子どもの意見表明権と進路指導・高校選択。子どもに必要な情報の開示を。

子どもの意見表明権と進路指導・高校選択。子どもに必要な情報の開示を。

 過日の「よくわかる子どもの権利条約」講演会で、子どもがしあわせと思わない」要因に、アンケートの対象が中学生であることから、日本の子どもは「進路選択」や「受験準備」のために、かなりのストレスや精神的不自由を感じているのではないか・・・という事例が紹介されました。三者面談で保護者が先生の「提案」に対して疑問や心配を伝え、先生がそれに応える・・・というような。そこにいる本人はどうなのでしょうか。「どうしたいのか」「何が楽しいのか」「進学したいのはどうしてなのか」を聴いてもらうことなく、それはさておき「結果」を出す方法を話し合う場になっている。とりあえずランキングと自分の得点力を見比べて可能性の高そうな進学先を提案してくれる先生に、いったい本人の声は届いているのでしょうか?聞かれるのは「もっとがんばれるか?「あきらめるか?」くらい。保護者の前では「がんばる」としか答えようがないけれど、客観的にその「がんばり」が「結果」に反映するとは限らないことを知っている先生は「滑り止めも」と勧めてくれる。誰のための?何のためのかわからないが、保護者と先生のやりとりは本人の頭上でビジネスライクに交わされる。本人はどんな思いだろう。「誰のことを話し合っているのだろう」!

 「子どもの意見表明権」をめぐる問題は単に「意見を言っていい」ということではなく、どんな時でも子どもは自分に関わることは自分の意見や希望や拒否を言って良いし、大人はそれを尊重しなければいけないという「権利条例の精神」(権利の主体は子ども)にあります。子どもを「主体的にとか「自立した、とか言う前に、まず未熟で未経験な子どもが大事な選択をするようなときこそ、その声を尊重し実現に伴走する大人や社会が欠かせません。まず必要な情報を開示し、疑問や不安に応えましょう。
 「経験不足な子どもの言う事ばかり聞いていたら、失敗してしまうこともある。大人が選んだり決めたりすることは必要なことだ」という考えはそうかもしれませんが、その「結果」を心配する大人のためである…ということも事実です。

 情報を公開し本人に選択・決定させましょう。あなたはあなたの進路を決めてよい…ということを前提に。
問題は入試制度が「競争の原理」で成り立っているという事実をまず理解させることです。努力すればするだけ結果につながるということは無いのです。「自分らしく」「マイペースで」は通用しない「相対的評価」のもとに自分が置かれていることを理解させる必要があります。だから、得点力や内申評価で測る「偏差値」は、絶対値では無く「順位」なのだということをしっかり教えましょう。
すると、偏差値のランキングで高校を輪切りするような進路指導は一見合理的で平等のように見えますが、ここに受験競争による「競争率」が生じ、データーでは「合格だったけれど不合格になる」ということもあり、ギャンブルのような神頼みのような要素すらあるということも教えましょう。「万一不合格になったら…」という心配は「浪人はしない」という「常識」によるもので、同一年に同世代が一斉に進学するような「普通」は、本当の学力重視の他国ではほとんどあり得ない考えです。まして専門性や独自性で「どうしても」と選択する高校でない限り「不安なら]やめておけば良いだけです。偏差値重視で高校を選ぶのは、大学の進学率や将来の就職に有利だからでしょうか?本人には、「そのために力を入れている高校なのだ」と教えましょう。教職員の質や学校運営に大きな差は無いのです。「楽しい高校生活」を送りたいなら、それなりの高校を選べばよいのです。こういうことを教えて、過去のデーターも開示して、自分で判断できるようにしなければ、子どもは自分で選択できません。まして「滑り止め」高校の検討を保護者が先行してしまったら、それは本人のためでしょうか?簡単な受験ゲームの進め方は子どもの方が確かです。なにしろ勇者(ヒーロー)は子ども本人なのですから。

受験生の保護者の皆さんが、「自分で決めよう」と励まし、一緒に情報を集め選択の伴走者になって下さることを願います。学校の進路指導は決して子ども一人一人のために行われているとは言い難いからです。貴重なデータは持っているので教えてもらいましょう。






Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年11月19日12:09

子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から

子どもの権利条約・講演会のお知らせです。明日午後2時から朝陽公民館体育館

「子どもの権利条約」の理解を広げる活動を考えていましたが、たまたま「子どもの権利条約」を地域の「人権を考える住民集会」に取り上げてくださった地区があり、長野の子ども白書を代表して、曲渕紀子さんと子ども記者の高校生が講演を行います。身近な話題から「子どもの権利」「意見表明権」「31条」などお伝えし、その理念を考えていただく予定です。どなたも参加できるようです。お近くの方はご参集ください!!ご発言も。

 昨年度出発した「こども基本法」「こども家庭庁」は、「子どもの権利条約」の精神を生かすことを明記しました。日本が国連子どもの権利条約を批准してから30年の節目である・・・ということもあり、「今こそ子どもの権利条約を!」と喜んでいたのも束の間、いっこうにその理解や啓蒙はすすまず、「なんのことやら」で実効ある実現が遠のきます。
 世界に目を向ければ、子どもの権利条約がその制定の動機となった「戦争の無い平和な社会を!」という願いが、踏みにじられ、多くの子どもたちが戦禍にまきこまれ生命も安全も子ども期のしあわせのすべてを奪われています。
 子ども・若者の生きづらさが語られ始めて20年、「しあわせな子ども期」は日本でも長野県内でもどんどんやせ細っていくように思えます。長野の子ども白書が見つめ続けてきた「しあわせな子ども期」は今、社会は子どもたちに何をしなければならないのかを教えてくれています。それは、大人にとっての「財産」私有物」「人材」としてのとしての子どもではなく、人権を持った、権利の主体としての子どもの今を保障する「子ども観」への理念の転換を求めているのだと思います。
 「子どもの声を聴く」「こどもまんなか」ということばにこめられた「こどもを主人公にその最善を」という意味は、「子どもは大人や社会の都合や期待で育ててはいけない。」というところに行きつきます。

 先進国38カ国中、子どもの精神的幸福度が37位である日本の子どもは、大人が考えたら「十分しあわせ」な状態であっても、子ども本人には「しあわせ」と感じられない「子ども期」を過ごしているのです。「生きづらさ」「不登校」「自殺死亡率」「いじめ」などの背景に、「行き過ぎた競争主義的社会がある」と、国連子どもの権利委員会は日本政府に勧告しています。第31条「余暇・レクレーション・文化・休息などの保障」の尊重も助言されています。「競争」にはかならず目盛や数値や標準があり、「人並」を求める考えはどうしても「ふつう」を作り出し、排除されないように同調や適応を強いられます。それらはあからさまにではなく自然なふるまいとして子どもたちに教えられ、内在化します。でもこれは、大人が自分の子どものために、良かれと思ってアドバイスしたり、教え子のためを思ってルールを決めたりしていることで、子どもは「ありのまま」では愛されない・評価されないことを知ります。「ありのままの自分」は、精神的に解放された「自由な自分」(しあわせな自分)です。

 さて、「子どもの権利条約の「子どもは権利の主体」という理念に、長野の子ども白書はいくつかのエピソードから迫ります。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年10月19日07:19

日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。日本も核兵器禁止条約に

日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。日本も核兵器禁止条約に署名・批准を!

 今年のノーベル平和賞が、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されるというニュースは、本当にうれしいことです。
「広島と長崎の原爆生存者によるこの草の根の運動は、核兵器のない世界を達成する努力、また目撃証言を通じて核兵器が二度と使われてはならないということを身をもって示してきた」とその地道な活動を評価しています。
 被爆から11年後に結成された日本被団協は「核戦争起こすな」「原爆被害に国家補償を」と訴え続け、国内外で被爆の実相を広め続けてきました。私たちの記憶に新しいのは2016年、被爆者が初めて世界に呼びかけた「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)を開始し、2020年までに1370万2345人分の署名を国連に提出したことです。こうした動きは世界を動かし2017年、核兵器禁止条約が国連会議で採択されたのです。2017年には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。しかし日本政府は一貫してこの会議にも参加せず、署名も批准もしていません。
 たまたままじかに迫った総選挙に向けての党首討論をラジオで聴いていたら、今回の受賞について石破首相は「核被爆の悲惨さはもっと広く知らせなくてはならない」とかよくわからないことを話していました。即署名・批准して欲しいです。するつもりはないようでした。

 ロシアが核による威嚇を繰り返す今だからこそ、日本が禁止条約を批准し核兵器廃絶の先頭に立たなければ・・・と思います。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年10月14日06:46

秋の「人権月間」に「よくわかる子どもの権利条約」はどうですか?出前します。

秋の「人権月間」に「よくわかる子どもの権利条約」はどうですか?出前します。

秋・・・といえば、各種団体や組織で年間計画の中に「人権教育」「人権学習」「人権講演会」が予定されていると思います。学校教育でも「人権教育月間」などを設けているところも多く、児童生徒への教育と同時に保護者や地域とともに取り組まれる「講演会」が行われています。

 長野県では、1969年の同和対策事業特別措置法制定以来、学校教育を中心に「人権教育」として「差別・偏見の解消」が図られて行きましたが、事業の終了(2002年)とともに、さまざまなテーマを取り上げながら時間や期間を短縮して取り組まれているかと思います。同和教育については2016年制定の「部落差別解消推進法」によって、引き続き大切にとりあげるようになっています。
 
 2023年に国の「こども基本法」「こども家庭庁」ができ、各自治体へも、これまで分散していた「子ども対策」「子どもに関する窓口」などを横断的に一括して取り扱う窓口を設けるよう指導しています。そこに明示された「子どもの権利条約」についての理解・啓蒙をおこなうことも促しています。現行の法律に直結している「児童福祉」の分野では、児童福祉法の見直しやあらたな施策の必要性が具体的に議論され、実施に移されています。
 この機会に、「子どもの権利条約」についての理解をすること、保障する必要性について考えることは、とても重要です。

 特に、この法律が今のところ「理念法」であることから、その「理念」の共有が急務です。「子どもの人権」というだけでこと新しいテーマですが、それは虐待や体罰をなくし、「しあわせな子ども期の保障」につながる「子ども観の変換」への入り口でもあります。

 長野の子ども白書が13年間の取り組みから「なぜ今子どもの権利条約なのか」というその必要性を「よくわかる子どもの権利条約」というテーマでお届けします。80分程度のプレゼンテーションを準備しました。ぜひ、「人権学習」を計画されている団体や組織などでご検討下さい。

お問い合わせはこのブログのメッセージから。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年09月23日08:17

給食トラウマがすごい!「会食恐怖症」の記事に反響コメント3,000?

給食トラウマがすごい!「会食恐怖症」の記事に反響コメント3,000?

信濃毎日新聞が2024長野の子ども白書の紹介記事を掲載してくれました。この記事で、白書に寄稿した大学生にインタビューした内容を紹介しています。「給食残してごめんなさい」保育園で謝らされて流した涙 「完食指導」で会食恐怖症に 交際相手と食事もできず…苦しみ続けた大学生の願い」という記事です。この記事が信毎デジタルに載り、昨日Yahooニュースに載りました。そうしたらコメントが続々ついて、あたかも「給食トラウマ」大会みたいになっています。学校給食での悲しい体験や嫌な思い出を持っている人がたくさんいるのだと驚きました。時間内に食べられないと、みんなが掃除をしている中で食べる経験は、私も小学生の時にありました。給食の後に掃除をする時間割は今も同じなのかな。「完食指導」は今は無いと専門家はコメントしていますが、何かしらの形で残っているような気もします。また、この記事の大学生が心に傷を負ったのは、「みんなにあやまる」という行為を強制されたからです。自分がみんなに謝らなくてはいけないくらい「悪いこと」なのだと、刷り込まれてしまったからです。このことを「指導の徹底」という言葉で済まされてきたのかと思うと、罪深いことだと思います。同じようなことは他にもあるかと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月27日21:04

戦争を知らない元教師が8月15日にふり返る「平和教育」の反省と後悔と。

戦争を知らない元教師が8月15日にふり返る「平和教育」の反省と後悔と。

 戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代は「新しい憲法」のもとで育てられました。「二度とふたたび教え子を戦場に送らない」という旗を掲げた教師たちの熱い思いに守られて「平和教育」を受けた世代です。目標に「平和を希求する」と明記された教育基本法ができた1949年、私は生まれました。「日本はもう二度と戦争はしない」という安心感がありました。 (2006年に改悪され削除されてしまいましたが)
                                                                                            でも、その後朝鮮戦争やベトナム戦争に米軍が参戦すると、日本が後方支援基地になっていることに対して、大きな反対運動がおこりました。「ベトナム戦争反対」の運動は若い世代にも広がりました。高校生だった私が、所属していた同人誌に初めて送った原稿は「渦の中から」という、フィクションでした。急に学校に来なくなった同級生が、ある日広い自分の家の庭で焼身自殺した・・・というストーリーでした。その頃の非力な自分と重ねていたのかもしれません。当時の高校の教師たちが多くの政治課題に生身で抗議行動しているのをまじかで見ました。「**反対」というプレートを胸に付けて駅前でビラ配りをし、ストライキにも入りました。私たちは学校を休まず教師の来ない教室でいつになくおとなしく自習していたのを覚えています。
 
 その後将来の自活のために「教師」になりました。高度経済成長期で、公務員の給与は民間の半分くらいで、誰でもなりたければ教師になれた時代だったと思います。「でも・しか教師」とか呼ばれた時代です。大学時代は政治的課題にかかわる(大学紛争も含めて)ことが多かったせいか、卒業時、地元の教育学部から教職採用試験を受けた人がほとんど合格する中、人生初めて「不合格)通知をもらいました。同じように不合格になった人は他県の二次募集に受かって県外へ行きました。

 採用年齢制限(今はない)ぎりぎりに採用試験を受けて合格し、定年まで子どもたちと過ごしました。1980年代「日の丸君が代」が職員会の議題になり始めました。学校行事のたびに必ず飾られる日の丸の旗と歌われる「君が代」は、「お国のために」と戦場に散った兵士の悲しみの象徴であり、「天皇陛下万歳」と命を棄てさせた「君」を讃える歌なので、子ども達に強制することを拒んだ教師たちの闘いでした。今でも壇上で日の丸の旗に敬礼させる慣行があります。東京都や大阪府では「君が代」を歌わない(起立しない)教職員を処分したり解雇したりすることが始まりました。「憲法違反」と主張する教師たちに対し、政権は「国旗・国歌に制定する」という方法で『合法化』しました。(1999年)小学校の来入児種目に「旗ひろい」という種目があり、日の丸の旗を拾う伝統がありました。先輩教師は担任している6年生に「動物の旗」を作ってもらい、運動会にそれを来入児に拾ってもらいました。あちこちの学校で、日の丸の旗を飾らないように校長かけあったり、音楽の時間に「君が代」を教えるときに工夫したり、儀式のときにピアノ伴奏を拒否したり様々な工夫をして闘っていました。戦争加害の現場のある勤務校では、総合学習でテーマにしたり、中国からの帰国の同級生を迎えた勤務校では「満蒙開拓の歴史」をアニメや映像で知らせたりしました。この間「平和教育」を積極的に行おうとする教職員は、先の戦争の責任をあいまいにして正当化する勢力からは「政治的」な教師として疎まれました。でもこの攻撃に屈して、本当に子ども達に戦争の反省を伝えてきただろうか・・・と反省しきりなのです。平和教育にも「失われた30年」を思います。私たちの責任です。
 ソ連のウクライナ侵攻以後、「平和」は誰しもの願いになり、その大切さを継承する世論の高まりから、「平和教育」の新たな機運が広がりました。でも今、親となり現役世代となった教え子たちに、私たちが教室で伝えてこなければいけなかったことがあったと思います。反省と後悔と。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月15日08:36

子どもを主体に子どものねがいや声を「社会的課題」につなげるということ。

子どもを主体に子どものねがいや声を「社会的課題」につなげるということ。

子どもの権利条約が「子どもは権利の主体です」と謳っているのは「子どもの権利条約」が、子どもを育て養育・教育する大人を守るための条約じゃないという意味です。大人社会(国)は子どもの権利を守る義務があるという意味です。
「こども基本法」「こども家庭庁」はそのことを明文化していますが実行しようとしているかどうかは疑問です。新たな子ども施策も支援策も、子どもを養育する保護者・監護者を支援するためのもので、「こどもまんなか」と言いつつ、子どもの声を聴き尊重しているようには見えません。

2024長野の子ども白書は、そのことを「不登校」というテーマを切り口に発信しました。
例えば不登校。
不登校になると一番困惑し苦しむのは本人(子ども)です。
自分の何が身体症状になって表れているのか理解できないから、苦しみます。
保護者は何とか励ませば登校できると信じて声がけしサポートします。
子どもは親の信頼を裏切ってはいけないと思いがんばります。
でも体は動かなくなります。「できない」と自己否定感に陥ります。
休むと少しはほっとします。
安心できる場所で初めて自分のこと(できごと)を言語化します。
それが不登校の原因ではないと思うけれど要因の一つではあると・・・。
「友達を注意する先生の声が大きくて怖かった」等々。

これらを「学校をみんなが安心して通える場所にしようよ」という社会的課題につなげることを今やらなくてはいけないと思います。

過去に長野県子ども支援委員会に「申し出」をしていた小学生の保護者は、低学年の時から自分の違和感を言語化していた子どもの
いじめや不登校対応のまずさを学校と教委に伝えていましたが、その後無責任な対応で不登校になります。その申立ての記録を見れば、相談された学校や機関が「わがまま」「親が身勝手」「自分勝手」「過敏症では無いか」「検査が必要」などと驚くような発言を公的に繰り返していました。地域の教育委員会の顧問弁護士は保護者に対して「これ以上の苦情申し立ては業務を妨げる」と脅迫していました。最終的に長野県子ども支援委員会は「再調査」を勧告しましたが、そもそも自らのまちがいも正せず「もうやめましょう」という態度が透けて見えます。勧告から2年目になります。「子ども支援条例」は、子どもの権利は守らないとはっきりしたと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年08月14日07:54

2024長野の子ども白書執筆者・土屋ゆかりさんにたくさんの「ありがとう」

2024長野の子ども白書執筆者・土屋ゆかりさんにたくさんの「ありがとう」

2024長野の子ども白書はお手元に届いたでしょうか?108ページ「コロナ禍・物価高騰で困窮する家庭の子どもたちにスポーツを!困窮世帯の子どもたちの「諦める」を減らしたい」という土屋ゆかりさんの記事をぜひお読みください。
 実は7月初旬に、闘病中だった土屋ゆかりさんが亡くなられたという知らせをもらいました。生前のご本人の希望で「誰にも知らせず・・・」ということで、お悔やみ欄にも掲載なくご葬儀についても公表されませんでした。今も「知らなかった」という方が多いかと思います。本当に残念でなりません。
20日に行われた「きずな村」に集まった人たちの中には土屋さんにお世話になった人がたくさんいました。「亡くなられた」という情報が広がると「あんないい人は他にいない。ありがとうと言いたかった」と涙を浮かべている方もいました。本当に、みんなの「ありがとう」を伝えたかったです。

土屋さんはここ10年、長野市社協「まいさぽ長野市」の所長を務められ、そのお人柄や支援のあたたかさに多くの人が助けられてきました。私は子育てしているお母さんが生活困窮したり仕事や住居が無く困っていたら、まず土屋さんに相談して支援につなげてもらっていました。「まいさぽ」は就労支援のための事業所ですから、「仕事探し」が中心ですが、土屋さんは本当に相談者の話を良く聞き、今の制度の中でできる支援につなぎ、子どもがいれば子どもがどうしているかも心配してくれました。だから、保護者や子どもがどんな困難に見舞われているかとても良く知っていました。現状の環境では、どうしようもないことも多いけれど、土屋さんはいつも「でも何とかしようね」と励まして、職域を超えて助けてくれました。一方で「こんなことはだめだ!」と、学校や社会の在り方を変えていくことにも遠慮はしませんでした。

昨年、長野市社協などいくつかの団体が「コロナ禍・物価高騰で困窮する世帯への支援」として、休眠預金を活用した「食料・生活物資」支援を行いました。「やさしさつなぐプロジェクト」です。大々的に宣伝しなかったのは、「本当に困窮している人」に届くように配慮したからです。このプロジェクトの立ち上げに際して、土屋さんは「子どもが部活をあきらめている」「スポーツをあきらめている」と話し、なんとかこの子ども達に運動用具を支援したいと提案しました。私もこのプロジェクトに加えてもらい、「子どもにスポーツ用品を!」という支援活動を担いました。運動靴も含めて、70人以上の子どもが運動のための道具や衣料を手にしました。協力してくれたスポーツ店は、在庫商品の提供もしてくれました。ほんの少しだけれど、夢をあきらめないで部活やスポーツに参加できた子どもたちがいました。

2024長野の子ども白書には、このプロジェクトの動機になった「子ども・保護者の切実な声」が紹介されており、その背景や解消への提言が書かれています。プロジェクトで支援を受けた当事者の声も紹介しています。
この記事を書いてくれた頃、土屋さんはすでに病床にあって、「どうしても書いておかなくては!」という強い思いで執筆して下さいました。           

記事の最後に「子どもたちが夢や希望を描ける『諦めない支援』がたくさんある社会になっていたいと思います」。と書いておられます。土屋さんの早すぎるご逝去を悼み、この大事な生きざまと遺志を継いでいかなければと思います。(合掌)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月26日08:08

「きく」を哲学する。伊藤先生の論考は2024長野の子ども白書に掲載。

「きく」を哲学する。伊藤先生の論考が2024長野の子ども白書に掲載されています。

2024長野の子ども白書は、おかげさまで無事発行致しました。7月7日には発行記念講演会に70名を超す参加者が、大阪公立大学教授・伊藤嘉余子さんのご講演を聞きました。「きく」を哲学する・・・という、子どもの意見表明権を支える大人社会の応答(きく)についての、具体的でわかりやすいお話でした。子どもの権利条約のこと・子どもの意見表明権のこと・子どもの本当のニーズのこと・・・。私たちがずっと追い求めてきた「子ども達の生きづらさ」の原因がこんなところにあったかもしれない!とハッとさせられます。私たち(私)が良かれと思ってしていた応答や支援は、子どもの本当のニーズではなかったかもしれないし、そもそも、子どもの本当のニーズを「訊いて」いなかったことに衝撃を受けます。自分の気持ちを言語表現できない(訊いてもらえない)もどかしさから、手が出たり身体症状が出たり黙り込む子どもたち。被虐体験をした子どもほど、言語表現を止めている。「どうして語らないのか」(Why)ではなく、「何が有ったのか(What)を訊いてもらい、一緒に考えてもらい、ともに行動してくれる大人に出会う」ことしか信頼回復ができないと。「子どもは今を生きている」という強烈なメッセージも「あなたの将来のために良かれと思ってする応答や子育て・教育」は、もう一度今を生きる子どもの気持ちを「きく」ことに立ち戻らなければ・・・という警告にも思われました。それぞれが自分に引き寄せて自問し考えられるお話でした。終了後すぐに「次はいつ伊藤先生の講演がありますか?」と聞かれる参加者がいて、「もっと聴きたいお話でしたね」と苦笑でした。
 さて因みに、この伊藤先生の論考が2024長野の子ども白書に掲載されています。併せて「不登校」というできごとを子どもに「きいて」そこから考えていこうとする取り組みも掲載しました。「子どもの権利条約を読んだことがない」大人がたくさんいます。2024長野の子ども白書の巻末に「こども基本法」「子どもの権利条約」を資料として掲載しています。ご一読ください。
 財政的な苦境を何とか切り抜けて発行に至りました。完売しないと資金を回収できません。ぜひご購入下さい。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月12日07:54

伊藤嘉余子さんの講演会に70名が参加。子どもの声を「きく」ことの意味

伊藤嘉余子さんの講演会に70名が参加。子どもの「きいてもらう権利」の保障を

 長野の子ども白書が創刊から13号目となる2024長野の子ども白書の発行を記念して、本誌に投稿されている大阪公立大教授・伊藤嘉余子さんの講演会を開催したところ、多くの皆さんがご参加くださいました。ありがとうございました。140分に及ぶ長い時間を休みなくずっと話されていても、時間を忘れる充実のご講演でした。
 
 子ども元年・こども基本法の制定・子ども家庭庁の創設は、私たちに何を求めているのか。

 直接・間接的に子どもとかかわるお立場の参加者にとって、その「理念」の理解はそれぞれでありながら、講演会の後参加者の誰しもが「あー。反省するなあ」「ここからやりなおせるかなあ」「もっとやるべきことがあるんだ」・・・と、深く受け止めながらも先に向けて展望を持っているのが伝わってきました。抽象的な「思い」や「熱意」ではなく、具体的な「尊敬」の在り方。

最後を締めくくるのは、ヤヌシュ・コルチャックの言葉。「子ども達は未来の存在ではなく、今を生きている存在である。彼らの存在は真剣に受け止められるべきである。子ども達はおとなたちから敬意をもって、等しき存在として扱われる権利を有する」。

2024長野の子ども白書が、その思いにたって多くの皆様に読まれることを期待しております。

 講師の伊藤先生が、お子さんとの七夕の約束を反故にして、遠路長野での長時間講演に臨んでいただいたことに深く感謝申し上げます。




Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月09日07:56

2024長野の子ども白書発売になります!!今年は大きな変わり目の年!!

2024長野の子ども白書発売になります!!今年は大きな変わり目の年!!

2024長野の子ども白書は明日5日、発売になります。ぜひご注文下さい!!

2012年の創刊から追い続けてきた「なぜ?」や「どうして?」の謎が、どうやら解けてきました!!
減らない不登校や子どもの生きずらさ・自死。それはどうして起こっているんだろう?長野県がとりわけ多いのはなぜなんだろう?
広がっている格差・貧困の中で子どもの権利が守られないのはなぜなんだろう?
「戦争やイヤだ」という子どもたちの思いに、再び「戦争できる国」に向かう政治はどうしてなんだろう?
「幸福度」の低い、自尊感情の低い子どもたちが多いのはなぜなんだろう?
「モノ言わない子ども」「同調する子ども」「適応しようとがんばる子ども」は今、しあわせだろうか?

答えが少し見えてきた今年、まず「不登校問題」に関心のある方は是非お読みいただきたいと思います。
教育関係者・子育て中の方々・子ども施策や支援に関わる方々・・・。
「権利の主体は子ども」という子どもの権利条約の基本理念にたち、わたしたちが「子どもたちのしあわせ」を願って今何をしたらよいのか、考えて見たいと思います。

ご注文はこのサイトから。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年07月04日08:32

セーブ・ザ・チルドレンの食糧支援のお知らせ。申し込み19日まで。

お知らせです。

セーブ・ザ・チルドレンは、子どもたちの食の状況の改善を目的として、
経済的に困難な状況にある家庭を対象に「子どもの食 応援ボックス」を提供します。
申し込みは、これまで夏と冬にそれぞれ実施していましたが、2024年は年1回のみとなります。
夏休み分、冬休み分を6月に同時に申込受付いたしますので、くわしくはHPとフォームにてご確認ください。

【お届け内容】食料品・文具・各種情報(1世帯あたり1セット限り)
※内容は変更となる可能性があります。
【対象者】
以下の(1)~ (3)すべてに当てはまる世帯。
(1)日本国内に居住している(難民申請中、仮放免など、在留資格の不安定な方も含む)  
(2)2024年に住民税所得割非課税世帯またはそれに準ずる 
(3)0歳~18歳未満の子どもがいる(2024年4月1日時点で17歳の子どもまで) 
※(3)の年齢以上で高校に在籍している子どもがいる世帯は対象になる場合があります。個別にお問い合わせください。
【申込受付期間】2024年6月3日(月)午前10:00~6月19日(水)正午
【申込方法】 https://bit.ly/4bLt4nh (申込フォーム)
【詳細】https://www.savechildren.or.jp/scjcms/sc_activity.php?d=4460 (セーブ・ザ・チルドレンHP)
【問い合わせ先】
公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 「子どもの食 応援ボックス」担当
https://bit.ly/4bsmCSf
【参考】
◆セーブ・ザ・チルドレンについて 
セーブ・ザ・チルドレンは、日本を含む世界約 120 ヶ国で子ども支援活動を行う、民間・非営利の国際組織です。
子どもの権利が実現された世界を目指し、100 年以上にわたり活動しています。
国内事業は東日本大震災発生以降、岩手・宮城・福島県で、緊急・復興支援活動を実施。
食の応援ボックスの他に、給付金事業や、新生児用品の提供、体験の機会提供などを行っています。
https://www.savechildren.or.jp/japan/childpoverty/(詳細)


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年06月08日20:07

出生率が1.20過去最低と言う数字。長野県が1.34と言う数字は割り算の答え

出生率が1.20過去最低と言う数字。長野県が1.34と言う数字は割り算の答え

例年発表される「「出生率」が過去最低を記録しても誰も驚かなくなってしまいました。「出生率が上がる」ような要因を誰も実感していないし見つけられていないからです。「出生数」を比較されても同じ印象だと思います。でも、この出生率という数字が「長野県は1.34」と報じられると、なんだかいいことのように感じてしまい、出生数も増えているのかな・・・と誤解してしまいます。
 今朝の信毎に「出生率を誤読した政策は危険」と題する、天野聲南子さん(ニッセイ基礎研究所人口動態シニアリサーチャー)の記事があります。
これを読むと、安易な理解がとんだまちがいだと気づきます。

・ 小学校5年生で比や割合を勉強すれば、「100分率」(%)というのが、分子割る分母だとわかります。たとえ同じ人数でも分母が小さければ大きくなり、分母が大きくなれば小さくなることを知っています。
・出生率の分母は15歳から49歳の未婚女性と既婚女性の人数。分子は出生数。
・だからエリア別の(例えば県別・自治体別)出生率は、分母が小さければ小さいほど高くなる・・・。若い女性が少なければ高くなる!

記事を引用します。
「エリア別の出生率は、若い未婚女性が仕事でいなくなるエリアほど高くなりがちな指標であることに注意が必要だ。出生率の高低は未婚女性の地域間異動に左右されるので、エリアごとの少子化測定の指標に使ってはならない。23年の社会減は40都道府県に及び、うち31道府県で男性よりも女性の社会減が多く、群馬、沖縄は女性のみを減らした。地方自治体は女性定着型の人口政策に転換すべきだ。お手軽に男性労働力を増やす政策では未来はない。地元に若い女性が就職で定着してくれるかどうかが、地方の人口の未来を握る」(信毎記事引用)

・この数字にいちいち反応して的外れな対策や指針を出す政治は、いったい誰のために「少子化」を問題にしているのでしょうか?

・2012年の「子どもの貧困」啓発キャンペーンの時、内閣府の担当者が各自治体の民間ボランティアを集めて行った「研修会」は、「なぜ子どもの貧困の連鎖は重大なのか」というテーマでした。それは「こどもの貧困」の可視化や子どもがどんな実態なのかという報告とは程遠く、「貧困・低学歴が繰り返されると連鎖が止まらない」という未来予想図でした。予想図の指標には、「納税者」があり、貧困の連鎖が納税者を減らす・・・というグラフでした。たしかに「お国の大事」だとわかりました。説明に当たる若い職員は「内閣府**」のプレートを下げていて、わかりやすい説明をさわやかにこなしていましたが、「こんな青年に子どもの貧困が分かっているのか?」と心底不快でした。(私は吐き気がして途中退場しましたが)

・こどもひとりの人権もしあわせも担保できない政治がどんなこどもの未来を描いているのか疑問です。子どもは国の人材でも未来の労働力予備軍でも納税予定者でもありません。自分の人生を生きるひとりの主権者です。







Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年06月06日08:20

ずっと変わらない「ふつう」「あたりまえ」がもしまちがいだったら・・・。

ずっと変わらない「ふつう」「あたりまえ」がもしまちがいだったら・・・。

5月26日の信濃毎日新聞記事21面に青少年義勇軍に参加した森田さんと言う方の日記が発見されたという記事がありました。そこに軍隊での「吃音講習会」の記述がありました。「改善講習」に参加した記述では、徐々に苦しくなり体調不良で亡くなることが書かれていました。もう80年以上も前のことですが、軍隊で行われていた「改善訓練」は、「吃音は治すもの」という考えによるものです。でも気付けばこの考えは最近まで(もしかしたら今もまだ)普通にあったのだろうか・・・。この人はその苦しみの果てに命を失っている!この「ふつう」は間違っているのに。

・「吃音」について、私たちはどのように理解しているでしょうか。当事者が人前で話すときに、とても苦しそうな表情をすることがあるので、「治ったらいいのに」とつい思ってしまいます。時には敢えて発言をしなくても良いように「配慮」してしまうことすらあります。「改善」は誰のためなのでしょうか?「改善すれば良いのでしょうか?」子どもにとってどのような意味をもっているのでしょうか?

・2024長野の子ども白書に掲載の「吃音はその人のふつう」という記事を多くの方にお読みいただきたいと思います。本人にとって吃音はふつうなのです。「改善」を求めているのはまわりの都合なのです。学校や社会で良く聞く「適応」という言葉が、子どもたちをどれほど苦しめているのかわかります。そのままの自分のふつうが、ことごとく否定されて「改善」させられる社会。「自分を生きられない社会」は、ずっと変わらない常識やあたりまえがそのまま安易にルール化されたりシステム化されたりすると、大きな落とし穴に子どもたちが落ちていると思います。発達障害の子どもたちの生きづらさが「ふつう」に適応できないために起きている多くの困難のように・・・。

2024長野の子ども白書掲載記事紹介(一部)

吃音はその人の“ふつう”
吃音で悩んだ経験からお伝えしたいこと
髙山祐二郎

〇 「吃音の進展」を理解すること
「吃音」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。新聞やテレビで取りあげられることも増えて、吃音の認知度はあがってきています。しかし、誤解されていることも多く、無責任な助言やアドバイスで傷つく子どもや親御さんは少なくありません。吃音を正しく理解するうえで最も大切なことは、「吃音の進展」の仕組みを知ることです。吃音のある子どもの多くは、「おおおはよう」と言葉をくり返す連発の話し方から始まります。連発は目立ちますが、本人にとっては苦しさや煩わしさはありません。本人にとっては自然で楽な話し方です。連発を出さないように気を付けて話すことで、声が出にくくなっていきます。不自然な間があったり、声を絞り出したりして、「・・・っおはよう!」と力が入ったりする難発の話し方に重くなっていきます。自然で楽な連発の話し方を出さないように気を付けて話をする中で、より苦しい話し方に変化していくことを吃音の進展=悪化といいます。私は、このことを多くの人に知ってほしいと考えています。
(本文は2024長野の子ども白書でお読みください)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年05月30日07:10

7月7日 2024長野の子ども白書発行記念講演会 ご案内(再)

7月7日 2024長野の子ども白書発行記念講演会 ご案内(再)

2024長野の子ども白書の発行を記念して、そのテーマに呼応した講演会を開催します。

7月7日 講演会 

講演会の名称:2024長野の子ども白書発行記念
      伊藤嘉余子さん講演会
演題:子どもの声を聴くということ
        ~子どもの意見表明権を支える大人社会の応答~
講師:伊藤嘉余子さん(大阪公立大学教授)


日時: 7月7日(日) 午後2時~4時30分(開場 1時30分)
会場: 長野市ふれあい福祉センター 5階 ホール
参加費:2,000円・障がい者・未成年者無料 2024長野の子ども白書を購入すると3,000円 
参加申込:長野の子ども白書 - 長野の子ども白書webサイト (jimdofree.com)

2024長野の子ども白書は「子どもの声を聴き届ける」をテーマにしています。
 「子どもの意見表明権」が大切に守られるためには、大人や社会が「子どもの声を聴くこと」が基盤です。家庭で地域で学校で職場で保育園で施設で病院で居場所で、日常的に大人が子どもの声を聴き、わかるように伝わるように応答する営みと、その声の実現のために時には代弁者になって伴走すること、しくみをつくることなど・・・大人の責任が果たされる社会が、子どもの発言権を保障します。「社会で子どもを育てる」という児童福祉の視点から、「子どもの声を聴くということ」を、伊藤さんは合理的に共通理解させてくれます。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年05月25日07:48

「戦争って急には始まらない」(信毎「鍬を握る」小川哲さんの記事紹介)

「戦争って急には始まらない」(信毎「鍬を握る」小川哲さんの記事紹介)

信毎の連載「鍬を握る」(満蒙開拓からの問い)は、戦争に巻き込まれた過去の人々の被害からだけでなく、その侵略戦争を「日本がしていた」という事実に向き合うことから、「平和」への展望を見出そうとする方向に視点を定めてきたと思います。
戦後、日本の民主主義を実現しようと決意した人々が、まず宣言したのは「二度と戦争はしない」という約束です。憲法9条がその決意を法律で示しました。戦争に多くの教え子を送り出し、戦争に加担した責任を悔いる教師たちは、労働組合の旗にまず「教え子を二度と戦争に送らない」と記し、その思いで連帯して立ち上がりました。「まきこまれていた」と弁明せざるを得なかった渦中の世代が語り継ぐ「平和」は・・・。

5月8日の「鍬を握る」には、作家の小川哲さんが投稿しています。
著書「地図と拳」(直木賞受賞)を読まなければなりませんが、戦後の私たちの素朴な疑問「どうして日本は戦争をしてしまったのか」こそ、次世代に語り引き継がなければならないと思います。

「戦争って急に明日から戦争ですって始まるわけではありません。始まる過程の中で、一人一人の小さな判断が積み重なり、作り上げてしまった大きな装置なのです。大きくなってしまうと、個人としては抵抗できない。無自覚に加担してしまうこともある。そこに至る前にどうするか、次の戦争の種を見つける目が必要になってきます。」(記事引用)
「日本は他国に侵略した身なので、外圧もあり、カンボジア政府のような開き直りはできません。ただ、、広島、長崎、沖縄の歴史も大事だが、被害を知ることだけに偏れば、不都合な事実に向き合わなくなってしまう。客観的な事実よりも個人が信じたい事柄のみを信じがちな「ポスト・トゥルース」の時代とも呼ばれる現代。中国や韓国、朝鮮の人たちのさまざまな視点を借り、満州などで日本は何をしたのかを重ねてみていくことが、われわれが戦争を理解するために必要なのではないでしょうか。」(記事引用)



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年05月09日07:40

5月3日 憲法記念日。「戦争を避ける道標として」(信毎論説主幹の記事から)

5月3日 憲法記念日。「戦争を避ける道標として」(信毎論説主幹の記事から)

 今朝の信毎論説主幹五十嵐嵐裕さんの投稿は、とても共感でき納得できる内容でした。
「憲法9条が平和を守る。」という決意と信頼をよりどころに日本が守ってきた「平和」を、なし崩しにしてきたのが現政権です。とりわけ安倍政権下で進められた大きな法解釈の変更は、今や、集団的自衛権行使容認、自衛隊をアメリカの「戦争」に近づけ、膨大な軍事予算をアメリカに貢ぎ、とうとう武器輸出の要件も緩め、憲法の示す「平和」をまるでちがうものにしつつあります。
 憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。

「平和主義 ジェンガのごとく 骨抜きに

「佐久長聖中学校(佐久市)2年の大井南さん(14)の川柳「平和主義 ジェンガのごとく 骨抜きに」が、関東弁護士会連合会が募集した「第7回こども憲法川柳」で476点の中から最優秀賞(1点)に選ばれた。社会科の授業で平和主義を学ぶ中で、「平和主義に反する政策が次々と決まり、いつか平和が崩れてしまうのでは」と心配になった気持ちを、積み木の塔から木片を抜き取っていくゲーム「ジェンガ」になぞらえて表現した。」(信毎記事引用)

日本にとって、憲法9条がどれほど今大事かと言うことを改めて考えたいし、子どもたちに伝えたいと思います。政治を変えていくのは18歳の若者を含めた主権者です。政権が多数を背景に軍国主義への変換を国会の論議を待たずに「閣議決定」してきた事実は、歯ぎしりするほど悔しい後退です。選挙に行かない国民が多いのは、この重大な国の進路と選挙のつながりが見えないからだと思います。小さな自治体の選挙でも、候補者が「憲法9条が平和を守る。大軍拡には反対」と公約し、主権者に投票してもらう事です。私は選挙で知人や若い人にメールで、「どうやって平和を守るかしっかり表明している人に投票しよう!」と伝えています。(そんな候補はあまりいないのですぐだれだかわかってしまうけど)

 国連子どもの権利条約は、戦争で命を落とした子どもたちを始め、多くの子どもたちが「戦争」によってその犠牲になって現在も苦しんでいる状況から、社会が子どもの人権を保障するために特別な保護や援助についての約束を交わしています。そのためには「国連憲章で宣言された理想の精神ならびに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等および連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し」(子どもの権利条約全文より)、子どものしあわせのためには「平和」がどうしても必要であることを書いています。世界中で飢餓や病気で苦しんでいる子どもたちは、何かしらの紛争や戦争の犠牲者です。戦後日本の「児童福祉」が、戦災孤児の救済から始まったことも、わかりやすい事実だと思います。

 子どもたちに「主権者教育を」というのは、本当に切実です。高校生に「どんな政治家に投票したいか」と聞くと「有名な人」「みんなが選んでいる人」と言う返事。あんなに人気の無い首相でも「でも、みんなが選んだ人だからまちがいない」というお返事。おそるべし同調意識。根拠ない権威への信頼。言われたとおりにやってきて今も無事・・・という高校生にはあるあるだ。子どもたちは自分に「権利」があるなんて思っていない。大人と同じように人権の主体です。(誰も教えてないが)でも自分の意見や気持ちを大人に言っても、すぐジャッジされるのでその良しあしもわからない。自分で決められない。間違ったことは言わない方がいいから言わない。ちゃんと尊重して聴いてもらって育ったら、家庭では民主的な立ち位置でも学校に行ったら元も子もない。学校は「子どもは権利の主体」だなんてそういう場所じゃないから・・・!!

 あなたは権利の主体です!ということを日常の応答で伝えていくのが一番かもしれません。このわかものの同調化や政治的無関心の傾向は、2006年教育基本法改悪を皮切りに、かの安倍政権が着々と進めてきた国家主義的教育の到達点なのだと今ならわかります。まだ間に合います!子どもに主権者教育を!それには子どもの権利条約の理念をまず、私たちの「子ども観」にしっかり活かしたいです。






Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年05月03日10:05

「子どもの権利条約」の理解と啓蒙を任されている(期待されている)のは文科省

「子どもの権利条約」の理解と啓蒙を任されている(期待されている)のは文科省

「子どもの権利条約の精神にもとづき」と「こども基本法」が明記していますが、昨年の4月以降「こども家庭庁」およびそれにつながる各自治体の担当部署で、「子どもの権利条約」の啓蒙や学習を始めたところはあるでしょうか?予算はこども家庭庁からは降りてこないので、きっとどこもそんな面倒なことには手を付けていないでしょう。(どこかやっている自治体があったらごめんなさい)それは前にも書いたように、その理解や啓蒙の責任は「文科省」にたらいまわししているからです。でも文科省はこの「こども家庭庁」とは別組織なので、そんなことにはすぐ手を付けたりはしないし、そもそもよく読めば「改訂教育基本法」そのものに子どもの権利条約の精神とは齟齬のある部分もあり、そんな面倒な問題に手を付けるはずがありません。でも過去にも現在も文科省には高い見識を持つ職員が多く、この条約の精神も一番よく理解していると思われます。近年の教育施策における文科省の立ち位置は、たびたび政治的介入によって危ういものにすらなっています。安倍政権下の「GIGAスクール構想」の拙速な実施は、文科省も反対していたと聞きます。子どもの権利条約を日本が批准する前から「子どもの権利条約への理解を広めよう」という機運がおこり、「子どもの権利条約」のパンフレットが多くの「学校で」配られました。でもこの時、実は学校教育のシステムやあり方が、「子どもの権利条約の精神」とはかなりかけ離れていると実感した学校現場では、「子どもの権利条約」の学習をせいぜい海外で医療を受けられず亡くなっていく子どもたちへの支援につなぐ程度で、「子どもがその権利の主体である」と言う精神をしっかり教えることができた教師は本当にわずかしかいなかったと思います。

「児童の権利に関する条約」は,1989年(平成元年)11月20日に第44回国連総会において採択され,我が国は,1990年(平成2年)9月21日にこの条約に署名し,1994年(平成6年)4月22日に批准を行いました。 (我が国については,1994年5月22日に効力が生じています。)

この過去の状況からしても、今回「こども基本法」に明記されたとはいえ、文科省がその啓蒙や理解に取り掛かるようすはまだ見えません。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年05月02日08:47

子どもの権利条約の精神を生かした「こども基本法」の理念法としての意味(つづ

子どもの権利条約の精神を生かした「こども基本法」の理念法としての意味(つづき)

「こども基本法」は、子ども施策が「日本国憲法および児童の権利に関する条約の精神にのっとり」と明記されたことで、子どもが権利の主体であること、その権利を保障する目的があることが明文化されました。「児童の権利に関する条約」のいわゆる4原則、「差 別の禁止」、「生命、生存及び発達に対する権利」、「児童の意見の尊重」、 「児童の最善の利益」の趣旨を踏まえ、規定されています。一番大切な点は、社会の都合や希望や期待、によって子ども施策が行われるのではなく、「子どもの最善のしあわせ」を保障するために行われるということです。

この理念は、現代の私たちの社会に大きな波紋を呼び、大きな変革を迫るものになると思います。

子どもたちの生きづらさや数々の困難や「しあわせではない」子どもたちの「声」やすがたは、国民全体の「しあわせ」にもつながる大きな問題提起です。「どうしてこんな社会になっちゃたんだろう」と嘆く私たちが、その「どうして」に気づき、生き方を変えていく・社会を変えていく行動にその方向性を見出すためのチャンスなのではないかと思います。

 1929年にドイツに生まれたミヒャエル・エンデは、1973年に『モモ』を書き、世界的な評判を呼んで1976年に日本でも翻訳・発行されました。今日またこの『モモ』が注目されているのは、作者が(この話を私にしてくれた謎の人のことばとして)「わたしはこの物語を過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話しても良かったんですよ。どちらでもそう大きな違いはありません」と書いていることが、まさにその通りになっているからです。
 「時間泥棒」「灰色の男たち」「よいくらし」「将来のためになること」は、どこにいて、その男たちに「よいくらし」とひきかえに「時間を売りわたし」子どもからも「将来のために」遊びや自由な時間をとりあげているのは誰なんだろう・・・。時間を売り渡してすることもなくなった人たちはこの物語では「退屈病」になり、感動も関心も生きる楽しみも失ってしまいます。時間泥棒たちはやがて互いに争いつかれて自滅します。
 町の人々を救ったのは、浮浪児のモモでした。モモは「楽しかった時間を取り戻したくて」のろのろ亀の「カシオペイや」に運ばれて「時間をつかさどるマイスター・ホラ」に出会います。そこからは本当にファンタジーだけれど、「ひとりひとりの人間に与えられる時間のゆたかさや美しさに」感動して凍り付いた花を生き返らせるのです。
 
 わたしたちが今、本当にしあわせな日々を生きているのか、子どもたちが楽しい毎日を過ごしているのか、その貴重な時間はわたしたちのものになっているのか、「子どもの権利条約」の精神とは、世界中の国の子どもに生かされる「最善のしあわせ」を大人社会に課した課題なのです。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月29日09:33

子どもの権利条約の精神を生かした「こども基本法」の理念法としての意味

子どもの権利条約の精神を生かした「こども基本法」の理念法としての意味

「こども基本法」が、子どもの権利条約の精神を活かすことを明記して成立しましたが、実際社会を動かす政治(税金をどう使うか)の場面になったらどうなるか・・・というと、ひとつひとつの施策が「子どもの最善の利益」によって立案され、実行されるわけではない。児童福祉法のようにその法律に即した場面では反映されたり、また、自治体に子どもの権利条例があれば反映されたりするが、それ以外は行かされる保障はない。しかし、大事なことは、これまで普通だったことや、あたりまえにされてきたことが「ちがうよね」という考えは、「子どもの最善の利益」に照らして再考や変更を共有できる。「権利の主体は子どもである」という考え方は、多くの物ごとを大人の都合や勝手なやりかたで進めてきた「子ども」施策の変換の出発点になります。「子どものために良かれと思って」「でも社会の都合で効率よく安上がりに」子育てや教育を進めてきたその先に、「それ、子どもにはしあわせじゃない」という一時停止の行き止まりを見ているからです。「不登校」30万人時代は明らかにそのことを証明していると思います。

こども家庭庁は、子ども施策のうち、医療保健・福祉・厚生・労働(厚労省が管轄する)の部分での施策に「活かす」と言っていますが、「教育」については「子どもの権利条約の啓蒙を」と期待しているだけでなんら義務付けていません。もっとも、当初の大口(異次元の子ども施策)についても、すでにその財源を新たに国民から再徴収する提案で、あきれるばかりですが、それはまあさておき・・・。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月28日07:04