかしいと思います。(特別な教師だけが自己犠牲でやることは運営上困難)「やればできるが今の定数内では実際はできない」から、努力はしていても・・・。

■「出席日数」を認定することは、学校以外の場所で過ごす子どもには「これでいいんだ」と思える安心材料にはなると思います。でもそれが「学校のまなび」に準拠した評価や制限を求められていたら、「不登校の居場所」には却って不要なものかもしれません。ただ、学校の教科の内申点に反映されるような認定があれば、それは個別対応に近いと思います。「評定がほしければ」の話ですが。

■県教委の「はばたき」も、不登校の児童生徒の「休息」「安心」を担保する「居場所」の意義と必要性を、「学校外の学びの場」の可能性とを混同している(都合よく解釈をしている)ようにも思います。

■内申書を出さない(内心のための評価をしない)中学校は、受験に不利でしょうか?「*」のついた内申書の生徒には合否判定の時どのような特別の扱いがあるのでしょうか?高校に聞いてみたい気がします。













Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年04月24日09:28

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