2024掲載予定記事紹介 ⑧自然との関わりの中で暮らしを育む子どもたち 

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ⑧自然との関わりの中で暮らしを育む子どもたち 

 1週間、21日の拡大執筆者会議に向けて7本の掲載予定記事を連載しました。「不登校」に関わる記事、「子どもへの応答」に関わる記事は、特集編としてデジタル編集中です。ご希望があれば後日販売予定です。
 さて、不登校の子どもたちの「声」を通して、何が子どもたちを生きずらくし、学校を不安な場所にしてしまっているのかが、かなりはっきりと伝わってきます。そしてとても心苦しいのは、どうやら大人社会が抱いている学校教育への期待と、それを実現しようとする教育政策や教育現場のシステムや体質が、実は「子どもの最善の幸福=いましあわせ」を阻害しているらしいという気づきです。一番身近にいる教師も、子どもを育てている保護者も施設や地域の大人も、みな「良かれ」と思ってかけている言葉や手助けが、ますます子どもを息苦しくさせてしまう。昨日ご紹介した彩桜さんの記事は、そのことを見事に発信し、両親は「弟の不登校に出会ったことで私に自由な選択肢をくれた」と書いています。
子どもの毎日の「たのしい暮らし」こそがその豊かな「心」を育むのだ・・・と、保育園「山の学び舎はらぺこ」の園長さんは語ります。

自然との関わりの中で暮らしを育む子どもたち 
―山の遊び舎はらぺこの子どもたちの姿からー
  認定こども園 山の遊び舎はらぺこ園長 小林成親 

はじめの一歩
2005年4月に「山の遊び舎はらぺこ」は長野県伊那市の小さな山のなかで産声をあげました。20年前の事です。
初年度は3才児から5歳児までの13名。お金があるわけでもなく、開園のための準備などは不十分なことが沢山ありましたが、知恵と人の力で整えていきました。園舎としてお借りした建物には、水道施設がありませんでしたが、お隣のおばあちゃんのお家の外水道からいただくことができたので毎日水のタンクを抱えながら運びました。蛇口から当たり前に出てくる水しか知らないものにとって、ポリタンクの限りある水をやりくりしながら大切に使う日々は驚きとともに身近な環境、そしてさらに少し大きな世界を知る入口となりました。

山のなかでの暮らし
 子どもたちは新しい環境に対してもかなり積極的に動き遊びを見いだしていきました。全員が新入園児という特殊な状況でしたが、毎日毎日繰り広げられる遊びは様々で、日々発見の連続で愉快な時間でした。山のなかでの散歩道はけもの道を中心としたものでした。かなりの傾斜のところでも細く踏み固めて続くけもの道は、最初の頃は子どもたちにとって歩きやすい道とはとても言えませんでしたが、しばらくするとそんなことは何でもないといったふうに軽々と歩く姿がありました。毎日山のなかを歩いて遊んでいると会話の中で「このあいだいったあそこのばしょ」というような言葉が子どもたち同士でも子どもと大人同士でも聞かれるようになりました。「あそこ」とはどこか?お互い説明するのにもどかしさを感じながらの会話でしたがそのうちに「このあいだオレンジのきいちごとったところ」とか「タヌキが死んでいた場所の向こう」とか、その場所その場所の特徴やみんなで共有した出来事から地名がうまれはじめました。「きいちごてんごく」「たぬきのところ」「こいのいけ」など後々でも使い続けることになる名前(地名)が生み出されました。体験を積み重ねた結果として、子どもたちの頭の中には自分たちのフィールドがしっかりと地図になっているのではないかと感じた出来事でした。そして広い山のなかを網の目のように遊びまわっていることそのものが彼らの日々であり暮らしなのだと実感をしました。

なぜ自然との関わりが大切なのか
 自然との関わりを中心とした保育で育まれるものとして「逞しさ」や「柔軟性」、更には「主体性」という言葉が自然保育の中ではよく聞かれますしそのイメージも強いと思われます。「非認知能力」を高めるといったエビデンスも数多く世に出ています。それは確かに実際の子どもの様子からも見取れる面としてはお伝えしやすい側面でもあります。しかしながら、それは子どもたちの育ちの結果の一部に過ぎないとも感じています。少々大げさな表現かもしれえませんが、私たちは幼児教育とは「子どもたちの心をはぐくむ」ことだと考えています。「心」とは何かという事においては諸説様々な考え方がありますので、とても曖昧な事柄に感じてしまう方も多いかもしれませんし、また実際「正しい心の育て方」などというメソッドは存在しないと思いますが、だからこそ様々な「体験」がこどもの育ちにとっては大切なのだと考えています。そしてそれは私たち大人も含めてそもそも人間も「自然」の一部で、自分という心と身体の内的自然の中へどう外的自然を取り込んでいくか、また心のはたらきとして「私」という中にはたらいている心と、「私」と「あなた」のあいだではたらく心があるのだろうと考えています。それはそのまま「個人」と「社会」という現象に当てはまるのではないかと考えます。大人の計画した通りの世界の中で子どもたちがその線をなぞることも子どもの育ちを支える事ではありますが、その中でこどもたちの心は十全と豊かにはたらいているのだろうか。自然との関わりの中で毎日毎日偶発的な出会いを体験しながら心を揺らしている子どもたちの姿に「豊かさ」を感じています。

幼児教育に「暮らし」は必要?
子どもたちの毎日の活動の土台になっている部分を私たちは「暮らし」と呼んでいます。「暮らし」は「根っこ」ではないかと考えています。人が生きていく道筋をつなげていくもの。「いのち」をつなぐもの。「きのう」と「きょう」と「あした」をつなぐもの。過日、大妻女子大の久保健太氏からは「暮らしとは、暮れるまでにすること。移ろうもの。朽ちていくもの、芽吹くもの、枯れていくもの、そのうつろいに即して生きること」とお聞きしました。その日その日の出会いに心を揺らしながら自分たちの遊びをつくり出し仲間と共有し笑い合う。相手の痛みを想像しその時の精いっぱいの言葉をかけ合う。理屈めいてしまいますが、実際の子どもたちの毎日はとてもシンプル。「暮らし」のなかで子どもたちはその時その時をどうやったら楽しめるのか、ということの繰り返しの中で育ちあっています。

そして20年
 2歳児から5歳児までの保育を行っていた「山の遊び舎はらぺこ」は2023年4月に「認定こども園山の遊び舎はらぺこ」へと移行しました。さらに「家庭的保育事業はらぺこもりのぺこちゃん」として0歳児と1歳児の保育も始めました。そして2024年4月からは「はらぺこひろばのはらちゃん」として室内遊びだけではなく、野外での遊びや散歩も親子で楽しめるこどもひろば活動を行う予定としています。行っている活動内容そのものは20年前とそれほど変わっていませんが、子どもを取り巻く環境は更に厳しさを増している状況が広がってきていると感じています。小規模園であるので矛盾するようなことを言いますが、「多くの子どもたちにこの豊かな体験そして時間を味わってほしい」とますます考えるようになりました。一歩一歩進んでいければと考えています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月18日07:47

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