ずっと変わらない「ふつう」「あたりまえ」がもしまちがいだったら・・・。
5月26日の信濃毎日新聞記事21面に青少年義勇軍に参加した森田さんと言う方の日記が発見されたという記事がありました。そこに軍隊での「吃音講習会」の記述がありました。「改善講習」に参加した記述では、徐々に苦しくなり体調不良で亡くなることが書かれていました。もう80年以上も前のことですが、軍隊で行われていた「改善訓練」は、「吃音は治すもの」という考えによるものです。でも気付けばこの考えは最近まで(もしかしたら今もまだ)普通にあったのだろうか・・・。この人はその苦しみの果てに命を失っている!この「ふつう」は間違っているのに。
・「吃音」について、私たちはどのように理解しているでしょうか。当事者が人前で話すときに、とても苦しそうな表情をすることがあるので、「治ったらいいのに」とつい思ってしまいます。時には敢えて発言をしなくても良いように「配慮」してしまうことすらあります。「改善」は誰のためなのでしょうか?「改善すれば良いのでしょうか?」子どもにとってどのような意味をもっているのでしょうか?
・2024長野の子ども白書に掲載の「吃音はその人のふつう」という記事を多くの方にお読みいただきたいと思います。本人にとって吃音はふつうなのです。「改善」を求めているのはまわりの都合なのです。学校や社会で良く聞く「適応」という言葉が、子どもたちをどれほど苦しめているのかわかります。そのままの自分のふつうが、ことごとく否定されて「改善」させられる社会。「自分を生きられない社会」は、ずっと変わらない常識やあたりまえがそのまま安易にルール化されたりシステム化されたりすると、大きな落とし穴に子どもたちが落ちていると思います。発達障害の子どもたちの生きづらさが「ふつう」に適応できないために起きている多くの困難のように・・・。
2024長野の子ども白書掲載記事紹介(一部)
吃音はその人の“ふつう”
吃音で悩んだ経験からお伝えしたいこと髙山祐二郎
〇 「吃音の進展」を理解すること
「吃音」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。新聞やテレビで取りあげられることも増えて、吃音の認知度はあがってきています。しかし、誤解されていることも多く、無責任な助言やアドバイスで傷つく子どもや親御さんは少なくありません。吃音を正しく理解するうえで最も大切なことは、「吃音の進展」の仕組みを知ることです。吃音のある子どもの多くは、「おおおはよう」と言葉をくり返す連発の話し方から始まります。連発は目立ちますが、本人にとっては苦しさや煩わしさはありません。本人にとっては自然で楽な話し方です。連発を出さないように気を付けて話すことで、声が出にくくなっていきます。不自然な間があったり、声を絞り出したりして、「・・・っおはよう!」と力が入ったりする難発の話し方に重くなっていきます。自然で楽な連発の話し方を出さないように気を付けて話をする中で、より苦しい話し方に変化していくことを吃音の進展=悪化といいます。私は、このことを多くの人に知ってほしいと考えています。
(本文は2024長野の子ども白書でお読みください)