子どもの意見表明権と進路指導・高校選択。子どもに必要な情報の開示を。
過日の「よくわかる子どもの権利条約」講演会で、子どもがしあわせと思わない」要因に、アンケートの対象が中学生であることから、日本の子どもは「進路選択」や「受験準備」のために、かなりのストレスや精神的不自由を感じているのではないか・・・という事例が紹介されました。三者面談で保護者が先生の「提案」に対して疑問や心配を伝え、先生がそれに応える・・・というような。そこにいる本人はどうなのでしょうか。「どうしたいのか」「何が楽しいのか」「進学したいのはどうしてなのか」を聴いてもらうことなく、それはさておき「結果」を出す方法を話し合う場になっている。とりあえずランキングと自分の得点力を見比べて可能性の高そうな進学先を提案してくれる先生に、いったい本人の声は届いているのでしょうか?聞かれるのは「もっとがんばれるか?「あきらめるか?」くらい。保護者の前では「がんばる」としか答えようがないけれど、客観的にその「がんばり」が「結果」に反映するとは限らないことを知っている先生は「滑り止めも」と勧めてくれる。誰のための?何のためのかわからないが、保護者と先生のやりとりは本人の頭上でビジネスライクに交わされる。本人はどんな思いだろう。「誰のことを話し合っているのだろう」!
「子どもの意見表明権」をめぐる問題は単に「意見を言っていい」ということではなく、どんな時でも子どもは自分に関わることは自分の意見や希望や拒否を言って良いし、大人はそれを尊重しなければいけないという「権利条例の精神」(権利の主体は子ども)にあります。子どもを「主体的にとか「自立した、とか言う前に、まず未熟で未経験な子どもが大事な選択をするようなときこそ、その声を尊重し実現に伴走する大人や社会が欠かせません。まず必要な情報を開示し、疑問や不安に応えましょう。
「経験不足な子どもの言う事ばかり聞いていたら、失敗してしまうこともある。大人が選んだり決めたりすることは必要なことだ」という考えはそうかもしれませんが、その「結果」を心配する大人のためである…ということも事実です。
情報を公開し本人に選択・決定させましょう。あなたはあなたの進路を決めてよい…ということを前提に。
問題は入試制度が「競争の原理」で成り立っているという事実をまず理解させることです。努力すればするだけ結果につながるということは無いのです。「自分らしく」「マイペースで」は通用しない「相対的評価」のもとに自分が置かれていることを理解させる必要があります。だから、得点力や内申評価で測る「偏差値」は、絶対値では無く「順位」なのだということをしっかり教えましょう。
すると、偏差値のランキングで高校を輪切りするような進路指導は一見合理的で平等のように見えますが、ここに受験競争による「競争率」が生じ、データーでは「合格だったけれど不合格になる」ということもあり、ギャンブルのような神頼みのような要素すらあるということも教えましょう。「万一不合格になったら…」という心配は「浪人はしない」という「常識」によるもので、同一年に同世代が一斉に進学するような「普通」は、本当の学力重視の他国ではほとんどあり得ない考えです。まして専門性や独自性で「どうしても」と選択する高校でない限り「不安なら]やめておけば良いだけです。偏差値重視で高校を選ぶのは、大学の進学率や将来の就職に有利だからでしょうか?本人には、「そのために力を入れている高校なのだ」と教えましょう。教職員の質や学校運営に大きな差は無いのです。「楽しい高校生活」を送りたいなら、それなりの高校を選べばよいのです。こういうことを教えて、過去のデーターも開示して、自分で判断できるようにしなければ、子どもは自分で選択できません。まして「滑り止め」高校の検討を保護者が先行してしまったら、それは本人のためでしょうか?簡単な受験ゲームの進め方は子どもの方が確かです。なにしろ勇者(ヒーロー)は子ども本人なのですから。
受験生の保護者の皆さんが、「自分で決めよう」と励まし、一緒に情報を集め選択の伴走者になって下さることを願います。学校の進路指導は決して子ども一人一人のために行われているとは言い難いからです。貴重なデータは持っているので教えてもらいましょう。