国際幸福デー。日本は143か国中幸福度51位。G7では最下位。

あなたはしあわせですか?20日は国際幸福デー。日本は幸福度世界で51位。

もちろんG7のなかでは最下位。
「幸福度調査は1人当たりの国内総生産(GDP)や健康寿命、社会的支援、選択の自由度、他者への寛容さ、腐敗の認識の6項目について、自身の幸福度を0から10までの段階で国民に評価してもらい、過去3年間の平均値を基に算定している。」(ネットニュース引用)

7年連続のフィンランドやデンマークが幸福度が高い。「教育」「福祉」に税金を多く使っている「福祉国家」は国民がしあわせなのだろう。
労働者の賃金を抑え教育予算をケチり、教員も増やさず、ケア職の賃金も低く抑え、福祉や社会保障費を減らし、「子どものため」と言って国民からまた負担金を取るような政治が国民を幸福にできないのは当然です。まして政権の腐敗も根絶できず、これでは「この国は幸せ」と言える人は少ないと思います。

子どものしあわせ度はもっと低いかも・・・。子どもを大切にしない社会は大人もしあわせになれない。あたりまえだけど。

それにしても「もっといい社会に」「みんながしあわせに」とがんばっているつもりなのに、51位とは・・・。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月20日20:00

学校の先生方が見ている風景と保護者や地域が見ている風景がちがう(2)

学校の先生方が見ている風景と保護者や地域が見ている風景がちがう(2)

「学校の先生方個人や学校のやり方がいけない」と批判しているわけではないんです。
学校に行かれなくなった子どもたちがつぶやくのは、「思い出すと辛い言葉」や「今でも不安になるシーン」。考えると苦しくてそんなことで学校に行かれない自分はダメなんだと思うともう死んでしまいたいと思う。きっかけの数々。

この心の在りかは簡単には説明できない。
毎日積み重なる何かが重い。「そんなこともできないのか」「なんどいったらわかるんだ」「きまりなんだからまもりなさい」「よくできました」
「あ、いやだな」と思うのは、クラスメイトが何でもないことで褒められたり叱られたり馬鹿にされたりすること。先生は冗談ぽく「まるで動物園だね」いうから笑った方がいいんだろうか。でもイヤだから何でもない顔をする。疲れる。自分が言われても周りの友達は自分と同じように知らん顔だから、自分も平気な顔をしてへらへらしている。すごく疲れる。「つまらない」と言ったらとがめられたので学校に行かれなくなった。疲れてる。休んでいても思い出す。
こういう話を学校の先生にすると「感覚が過敏な子や繊細な子は時々います。先生はきっと子どもたちのために言ってると思うので、それが理由で学校に来られないのでは無いと思いますよ」とていねいに説明される。「それは大変なことですね」という反応をする先生はほとんどいない。
民主的で子どもの立場になって熱心に教えてくれる先生方ほど、不登校の子どもたちの「つぶやき」を安易に受け入れない。学校のあるあるをひとつひとつ「どちらが正しいか」白黒つけようとする。先生方にも言い分はある。もちろん、言わないけど言いたいことは山ほどあるはず。

不登校も、教員の多忙や疲弊も、同じ根っこから生えてる木なのだとういことがせっかく見えてきたのに・・・。伝統的な学校のシステムも評価や管理に統制された学校のあり方も、そもそも子どもが権利の主体だという教育の目的の不在も、みんな考え直さなくてはいけないということを、辛くも逃亡した「不登校」の子どもたちが教えてくれている。文科省に大鉈をふるうのは難しいけれど、地元で地域でわれらが学校を考えていくことは明日からでもできるではないか。憲法に保障された義務教育を受ける権利は子どもにあり、その権利の主体は「子ども」です。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月19日21:18

学校と地域の間に流れる大きな川のそれぞれの岸から見える風景がちがう

学校と地域の間に流れる大きな川のそれぞれの岸から見える風景がちがう

不登校の居場所から発信された「学校あるある」や、フリースクール関係者が行った「不登校アンケート」の結果から、不登校の「要因」として文科省が発表している「不安」のきっかけが「学校や教師との関係」にあるのではないか・・・と言われるようになってきました。
実際、不登校になったきっかけや引き金のいくつもある「要因」を複数で選択してもらうと、半数近い当事者が「教師との関係」を選択しています。いったい、どんなこと・・・?という疑問に答えるのが「学校のあるある」語録集です。また、先のアンケートの記述式の解答にも、ほとんどがこのことに触れているのは、「対応」も含めて、当事者にとっての学校や教師の意識がかなり遠い距離にあることがうかがえます。 
                                                                                        文科省も学校も教師も「学校生活の環境に適応できない敏感な子どもが増えている。ちょっとしたことで不安になったりがまんできなくなって登校できなくなる」(個人の要因)・・・・と認識しています。だから、もっと適応力を高めがまん強い子を育てようとがんばっています。かたや、学校に来られなくなったら無理をさせず、学校外の居場所を選択してもらうことで「不安」の症状を回避させる。適度な距離間でつながりつつ登校刺激はしない。

学校批判をしているのではありません。「良かれと思ってしている指導や教え方に、何かしら気付かないうちに子どものNGを見過ごしているかもしれない・・・」と伝えています。実際に変えていかれるとしたら現場の教師が直接の当事者なので、どのように理解しているのか聞いてみると、案外その間に流れる川幅が広いことに気づかされます。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月11日08:41

非認知能力(主体性や協調性)を育むことに重きを置く指針への疑問・警戒・批判

非認知能力(主体性や協調性)を育むことに重きを置く指針への疑問・警戒・批判

信濃毎日新聞に、長野市教委が決めた「しなのきプランⅡ(案)を決めたことが報じられました。
記事によれば、知識や技能の定着重視の考え方からの脱却を目指す‥‥とあります。信大教育学部と非認知能力を測定する調査「しなのきFinder」を独自に開発。小4~中3の児童生徒に年2回の質問に答えさせる。「何事にも一生懸命努力する」「他人の気持ちを考えている」と言う質問。結果を「みらい」「きずな」「じりつ」の観点で可視化し、子ども自身や学校が状態を把握。指導・支援の改善につなげる…のだそうです。

■正直言って、「ゾッとする」。

■これ以上子どもの内心に踏み込んで「評価」し、子どもに「適応を強いる」のか?

■「あなたは粘り強さが足りない。もっと自信をもってがんばりなさい」(みらい)

■「あなたは協調性に欠けている。もっとコミュニケーション力を高めないと」(きずな)

■「あなたは規範意識が乏しい。適応力を高めなさい」(自立)

わあ、いやだいやだ。こんなことして子どもがどうなるのか。これ以上不登校の子を苦しめるのか。考えて見ないのでしょうか?信州大学の教育学部の研究論文を探っても、本気で「不登校」や「生きづらさ」に子どもの視点で踏み込んだものが見当たらない。学校批判を「よくあること」と言ってしまう研究者すらいる。どなたか子どもの立場に立った研究者がいたらぜひ発言して欲しい。

■このプランは考え直してもらいたい。どうせやるなら学校にある子どもの「不安」や「苦しさ」「いたたまれなさ」をしっかり調査し、それに対応する学校(教師)の側の非認知能力を測って、指導や支援の参考にして欲しい。教師が子どもに対してさすがに口では言えないことを、あたかも客観的事実であるかのようにはじき出す、AIの悪用だと思います。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月23日08:34

なんでも同じになるように決まってしまっているなんて息苦しいしもったいない

なんでも同じになるように決まってしまっているなんて息苦しいしもったいない

長野市内で「回る周るハウス」という無料リサイクル広場を開催しています。子育て家庭には「おさがりや再利用」も有効だと感じて使い終わった学用品や子ども用品を集め無料で必要な人に提供しています。ランドセル・制服・辞書・・・なんでもあります。みんな高校生になればもう使わないから、きれいなら誰かに使ってもらう方がいいです。でも、近年とても気になるのは「学校用品の指定」「注文の方法」「同じじゃないとダメ」というこまかい制約があることです。運動着・上履き・学習帳・給食着・鉛筆の濃さ。これらはきっちり決まっているらしい。似たようなものがあっても使えません。絵具箱・裁縫箱・習字用具・色鉛筆・算数セット・鍵盤ハーモニカ・縦笛などは、その都度注文用紙が配られます。家に同じようなものがあっても、「回る周るハウスにはある」ものでも、子どもは「みんなと同じじゃないとイヤ」「注文用紙の品とちがう」と言います。「手作りで」と寸法まで指定した説明書付きで注文される図書袋やレッスンバッグも材料を買えば高価です。目的にかなえば何でも良いのではないかと思います。肩掛けは今やいらないし、アマゾンの本のあき袋でも十分です。要するに図書館で借りた本が傷まなければ良いだけです。子どもの感性や好みも保護者の価値観も多様です。なんでも「同じ」をやめれば、子どもの選択の幅は広がるし、何よりモノは大切に長く使えます。「自由にすると経済格差がみえてしまう」と言う人がいますが、格差は無い方がいいけれど、家計にあった工夫をすることは決して問題ではありません。多様な暮らしがあることを認め合い学びあうことは大事な学校での「人権教育」です。お金がない人に同じものを買うように強要するほうがよほど「差別」だと思います。どうしても同じにしたいなら、はじめから学校で揃えればよいでは無いですか。完全無償。これなら文句は言いません。

ある社会福祉法人が休眠預金を元手に、コロナと物価高で困窮する家庭を支援しようと「やさしさめぐるプロジェクト」を展開しました。(6月から2月)食料品と生活物資の宅配は好評で、またたくまに評判になり対応が間に合わないくらいでした。このプロジェクトが子どもたちのために「運動用具の支援」を行いました。部活用品が高くて買えない、部活に入れない、運動するための道具や靴が買えない・・・という子どもたちに「応援チケット」を発行しました。最終月の2月はスポーツ用品店や靴店から在庫品を提供してもらってのリサイクルフェアを開催しました。
高価なスパイクシューズが何足もありましたから、すぐ無くなると思っていたら、あまり出て行きません。「チームで色や形が決まっているから、それじゃないと履けない」のだそうで・・・。体育館シューズ(上履き)も学校指定なので、やはりちがうものは履けない。運動用具店の在庫の中には、某中学校の指定ジャージがたくさんありました。最近モデルチェンジしたので古いデザインの品はもう売れない…のだそうです。こちらはさすがに良品なので「家で着られる」と持って行く人がたくさんいます。学校は「決まったもの」しか使えない。もったいないなあ・・・。転校して一そろい買い換えた・・・という話も聞きます。

じわじわと押し寄せる「同調」「同質」の圧力は、持ち物ひとつにも、その扱いやふるまい方にまで及んでいるように感じます。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月14日20:42

「信州学び円卓会議」が挙げている6つの課題に「ないもの」・・・は?

「信州学び円卓会議」が挙げている6つの課題に「ないもの」・・・は?

2日付信毎に掲載された、「信州学び円卓会議」の記事によれば、昨年9月から今年1月にかけて、県内各地で県民との意見交換会を計6回開催し、子どもが自分の好きなことを突き詰められる柔軟な教育課程の運用、教員の自由度を保障するための業務削減や主体性の尊重ーと言った意見が寄せられ、これを踏まえて課題を六つにまとめた」とのこと。(記事引用)

円卓会議で挙がった六つの課題(信毎記事より)
・子どもがやりたいことを実現できる学校づくり
・教員がチャレンジしたいことを実現できる学校づくり
・入試制度の見直し
・学校や地域、フリースクール、行政など、さまざまな機関の連携・協働
・小規模校ならではの学びの実現
・学びの場を信州全体で支えるために必要な取り組み

■この円卓会議には、不登校の居場所関係者や親の会の関係者も参加して発言を求められていますが、「子どもにとって安心できる学びの場としての学校を」という切実な意見は、「ほとんどスルーされてる」と、感じます。円卓と言いながらその立場や権威がそのままで、もともと声が届きにくい関係をこそ見直して欲しいのに・・・。

■この6つの課題に無いものがあります。それは
・子どもの権利が守られ、安心安全な学校づくりです。

■大人がどんな崇高な目標でゴールを目指しても、子どもが同調や適応を迫られてやがて排除されるような「新しい学校」は誰のための学校ですか?「個別最適な」って、言葉はステキだけれど、モデルにしている外国の学校がいったいどんな規模でどんな理念でそれを実現しているのか見習った方が良い。学級定数は15人。教師は今の4倍。校舎は現在のままでは到底無理でしょう。たとえ小規模でも、それ保障されなければ「教師のチャレンジ」なんてできるわけがない。予算もない。

■要らない物を無くす方が早いです。「競争」「評価」「管理」「同質化」

■教育委員会がやるべきは形やスタイルを変えるより、「子どもが学びと権利の主体である」という理念の転換を図り、教師と児童生徒との関係を人権に於いて対等平等であることをまず確認することから。

■「こども基本法」は行政上の権限を教育の分野からはずしているけれど、「子どもの権利」の啓発・実践・教育は、学校教育に委ねられています。
さほどお金もかからず仕事も増えないから、まずここから始めて欲しいです。円卓会議殿。意識改革っていうんでしょうか?信州教育は旧いままです。







Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月05日21:02

「運動用具・靴の回る周るフェア」開催!!2月毎日曜日10:00~13:00

「運動用具・靴の回る周るフェア」開催!!2月毎日曜日10:00~13:00回る周るハウス

 社会福祉法人 信濃福祉会が事業団体として休眠預金の助成を受け、6月から長野地区で展開した「やさしさめぐるプロジェクト」は、2月で終了します。最終月2月には「運動用具・靴の回る周るフェア」開催です。                                                                                     

毎週スーパーに買い物に行く人なら、かつて98円だった品物が軒並み150円とか170円になっていることに気づいたり困惑したりしていると思います。物価は1.5倍になっている実感です。カップラーメン・小松菜・レトルトカレー・おやき・調理パン・レンジごはん・・・。いざと言う時はこれらの安売りがあれば一日生き延びることだってできる・・・品々。さすがに最低賃金は上がったけれど、「できる仕事があれば」の話です、生活保護費は削られることはあっても上がる気配なし。障害年金も同じく。もちろん高齢者の年金も同じ。差し引かれる「介護保険料」はあがっても年金は上がらない。医療費負担もまた上がる。(冷静になると社会保障費の減額は物価高騰とダブルパンチで国民は苦しい!!政党の裏金回してくれ!)

さて、こんな時節に眠っている預金財源を活用して、「やさしさめぐるプロジェクト」は展開しました。食品と生活用品の宅配は希望者が殺到し、なかなか申し込みにつながらない事態も・・・。同時に行った「経済的理由で運動やスポーツができない子どもたちへの支援」にも、多くの応募があって、12月で予算額に達し受付を終了しました。このプロジェクトは、フードバンクや企業・団体からの寄贈も柱に「モノを回す」「財源を回す」ことで血が通うように「やさしさがめぐる」ことを願ってスタートしました。運動用具の支援窓口では、すでに部活やクラブチームで運動している子どもでも、サイズが合わなくなって「新しいのが欲しい」という子や「部活で注文した用具の代金が払えない」という保護者からの声が聴こえます。「弟がチームに入りたいけど靴が無い」という兄弟からの申込みも。運動やスポーツ、部活動が「ぜいたく」になっているようです。

2月4日を皮切りに、回る周るハウス3階では、寄贈された運動用具や靴を提供します。無料です。
ついでに2階の常設「回る周るハウス」へもご来場ください。新しい価値観が「回る」かもしれません。




Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月31日10:23

「ふつう」が見直される時代。子どもの権利の保障と言う理念が変えていく「ふつう」

「ふつう」が見直される時代へ。子どもの権利の保障と言う理念が変えていく「ふつう」

1月24日の朝日新聞に、子どもの「一時保護所」の「決まりの見直し」の記事がありました。虐待などのため緊急で保護された子どもたちが、心身に傷を抱えながら、家族と離れて接する支援の場所が「一時保護所」です。民間の調査機関が2022ねんに調査した「一時保護所を退所した子どもへの調査」では、「スマホが使えなかった」「友達と会ったり連絡できなかった」「学校に通学できなかった」ことなどが「いやだったこと」として多く挙げられていました。(記事による)

 子どもの安全や管理のリスクを減らすために、どうしても厳格で細かいルールを作る必要があったようです。ただ、「子どもの権利」が重要視されるようになり、行き過ぎたきまりや管理には異論がでていたのでしょう。身近にも、「一時保護を勧められたが、きまりが受け入れられなくて断った」という体験者に話しを聴いたことがあります。また、退所経験のある人からは、これらのきまりだけでなく、様々な意味で権利が守られていなかったという話も聞きました。それらは「ふつう」として通用してきましたが、これからは変えていかれるでしょうか。

 すでに児童福祉法の改定で「子どもの権利」が明記されてから10年、昨年の「こども基本法」にも子どもの権利が明記され、さまざまなところから「ふつう」は見直されています。文科省の「生徒指導提要」の改定も同じです。
子どもの問題については「権利の主体は子ども」であり、大人にとって何が良いか、何がふつうか・・・という考え方からの脱却が始まっています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月26日08:05

本日、長野市内でがらくた座木島知草さんの公演があります。第1回執筆者会議。

本日、長野市内でがらくた座木島知草さんの公演があります。第1回執筆者会議。

がらくた座の木島知草さんの公演が長野市県町高校会館で10:30~あります。申しこんでない方もまだ間に合います!!
(090-3806-9332)

信毎の連載「ふつうって何ですか?」が新聞労連のジャーナリズム大賞・優秀賞に選ばれたと、今朝の朝刊にありました。子ども白書も注目していた熱のこもった連載でした。おめでとうございます。
「発達障害」の当事者や家族に取材し、その「生きずらさ」を知らせてくれました。そこにある「ふつう」「ふつうではない」という概念は、支援したり管理したりする場にまで持ち込まれ、やすやすと排除や時には矯正・強制・暴力にも及んでいることが暴露されました。だとしたら「ふつうって何ですか?」という問いは迷路に入りました。

子どもに関わる教育・支援・養育も場でもこの「ふつう」が「当然」になりはっきりと言語化されてしまうと、子どもは個人の存在や権利すら奪われかねません。2023長野の子ども白書「学校のあるある」は、そのことを語る不登校の子どもたちの声を発信しました。

さらにこのテーマにもっと深く広く取材を続けて欲しいなと期待しています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月20日07:50

「県の子ども医療費助成・来年度以降中学3年までにひきあげの方針」!

「県の子ども医療費助成・来年度以降中学3年までにひきあげの方針」!

 今朝の信毎トップ記事でした。大きな事です。実際はそれぞれの自治体が独自に負担することで、県下75自治体で18歳までが無料です。独自の支援が遅れていた長野市、中野市、茅野市も、拡大の方向を示しました。今回県が助成対象を増やすことで、それぞれの自治体がそれまで負担していた予算を他の子育て支援に向けられます。
 「子ども医療費無料化」の運動は「福祉医療制度の改善をすすめる会」が地方議会とともに長きにわたって取り組んできた成果でもあります。その経緯は長野の子ども白書に報告されていますが、今後、窓口負担の無い完全無料化に向けて取り組みを進め、国の制度として「子ども・障がい者の医療費無料制度」を創設するよう運動を進めます。
 県の「子どもの貧困」対策事業の中でも、長野県が辛くも「成果」として評価しているのは「医療費無料化」の実現です。(運動に押されて実施したのだけれど)何に税金を振り向ければ子育て家庭や子どもにとって生きた使い道になるのか、声を聴く政治に期待したいです。

 政治に期待・・・といえば、今ある制度を改善してより良いものにしていく運動が無いと、なかなか声が届きません。これらを政策に掲げている政党もありますが、議会で多数を得なければなりません。選挙がモノをいう。声を聴かない政治に無力感が湧く。
 孫に勧められて「ハンナ・アレント」(講談社現代新書)を読んでみました。二度と繰り返してはいけない「全体主義」の悲劇。それはまず国民の「あきらめ」や「無力感」を土壌にして拡大する・・・という言葉に・・・まさに「今」だなと思います。

 子ども医療費無料化の運動も、こつこつと集めた署名用紙を地方議会に届け、発言した議員がいたから、その後ろに声を上げるあきらめない人たちがいたから実現に向けて進んできました。2012年、子ども白書創刊の頃でさえ、社会福祉の支援者の中には「当事者には医療費くらい自分で払えるように自立してもらうのが目標です。安易な無料化は甘やかしになると思うから反対です」という意見さえありました。数年たって実際の子育て家庭がどのような状況なのかを知ると、だんだん考えを変えて署名してくれました。テレビでは映画「生きる」をやっていました。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月16日09:59

人形劇団がらくた座の「木島知草さんの公演」があります。

おそまきながら 新年のご挨拶を申し上げます。

元旦の大きな揺れは私たちも感じましたが、北陸では大きな被害が出ました。悲しい出来事で年が明けました。
被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。
まだ救援や支援が届かないところもあると聞けば、本当に苦しいです。早く、なんとか、ともどかしい思いです。自分に何ができるだろうと焦ります。

19号台風の時に活躍した団体が、いちはやく重機を動かして駆け付けたと聞きました。被災の経験が生かされると良いです。「自分も力になりたい」と思う小さな力を活かす「場」の設定が急がれると思います。寄付もボランティアも・・・!

長野の子ども白書は2024長野の子ども白書発行に向けて始動しました。
1月20日(土)に第1回執筆者会議を開催します。

これに併せて、当日 人形劇団がらくた座の「木島知草さんの公演」があります。
木島さんは18歳の時から人形芝居をはじめ、性・人権・命・平和を訴え続けています。日本中にファンが多く北から南まで毎日のように駆け回っています。「もう今となったら、遺言だね」と笑います。いくつもの表現手段を駆使してひとりで演じる2時間をぜひご堪能ください。

「ちいばあの命のお話」~性・人権・命のつながり~
人形劇・紙芝居・語りによる参加型の公演(2時間・途中休憩あり)

1月20日(土)10:30~12:30
会場:長野県高校教育会館(ナビでは長野県教育文化厚生協会Rinks593)
参加費500円
18歳以上限定

お問い合わせ:090-3806-9332
お申込み:naganonokodomo@gmail.com



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月06日09:58

東京都内の食糧配布に700人の列。長野のきずな村も143人で過去最多。

東京都内の食糧配布に700人の列。長野のきずな村も143人で過去最多。

今朝の信毎に東京都内で食糧支援をする団体(もやいなど)の30日に行われた食糧配布の記事がありました。リーマンショック(2008年)後に行われた「年越し派遣村」を思い出します。大量の派遣切りで路頭に迷う派遣労働者が、宿も金も食べ物もなくこの「派遣村」の列に並びました。それ以後東京はもちろん各地で行われている食糧支援の事業は続き、長野でも2011年以来毎年開かれています。
 あれから、景気は回復したのか、派遣労働者はどうなったのか・・・?貧困は解消したのか?
 今や日本の労働人口のうち、正規採用は5割強。非正規採用が4割以上・・・とも言われています。最近話題になっている公務員の「会計年度職員」も実は非正規で、その給料水準はとても自活できる金額では無いとも・・・。

■「もやい」の大西蓮理事長は、「2014年の活動開始以降、配布の列が700人を超えたのは今年が初めて。低所得の人がたくさんいるのが『当たり前の風景』になっていると危機感を示した」(記事引用)

■長野の反貧困ネットワークによる「きずな村」(冬)には143人がおとずれ、昨年冬(127人)・今年の夏(136人)を超えて、活動開始2011年以来、過去最高の来場者数でした。「家には家族がいる」という方には2個渡すこともあり、準備した支援物資250個はすべて無くなりました。「子どもの貧困対策」「コロナ禍支援」などで、フードパントリーも多くの機会に行われている中、それでもこうして寒い中並ぶ人の中には女性や親子連れが増えているのも新しい状況です。

■生活困窮者の中には、病気や障害で働けないために公的扶助や社会保障制度につながっている方も多く、いかに公的再配分のレベルが実態に見合っていないかを見せつけられます。異常な物価高騰はこの再配分にまったく反映されていないので、やりようがありません。わずかに上がった最低賃金も非正規労働者にすぐさま跳ね返るほどの額ではありません。

■岸田政権がこうしたことを理解したのか攻撃を怖れたのか、「生活困窮者への一時金支給」が決まりました。こうした「お上からの賜りもの」は、生活保護でも「貯金」が許されるとのことで、財布に「15円しかない」と言いながら、以前に支給された「10万円」をまだ貯金している人もいます。「この先なにがおこるかわからないから」。そしてまた食糧支援の列に並びます。

■「子どもの貧困」は、日本の「貧困問題」そのものです。大西さんが理事長を務めるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」も反貧困ネットワークも、働くこと・自力で収入を得ること・公的制度利用することで、生活の自立を支援する団体です。自立のためには支援が必要だからです。家を離れた学生も生活困窮しています。保護制度を利用する人も孤立しがちです。

■「低所得の人がたくさんいるのが当たり前の風景」って、国政の「貧困」そのものですよね。ソーシャルアクションを!!









Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月31日08:35

子ども自殺対策データの集約・子ども家庭庁が省庁横断のデータ分析に着手

子ども自殺対策データの集約・子ども家庭庁が省庁横断のデータ分析に着手

本日の朝日新聞記事によれば、子どもの自殺が増え続ける現状を打開しようと、政府が省庁横断のデータ分析に乗り出す。これまで複数の省庁に散らばる形で管理され、一部は自殺予防に十分活用されずに来た資料をこども家庭庁に集約し、個々のケースを検討しながら自殺に至る要因を多角的に調べ、科学的根拠に基づく予防策の提言につなげる構想・・・とのことです。

「文科省のガイドラインでは、自殺の発生直後、基本的に学校が事実関係の整理のために「基本調査」を行う。この結果を踏まえて、公立では学校設置者である自治体の教育委員会が詳細調査に進むかどうかを判断する。」(記事引用)

■この詳細調査を実施したのは2022年度に全国の小中学校で把握できた子どもの自殺者411人のうち、19人(4.6%)だけであった・・・とあります。本当ですか?文科省に依れば、「詳細調査に移行しない理由」として「全容解明ができ、学校に起因しないと確認されたため」という学校側の説明。学校側が遺族に詳細調査の仕組みなどの説明をした事例は59.4%とも書かれています。

■「学校側の判断」・・・「不登校調査」とよく似た背景が透けて見えます。そもそも、子どもの突然死・急死を、「自死」と認めたがらない学校関係者の言動を当事者から聴いたことがあります。「在校生・同級生が動揺するので病気と言うことで発表したい」と、駆け付けた校長が遺族に告げた例。明らかに自殺なのに「本人の名誉のために公表しないで」と親族が助言した例。「自殺は忌まわしく悪いことだ」「原因を解明するのは大変で誰かが責任を負う」という価値観から、特に学校では「無かったことにしたい」ので、「忘れる」ことに専念する。卒業式に名前が無いのも卒業アルバムが届かないのも良く聞く話です。

■特に長野県の場合、未成年の自殺は学齢児(主に高校生)で、長期の引きこもりや不登校では無く「学校から突然姿を消す」。学校の個人や特定の環境ばかりでなく「学校教育」という場の「なにか」が積み重なって「原因」となる・・・・。この原因解明に着手しなければ。何度も自死を試みた中高校生の声に耳を傾ける気持ちすらない。「学校のあるある」がいつ引き金になるかわからないのに。

■「相談すれば予防できる」以前の話です。早くやりましょう。「こども家庭庁」が、省庁横断を謳いながら実際の行政上の仕組みは「文科省とは別」なのが難関です。文科省は今や学校教育の水準を守る組織であって、子どもの命を守ったりはしないと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月27日10:27

殺傷兵器の輸出を可能にする「防衛装備移転三原則」運用指針の改定

殺傷兵器の輸出を可能にする「防衛装備移転三原則」運用指針の改定

裏金問題で揺れている自民党だが、その目指すところはきっちり推し進めるところが怖い。
戦後日本の平和主義を根幹から変えてしまうような「人殺しの武器を他国に輸出する」国になろうとしています。
世論調査では殺傷兵器の輸出に6割が反対している・・・と報じられていますが、支持率最低の政権はどんな悪事が露呈しても知らん顔だ。
これほど「国民の声を聴かない政権」は、かの阿部政権をも上回る強引さで押し通してその名を歴史に刻みます。

次世代に知らせたい。
過去の日本の過ちをまた繰り返そうとしているのは、かの戦争を引き起こした侵略主義者の子孫なのだということ。
他国への謝罪も反省もなく・・・また。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月24日07:10

ミヒャエル・エンデの「モモ」のこと。信毎新連載「モモ出版50年」

ミヒャエル・エンデの「モモ」のこと。信毎新連載「モモ出版50年」

信濃毎日新聞「モモ出版50年」の連載が始まりました。岩安良佑記者による記事です。
信濃町の「黒姫童話館」が、「ミヒャエル・エンデの記念館」でもあることはよく知られていますが、どうしてドイツの作家の遺品が日本の黒姫童話館にあるのか、知っている人は少ないかと思います。遺作・資料の9割以上が黒姫童話館にあると知ったら、なおのこと不思議ではありませんか。

2019長野の子ども白書に、黒姫童話館学芸員の山原清孝さんが「黒姫童話館から・ミヒャエル・エンデの世界」と題して、そのいきさつについて紹介して下さっています。(P38/39) HPからお読みになれます。また、せっかくのミヒャエル・エンデの世界観に触れられる黒姫童話館に一度行かれることをお勧めします。(冬季は閉館でしたっけ)

信毎記事にあるように、この50年前の作品「モモ」は、今改めて共感と感動を以て読まれています。それは今日本の社会で大人や子どもを追い立てる「時間どろぼう」が増えてしまっているからです。「子どもの権利条約31条」の大切な子ども期を奪う悪い奴らがいるからです。

■「モモ」が日本語訳が出版されたのは1976年です。初版本を買って読んだ記憶があります。「星の王子様」と同じように傍らに置いていましたが、だんだん自分も灰色の服を着た時間泥棒の手下になっていきました。子どもたちに「お薦め」したら自分が批難されそうでした。でも誰かに貸したすと行方が分からなくなって何度か買い替えて、今手元にあるのは友人から譲ってもらった1986年の第24刷版です。

■長野の子ども白書を創刊するとき、真っ先に思い出したのはこの「モモ」でした。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月14日08:54

おわび。12月17日「虐待を体験した私がほしかったもの」対話会は、中止です。

おわび。12月17日「虐待を体験した私がほしかったもの」対話会は、中止です。


多くの参加申し込みをいただきましたが、12月17日の「虐待を体験した私がほしかったもの」対話会は、主催者側の事情により、急遽中止させていただきます。申し込みをされたみな様、これから参加を考えておられたみな様、本当に申し訳ありません。主催者側の事情で、せっかく勇気を出して語って下さるというさくらさんのお気持ちにもお応えすることができず、本当に残念ですがお許しください。
ひとまずお詫びとお知らせまで。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月07日21:54

あだ名で呼ぶことを一律で禁じるってどうなの?(今朝の信毎秋山仁さんのコラム)

あだ名で呼ぶことを一律で禁じるってどうなの?(今朝の信毎秋山仁さんのコラム)

信毎教育欄の今朝のコンパスは、秋山仁さんの「仇名で呼ぶこと一律で禁じるのは‥‥モラル期待できぬ寂しさ」でした。同感です。たぶん文科省は「教師は学校で児童生徒の名前を仇名で呼ぶことはやめましょう」と当たり前のことを教職員に言っているのかと思いますが、仇名がいじめにつながるという懸念から、子どもの間で使われる仇名や呼び名まで一律禁止・・・というのは 違うと思います。
例えば教師が子どもを名前以外の呼び名で呼ぶと、それは差別やいじめにつながることがあります。学校と言う社会では、教師は子どもをきちんと本名で(さん付けで)呼んで欲しいです。教師と生徒の人間としての対等性を、教師から子どもに伝える最も基本的なことだと思うからです。

子どもには子どもの社会があります。本名なんか知らなくても一緒に遊んだり仲良くなったりもします。私たちの思い出の中にも、名前は忘れたけれど覚えている友だちがいます。あだ名や呼び名は思い出せるのだけれど・・・。「子どもの世界に介入するな!」と言いたいです。子どもの内心の自由にふみこんで「しぐさ」や「ふるまい」まで一律化しようとするのは、本当にやめて欲しいです。

教師に子どもがあだ名をつけたり、伝統的な呼び名を使ったりするのは、秋山さんが書いているように「親しみ」であり生徒同士の連帯感のような意味があると思います。面と向かって先生をあだ名で呼んだりするのはめったにないと思います。本当は尊敬も感謝もしているけれど、「教師」という側面だけでない人間性に関心があるからなのだと思います。尊敬する先生にもみんなあだ名がありました。本名に「さん」を付ける別格も。

秋山さんのように、自分に付けられたあだ名をふりかえってみたら、その時々にいろんなのがあり、その呼び名で呼ばれると「あ、高校の時の同級生だな」とか「大学時代のあのサークルの人だな」と思い出したりもします。ちゃんと由来や時代背景もあって貴重な思い出です。

教師時代に付けられたあだ名は光栄なものも悲しいものもありましたが、最後に付けられたのは「ばあさん」で、文字通りばあさんだったのでよろこんで呼ばれていましたが、何年もたってから長野駅の遠くの方から「ばーちゃん」と呼ぶ声がして、(ああ、誰かお孫さんがおばあさんを見つけて呼んでるんだな)と思っていたら、声の主が近寄ってきて「お久しぶりです!」と言われて驚きました。「あー!私のことか!」
そういえば自分も、高校の恩師にずっと後になって再会したとき、本名が思い出せなくてつい「***」と言ってしまいました。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月02日08:24

子どもの視力低下はスマホやタブレット端末の利用時間が増えたから(文科省)

子どもの視力低下はスマホやタブレット端末の利用時間が増えたから(文科省)

昨日、2024長野の子ども白書に掲載予定の「子どもとメディア・清川輝基さん」にインタビューをさせていただきました。(「NPO子どもとメディア」は、今年1月に「こども家庭庁」「こども基本法」のスタートに当たって、内閣府に提言書を出しています。)(インタビュー記事は2024に掲載)

インタビューの冒頭に、早速今朝の新聞記事について話題になりました。各紙がこどもの視力低下が止まらないという記事を載せていますが、朝日新聞は「スマホ利用影響か」と、その要因に触れて大きく報じています。子どもとメディアはじめ多くの団体や識者が、スマホやタブレットへの接触時間が増えると子どもの健康被害が大きく、特に視力低下は重大な問題と指摘してきましたが、文科省はなかなかはっきりとは認めませんでした。しかし、今回文科省が公表した2022年度の「学校保健統計調査」で、子どもたちの視力が低下し続けている実態がわかりました。

朝日新聞の記事によれば、「こどもの視力低下について文科省はスマホやタブレット端末の利用時間の増加が要因とみている。国のGIGAスクール構想のもと、21年度末までに全国の公立小中学校の児童生徒に1人1台の情報端末が配布された。今春全国学力調査と同時に実施されたアンケートでは、授業に週3日以上使うと答えた学校が前年より増え、小学校で9割、中学校で8割を超えた。こうした状況から、文科省も様々な対策をしてきた。21年3月には端末の活用に当たり、目と30センチ以上離すことや就寝一時間前は使用を控えることなどを呼びかける通知を出した。」(記事引用)

■一応対策は取られ、通知も出されているが、保護者も子どもも知っているのでしょうか?もともと2023年から開始予定だったGIGAスクール構想はそのための環境整備や指導力要請やリテラシー教育(健康被害も含む)も十分行ってから始める予定でしたが、コロナ禍の「一斉休校」によって、すべての予算を前倒しして「モノ」だけがいち早く配られました。

■施策を主導したのが文科省では無く(物を動かす)経産省だったこともうなづける動きでした。これを使うのが「子ども」だという意識などどこにもないかのようなコロナ便乗の「一人一台端末」でした。

■それがなんであるか、どのような使い方が良いのかも十分に知らない先生たちに、「使えるようになる」ことだけを教えられている子どもたち。

■知らないのは保護者も同じ。赤ちゃんにスマホを持たせたらどんなリスクがあるのか知らないで、平気で長時間子守がわりに与えてしまう。(清川さんは「ブレーキもハンドルも教えないでアクセルだけを与えて車を走らせているようなものだ」・・・と!)

■ともかく、リスクを正しく教えること・学ぶこと。学校ではリテラシー教育を!!

■近視はあなどれません。失明の可能性の高い緑内障や網膜剥離は、近視の人の方が罹るリスクが高い。

■記事には「日光は近視抑制に役立つ」とも書かれています。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年11月30日21:53

12月17日(日)「虐待を体験した私がほしかったもの」若い養護教諭の語り

12月17日(日)「虐待を体験した私がほしかったもの」若い養護教諭の語り

昨年放映された「私の中のかけらたち~虐待を生きる22歳~」というSBCテレビのドキュメンタリーをご覧になった方は多いと思います。のちに全国放映されました。児童虐待を体験した若い養護教諭は今、何を語るでしょうか。

さくらさん(番組中の仮名)は、その後2023長野の子ども白書にその体験と思いを投稿して下さいました。私たちはこの手記を驚きを以て読みました。豊かな表現力、美しい文章力に圧倒されて、まるで現実のこととは思えない過酷な事実が、そのまま読み手である私たちの前に押し寄せてきました。聡明さと強い意志と計り知れない努力によって、その困難から抜け出したかに見える経歴は、ただただ「子どもたちを守る養護教諭になりたい」ための手段でした。みごとにその目標を達成して今日現役の養護教諭になってなお、体験した虐待は、多くの物を奪い、もう取り返しがつかない。
ほしかったものは小さな幸せのかけらたち。…その苦しみの語りに耳を傾けて欲しい。、

12月17日(日)14:00~16:30
長野県教育文化厚生協会Rinks593(高校会館)
参加費500円
主催:長野の子ども白書編集委員会
お問い合わせ・お申込み:naganonokodomo@gmail.com



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年11月27日21:03

長野の子ども白書「包括的性教育体験会」長野第5回は骨盤底筋!

長野の子ども白書「包括的性教育体験会」長野第5回は骨盤底筋!

「性教育は一生もの」というのはこれを体験すれば納得です。
中高年になって怪しくなってきた下半身の悩み。人に言えないしどこの病院にいけばいいのかわからないし、そもそも病気じゃないんだろうし・・・。
この悩ましい心配事も「包括的性教育」でスッキリ。対処法も予防法もあるんだ!!

「人生を支える骨底筋を学んで鍛える・ペルビックフロアレッスン」
授業者 みすずレディースクリニック 林さん

12月3日(日)14:00~16:00
長野市もんぜんぷら座801(8階)
参加費500円
参加申し込み・お問い合わせ
090-3806-9332
メール naganonokodomo@gmail.com

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年11月18日21:37