2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ④勇気ある逞しい子どもたち
勇気ある逞しい子どもたち
長野市民病院 小児科 森田 舞子
子どもの命を脅かす学校
学校がつらいと感じる子が増えています。全国的に長期休業明けにかけて子どもの自殺が増加する傾向があり、学校が子どもにとって命を脅かす場所になっている現状があります。「学校を休みたい、行きたくない」と言うのは勇気がいることですが、学校に行くくらいなら生きていたくないと思い詰めている子どもが、自分の命を守るために勇気を振り絞ってSOSを出しています。
「学校に行きたい」と訴える子どもの気持ち
相談に来る子と話すとき、まず「学校に行きたい」と感じているのか尋ねます。行きたい、と答える子は少なくありません。学校が楽しいから、勉強も嫌じゃない、友達とも遊びたい、行事や役割にやりがいも感じている、と学校に行きたい理由を挙げてくれます。ですが、よく聞いていくと、心から学校に行くことを楽しいと思っているわけではなさそうです。
学校に溢れる「べき思考」
学校には「行かなければならない」「勉強しなければならない」「ルールを守らなければならない」「係や役割をこなさなければならない」、さまざまな「べき思考」が溢れています。「こうしなければならない」にひたすら合わせてきた子が、疲れやストレスをためて心身の健康を崩していきます。学校に行きたい、行かなければと頭で考えても、心と身体は動いてくれないのです。
失敗を許されない子どもたち
普段から勉強や役割を頑張って、ルールを一生懸命守っている子でも、時には間違いや勘違いがあったり、他人の争いに巻き込まれて文句を言われたり、悪意がなくても人を傷つけてしまったり、失敗することやうまくいかないこともあります。それを先生や他の子に責められて傷つき、さらに自分自身も悪いことをしてしまったと強い自責の念に駆られてしまうことがあります。それがきっかけで学校に行くのがつらくなる子もいます。
でも、学校に行かないと「みんなに怠けていると思われるんじゃないか」と不安になってしまったり、「学校に行かない自分はダメなんだ」と自分を責めて苦しくなってしまったり、だから学校に行かないのもつらい。学校に行くのも、行かないのもつらいのです。
「学校に行かない」を選択する子どもたち
何度か話をしている内に、うるさい子や人の悪口を言う子がいる教室は苦しいんだとか、先生の怒る声を聞くのがしんどいんだとか、勉強つまらないし分からないから嫌なんだとか、自分はもっとこういう風に過ごしたいんだとか、学校がつらい理由を話してくれる子もいます。
最初から「行きたくない」と教えてくれる子もいます。押しつけられる学習や役割、人間関係を苦痛に感じる子もいるし、音や匂いや視線など周りからの刺激を不快に感じる子もいます。いずれにしても、学校が楽しい場所ではなく、心を傷つけられたり疲弊していくつらい場所になっています。
つらくても我慢して登校を続けていても、このままだと壊れてしまうと身体や心がSOSを出します。子どもたちは自分の命を守るために、「学校に行かない」を選択します。
「迷惑をかけて申し訳ない」と考えるのやめませんか
子どもが学校に行かないと、何とか学校に来させようと頑張ってくれる先生に申し訳ない、友達が誘ってくれるのに申し訳ない、心配してくれる人に申し訳ない、と子どもも親も申し訳ない地獄に陥ります。
でも学校は本当に行かなければいけない場所でしょうか?誰もそんなことは決めていません。子どもにはいつどこで何をどう学ぶかを選ぶ権利があります。学校という決められた場所や方法で学ばなくてもいいのです。学校に行かなくても、迷惑をかけて申し訳ないと思う必要はありません。
子どもの権利、大人の義務
でも、まだまだ学校に行きなさい、行かなければいけないという言葉を使う保護者も多いですし、教室に来てみんなと一緒に活動させたい先生方の思いは根強いものがあります。なのであえての繰り返しですが、子どもに学校に行く義務はありません、親や先生(大人)にも子どもを登校させる義務はありません。ただし大人には、子どもが安心して食べ、寝て、楽しみ、学び、健康に生きる権利を保障する義務があります。いつ、何を学ぶかも子どもが選んでいいのです。今は教科の勉強はしたくないなら、外で遊んでも、物作りをしても、ゲームをしてもいいのです。何をしても子どもにとっては学びになるので、一緒に楽しみ、おいしくご飯を食べ、気持ちよく眠ることができれば、大人の義務も十分果たせています。
親の不安
学校に行くことが当たり前の価値観で育ってきた親世代にとっては、子どもが学校に行かないことを不安に思うのは当たり前です。子どもが学校外で学ぶことを望んでも、学び場や学び方の選択肢は少なく、費用もかかるという現状もあります。共働きでも家計が厳しい時代ですが、家以外の子どもの居場所が見つからないと、小さい子であれば家で過ごすのに親の見守りが必要ですし、学校に行けない子は不安が強くなって家にいても親から離れられなくなることもあるので、親が働けなくなることがあります。ただでさえ子育ての不安、経済的な不安、病気や介護など不安だらけの社会です。さらに子どもが不登校になると、暗い暗いトンネルに入り込んで出口の見えない状況に感じる保護者も少なくありません。
トンネルの先には必ず明るい出口がある
社会も少しずつ変わってきて、学校に行かなくてもいいと認識し始めている方々も増えてきています。子どもや親の不安に寄り添ってくれる人も少なからずいます。家庭でも学校でも地域でも医療でも行政でも、相談できる人や場所はたくさんあります。
学校を休みたいというお子さんには、まずはそれまで頑張ってきたことを労いゆっくり休ませてあげてください。休養の期間はそれぞれの子の我慢や疲労の度合い、休息の質などにより長短がありますが、休んで心身共に回復したら、自然に子ども自身から自分が何をしたいかどう生活したいか、という意思が沸いてきます。親は子の要望に対しメリットとデメリットを情報として伝える、その上で子どもがまた考えて選択して過ごし方や生き方を決めていきます。そうやって子どもは前を向いて自分の足で立って歩いて行くようになるのです。つらさを克服し生き抜くたくましさを子どもは持っていると信じて、そばで見守っていてください。
誰もが失敗するし失敗していいことを伝える
失敗やうまくいかないことは、人間が成長していく過程で、新しいことに出会い挑戦すれば必ず遭遇する経験です。そもそも人間は不完全で、社会から戦争も貧困もいじめやハラスメントもいまだになくなりません。大人だって自分を優先して怠けたりずるをしたり人を傷つけたりもしてしまうのです。まず大人自身がその事実を受け入れて、大人だって失敗するしまだまだうまくできないことだらけなんだよ、だから少しでも生きやすい社会を実現するために、一緒に成長していこう、という思いで子どもに接することができれば、頭ごなしに子どもを叱ったり否定したりすることは少なくなるはずです。そしてまだ経験値が少なく、当然失敗することも多い子どもたちには、失敗できたことで学び成長する機会を得られたことを肯定的に受け止められるよう、大人が寛容であってほしいと思います。大人はくれぐれも、自分だけには甘く他人の失敗には厳しい人であってはならないと、自分自身への戒めとして覚えておきたいです。
勇気ある逞しい子どもたち
学校に行けば、受験して進学して就職して、大人が考える安定した人生を送れる、と我々大人は考えがちです。ですが大人の考える安定が、一人一人異なる考え方、感じ方を持つ子どもにとって、新しい時代を生きる子どもたちにとっての幸せとは限りません。
自分が何をしたいかに向き合い、どうしたらいいか考えて進む道を決める子どもは、自分にとっての幸せな人生を選び取っていくことができます。つらくても学校に行く選択をする子も逞しいです。学校に行かなければ強制はされない分、みんな一緒の安心感はないので、自ら道を探し掴み取る苦労は大きくそれも勇気が必要です。
学校に行く、行かないは重要なことではありません。学校に行っても行かなくても、自分の生き方は自分で決めていい。ただし自分以外の人にも生き方を選ぶ権利があるので、相手と対話し譲り合う大切さをまずは大人が実践し子どもに伝えたいです。