掲載予定記事紹介 ③地域課題として「子どもの声から学校を考える対話の場」を

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ③地域課題として「子どもの声から学校を考える対話の場」をつくりたい

地域課題として「子どもの声から学校を考える対話の場」をつくりたい

となりのチカラ 代表 西山 良子

3年前に親の会を始めて、不登校約30万人という現状に率直に思うことは、「この数字をいつまで子どもたちに背負わせるのだろう?」ということです。子ども・親・先生の努力、忍耐、根気に依存し、子どもの側を変えるだけの支援ではなく、「不登校」「学校に合わない子ども」の側に立って考え、学校そのものを改革していかなければ子どもが学校からいなくなる日も近いと思っています。「学校がいやだ!変だ!行きたくない!」という子どもの声を無視して学校の未来はないということを社会や地域の課題として捉え、大人から変えていく必要があると思っています。

なぜそんな風に考えるようになったのか?
私自身、小中学校は毎日行きたい場所ではありませんでしたが、学校なんてそんなもんだと我慢して通っていた記憶があります。
自分の感覚を無視して「そんなもんだと我慢する」ことが学校に通う間に板につき、社会に出てもいろんなことをあきらめて大人になった自覚があります。娘が小学生になり親として学校を見た時、40年以上前に記憶している小学校とほとんど変わっていなくて、それ以上に何だか窮屈で相変わらず我慢して行くような場所であることに、親になった私はチクリと胸が痛くなりました。なぜなら、何も変えようとせず変えることができるとも思わずに、我慢して、あきらめて、やり過ごしてきた結果、今の学校を子どもたちに残してしまったのだろうと思うからです。だから余計に、娘が学校から遠ざかることには、早いうちから納得しました。なので、「一緒にフリースクールを見に行こう」「学校じゃなくても学べる場所はたくさんあるから大丈夫」と、学校からさっさと遠ざかろうと提案したりもしましたが、娘は3年後、再び学校に行き始めました。むしろ「学校以外に行くつもりはない」とずっと言っていました。 そんな娘の思いは「学校に行けるなら行きたい」。そういう気持ちで休んでいる子どもは結構多いことを親の会を通しても感じました。もちろん、「学校に行くべき」という周囲の圧力もあるとは思いますが、それだけではなく、みんなが同じ地域で同じ場所に通い、同じ年齢で同じ学びを経験している。「強制的に6歳になったらここに毎日行くんだよ」と用意された場所。そんな風に大多数の同年代が通る、人生の一部に食い込んだ、まるで通過儀礼のような側面を持ち合わせるのが学校なのではないかと思うのです。みんなと同じようにできないことが後ろめたく、やるせなく思うことや、孤立感を抱いてしまうのは、その子の立場で想像してみれば当然のことで、単に学ぶ場を確保できればいいという話じゃないのも分かるかと思います。 親も通過儀礼を通らず、学校に行かない道を子どもと進んでいくうちに、運動会や修学旅行、テスト勉強や受験など、知らないままでいいんだろうか? (人と比べて)成長できないんじゃないか? 不安と心配が波のように押し寄せてきます。高校は中学と違って自由に選べると言うけれど、結局高校に行くなら学校生活を送れるのが前提で、それができなきゃ話にならないと中3受験期に突きつけられて、義務教育が終わる焦燥感に我を失って子どもを追い詰めてしまうことがあるのは、親も追い詰められているから。どこまでいっても世の中に合わせなきゃ生きていけない、子どもも親もレールから降りているようで完全には降りられずに、結局は、子どもが周囲に合わせられるよう教育していくという形に戻されてしまうように感じます。

学校のあるあるが子どもを苦しめる
中学から娘が再び学校に行こうと思ったきっかけは、友達との時間を取り戻したいという切実な思いからでした。3年間、家でつながりを断っていたことで、その時間の尊さを感じられたのかもしれません。ただ、不登校から再び学校への道は簡単ではないんです。学校自体は不登校前と何ら変わっていないので、元気になったら我慢ができるようになるものでも適合できるようになるものでもなく、むしろさらに嫌気がさして、疲れるし、先生は最悪だし、「やっぱり行きたくなくなる」となってしまう。非常に残念なことに、心身を健やかに保ち、自尊心を失わない生活を送るためには、「学校に行かない方がよっぽど娘の人生にとっていいんじゃないか?」ともやもやした気持ちになったりもします。不登校に関してはいろいろな調査が行われていますが、学校で当たり前になっていることが辛いと言う子どもが多くいます。その中でも先生からの関わり、体罰や暴言までいかないが「こんなことも分からないの?」「1回しか言わないって言ったでしょ(だからもう言わない)」「さっさと書け!」「どうせまた〇〇だろ」「もういい!」みたいな皮肉、嫌味、決めつけ、高圧的な態度です。これが本当に子どものこころを痛めつけるし、疲弊させる。家庭での子どもに対する不適切な関わりがマルトリーメントと言われますが、「教室マルトリートメント」という本もあり、学校では「指導」として認識されてしまうこともあるのです。しかも、当たり前の光景でそのことに誰も声を上げないし、上げたところで何も変わらないし、説教されるだけだから子どもは言わない。言えない環境がそろっている学校では、主体性をなくしてだんだんと自分の意見や考えを持たなくなるので扱いやすい子にはなるかもしれないが、それが本当に目指す子どもの姿なのか?と親も考えることが大切だと思います。また、学校の体罰に関するアンケートでは、肉体的な暴力に限定している印象があり、このようなことは傷つくし怖いけれど、体罰ではないかも?と子どもとしては迷うので、本来ならアンケート自体も見直しが必要だと個人的には感じています。

調査の中で聴かれた子どもたちの声
〈不登校の子どもたちが学校で辛かったこと〉
・給食食べる早さ、足の速さ、テストの点数、全部競ってて辛かった
・先生がこわい、大きい声で固まってしまう
・時間に縛られてやることばかりで、全然自由じゃない
・好きなことも得意なことも違うのに、みんな同じ型にはめようとする
・他の子が怒られているのをみると、自分は怒られていないけどすごく怖かった

子どもは未熟で指導が必要な存在だと思い、厳しくしつけなければと思いがちですが、それによって、人として当たり前にある人権や尊厳を傷つけてはいないだろうか?学校こそ子どもが人権感覚を学ぶ場にふさわしい環境であってほしいと願います。

子どもの声から学校を考えるには
学校から子どもたちが消えてしまう前に、毎日安心で楽しみになるような学校にするにはどうしたらいいのでしょうか?
以下は、長野県PTA新聞に掲載されていた、県内の小中学生にアンケートした「こんな学校ならいいな♬」の子どもの意見です。
・宿題をなくす
・スマホOK
・お昼寝できる
・給食をビュッフェにする
・持ち物自由にする
給食以外は、すぐにできそうだなと思うことばかりですが、家でも学校でもほとんど理由も聴かずに批判されたり却下されるとぼやいている子どもの声を耳にします。「大人は、意見は聞くけど聞くだけじゃん!」と子どもは言います。「そう思ってるんだね」と一旦受け止められるだけで、子どもたちにとって学校が安心できる場所になるんじゃないかな?と思います。その為には、まず大人である私たちがただ聴いてもらうという体験が必要不可欠ですが、そういう場所は大人にもないんです。先生や親に相談できないという子どもの背景には、大人の世界が垣間見えてきます。 今、学校に行っている子どもたちの中にも声は出さずとも辛さを抱えている子がいます。地続きで不登校の子どもたちがいるという視点を持ち、一つ一つの意見の奥にある「子どもたちの願い」を丁寧に見ていくことで、未来の学校像が浮かび上がってくる感じがします。
2024年度は地域の小中校長先生方と不登校・行き渋りの子を持つ親との対話会を実施しました。親も校長先生も子どもや教育への思い、不安や困りごとを話し聴き合うことで、立場は違えど子を思う気持ちでつながれるようなあたたかな場になり、お互いに有意義な時間を持つことを意図しています。3月には次年度に向けて「明日も行きたくなる学校づくり」をテーマに対話会を実施します。(子どもの意見も入れる工夫を考え中!)自分の子どもが義務教育を終えたとしても、その先に続く全ての子どもたちにとって、そして先生方にとって学校がハッピーな場所になって欲しい!
たくさんのチカラを集めて実現に向けて活動を続けられたらと願っています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月11日08:19

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ①不登校、その「支援」の前に後半

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ①不登校、その「支援」の前に…後半

4. 「自由記述]から見えてきたこと
交流会の調査では、「不登校の要因について」、「各相談先について」の2点、自由記述形式の質問を設けました。ここでは、その切実な声の一部をご紹介します。なお、個人や団体が特定できないよう、主旨が変わらない範囲で変更を加えている箇所があることをご了承ください。
(1)不登校の要因について
①「教職員」に関する記述

発達障害のクラスメイトを先生が強く叱責するため、ストレスのはけ口として我が子が暴力を伴ういじめのターゲットになった。

クラスメイトがひどく叱られていることが自分のことのように辛く感じたとも言っている。

自分の名前を漢字で書くと、習っていないという理由で×をつけられた。

担任に体調が悪いと訴えても保健室に行かせたもらえなかったり、早退について保護者への連絡がなかった。

同調圧力を感じさせる言葉を掛け続けられた。

(集団行動ができないことで)「こんな事もできないようでは、お前の将来は刑務所の中しかないぞ」と言われた。
②「決まり」や「集団行動」に関する記述

時間を計りながら給食を食べさせたり、決まりが多かった。

指示に従って集団で動き、その度「評価」されることに敏感に反応し、違和感を募らせていたようでした。

連帯責任と言ってみんなのせいにする。
③「いじめ」に関する記述

担任に話をしても信用してもらえなかった。

虐め加害者に学校は一度も注意も話を聞くこともなかった。

「お前は支援級に行っているからバカだ」と言われた。学校は少数派の子どもたちには苦しい場所だと思います。
④「学校の仕組み」に関する記述

みんな同じ、与えられたものを、繰り返し何回も、というスタイルが合わなかった。

決められたことをする、いい子にならなくてはいけない、人と比べ合う状況などに苦しんでいました。

学習障害への対応を求めたが、特別扱いはできないと支援を断られたことで(学校に)居場所がなくなった。
⑤「教育委員会やSC、SSW」に関する記述

いじめ加害の解決ではなく、本人がどうやって学校復帰するという提案しか出てきませんでした。SCやSSWも、それを追認するだけで、専門性が大いに疑問でした。
⑥文科省の調査方法自体に関する記述

本人にも明確な理由はわからない。

(不登校は)問題が複数絡んでの結果だと思います。

家庭に(選択肢のような)原因があると言われているよう。社会的レッテルを貼られている気持ちになる。
⑦コロナに関する記述

コロナ対策が、より学校を嫌な場所にした。

コロナ自粛明けということもあり、不安定なまま小学校生活がはじまりました。

(2)各相談先について
①学校内

いじめの相談をしても先生たちが認めず隠蔽している。

SCやSSWは、とにかく当たり外れが激しい。

SCの方が、否定をする事ばかりでただただ傷ついた。

いじめる側をカウンセリングすべき。

学ぶ意欲があってもプリントだけ渡して放置でした。
②教育委員会・行政

教育機会確保法すら知らない教育委員がいる。

行政は人によって専門性が変わり過ぎて、話にならない。
③医療機関、④療育(発達支援)施設
・希望者が多いのか、まず繋がるのが難しい。

半年以上待たされて、どんどん子どもの状況が変わってしまう。親子で悩んでいる時間がつらくなります。
⑤フリースクール・居場所

子ども目線でのアドバイスが聞け、子どもが元気になった。
・親の話も親身に聞いてくれ、家族を助けてくれた。

やっと自分でいられる場所を見つけた。そうでなかったら死にたい気持ちになっていた。(本人)
⑥親の会

同じ思いをされている親子がいると知り本当に救われました。

情報量も多く、共感力も高く信頼できる。親の会にこそ国の予算を充てて欲しい。

ピアサポートが一番寄り添ってもらえて、子どもに前向きになれるのではないかと思う。

終わりに
残念ながら、今日まで、支援の前提となる「正しい現状認識」が欠けていたことは否めません。今後、行政レベルでは、政策を議論する段階から、いかに「当事者の声を反映させる仕組み」を作れるかが鍵を握るでしょう。また、現場レベルでは、見解の相違があることは受け入れつつも、まずは子どもや保護者の困り事に「共感する態勢」が不可欠です。場合によっては、共感できない教職員を支援チームから外す決断も必要かもしれません。
いずれにせよ、不登校への理解が進み、当事者に寄り添った支援のあり方を模索していくためにも、私たち、交流会の調査結果が、一人でも多くのみなさんの目に留まることを願っています。




Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月09日09:11

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ①不登校、その「支援」の前に・・・

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ①不登校、その「支援」の前に欠けているもの

これからご紹介する記事は、4月21日のオンライン会議で報告されます。参加ご希望の方は長野の子ども白書HPからお申し込みください。

不登校、その「支援」の前に欠けているもの
「不登校実態調査」から見えてきた課題
信州居場所・フリースクール運営者交流会 発起人 村上 陽一


はじめに
1991年から30年以上続いている文科省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」が、今年も公表されました。文科省の定義による不登校は、中学では「100人に6人」に達し、総数は30万人に迫りました。これに「フリースクールで出席扱いになっている者」、「遅刻・早退などで欠席にはなっていない者」、「中間教室で過ごしている者」などを加えれば、その数は倍以上になるだろうと多くの支援者は口を揃えます。
文科省は不登校が急増した要因について、2019年末から始まったコロナ禍の影響に加え、2017年に施行された「教育機会確保法」の浸透が背景にあると分析しています。もちろん、これらの影響もあるでしょう。しかし、時系列で見れば、少なくとも2013年から、一貫して不登校児童生徒数が増え続けていることも事実です。
現在、この調査結果は、長野県に限らず、多くの自治体で「不登校支援策」を議論する際の参考資料として用いられています。しかし、仮に、この調査が実態を十分に反映できていないとすれば、それを根拠に議論された政策が奏功しないのも必然と言えます。
そこで、私たち「信州居場所・フリースクール運営者交流会(以下「交流会」)」では、文科省の調査と比較検証するため、独自の実態調査を行いました。本稿では、その結果を基に、調査のあり方や、調査結果を活かした支援のあり方について考察を試みたいと思います。

1. 調査の概要
①調査方法:Googleフォームを利用

回答者:長野県在住で不登校及び不登校傾向の小中高生をお持ちの保護者(匿名)
③期間:2023年9月15日~9月30日(16日間)

回答数:全273件(小学生216件、中学生55件、高校生2件)

2.「不登校の要因」について [資料1-1、1-2](省略)
 文科省の調査を見ていくにあたっては、「回答者が教職員」である点を考慮する必要があります。その上で、長野県内の公表値を見ると、不登校の要因を「(本人の)無気力・不安」とした回答が最多で、全体の約40.6%を占めています。ところが、「当事者の保護者を回答者」とした交流会の調査では、同じ選択肢でも約12.8%にとどまりました。しかも、自由記述からは、この選択肢を選んだ保護者の多くが「無気力」ではなく、「不安」という要素を意識して回答していることがうかがえます。また、仮に「無気力・不安」になったとしても、「その原因こそが調査されるべき」という指摘も複数ありました。
一方、交流会の調査で最も多かったのは「教職員との関係をめぐる問題」の選択肢でした。「複数回答無」でも約15.8%、「複数回答有」では約42.5%の保護者が選んでいます。これは、文科省基準と比較すると、最大約46.7倍もの開きがあることを意味します。
そして、さらに大きな乖離が見られたのが「いじめ」の選択肢です。こちらは交流会の数値の方が最大約63.7倍多い結果となりました。「いじめを原因とした不登校」は、文科省が定める「重大事態」にあたる可能性もあり、仮に交流会の調査の通りであれば、重大事態として扱うべき事案が見逃されている可能性も生じます。その意味でも、この数字は重く受け止める必要があるでしょう。
次に注目すべき選択肢は「学校のきまり等をめぐる問題」です。こちらは、交流会の数値の方が最大約48.6倍多くなりました。実は、この数字は少し予想外の結果でした。というのも、交流会の回答のうち、「小学生」の保護者が全体の79.1%(216件)を占めていたからです。一般に小学校には制服に代表されるような、明文化された校則は希です。ところが、自由記述には小学生が実に多くの「きまり」を意識して生活している様子が見て取れました。「ノートの書き方」や「あいさつの仕方」、「文房具の指定」、「集会時の歩き方」など、非常に細かく、多岐に渡ります。このような「明文化されていないルール」が、いわば「ステルス校則」として子どもたちを縛っている実態が見えてきました。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーが提唱した「一望監視施設(パノプティコン)」モデルによれば、常に教師に見られているかもしれないという「意識さえ定着させれば」、常に監視されている場合と同じ効果が表れるとされます。子どもは「自主的に」行為を抑制し模範になろうとします。さらに、相互を監視し、時に違反者を罰するようになると指摘します。実際、小学校では、担当の子どもが違反者を数え、児童会や校内新聞で公表し、時には罰を与える例も見られます。そして、教員の間では、このような事例を「自主的で誇らしい活動」と評価する声も少なくありません。
さらに問題なのは、文科省の調査では、このような「小学生の息苦しさ」が、数値として全く表れていないということです。
以前から文科省の調査方法の限界について、多くの支援者たちが懸念を示してきました。にもかかわらず、行政やマスコミは、そういった声に耳を傾けてきたでしょうか。結果として、不登校は「本人や家庭のせい」だという、偏った印象が社会に定着してきたことは否めません。無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)が、「当事者(の保護者)と学校」、「当事者(の保護者)と、それ以外の子どもたち(の保護者)」の相互理解を妨げ、分断を助長してきた、この30年を繰り返してはなりません。

3. 「相談支援の在り方」について[資料2-1、2-2](省略)
次は「相談先」についてです。多くの当事者が信頼できる相談先を求め苦労している様子がうかがえます。それは「納得感」にも表れています。この項目では公的機関と民間の間に予想以上に大きな差がつきました。残念なことに、自由記述には、学校や行政から受けた一方的な言葉や冷たい態度に対する憤りや落胆の声も多く寄せられています。
なぜ、このような摩擦が生じるのでしょうか。前述の「不登校の要因」を合わせて考えてみます。「本人や家庭」に要因があると回答している学校側と、「教職員の対応」にあると考えている保護者が、相談の席に着くのですから、円滑に対話が進まないのも無理はありません。逆に、民間の相談先、特に「親の会」が納得感や信頼を得ているのは、まずは「共感」をもって接し、同じ目線で相談、支援にあたっているからに他なりません。

続きは明日。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月08日21:03

024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ②学校がはぐルッポなら行くんだ

2024長野の子ども白書掲載予定記事紹介 ②学校がはぐルッポだったら行くんだけどな
これからご紹介する記事は、4月21日のオンライン会議で報告されます。参加ご希望の方は長野の子ども白書HPからお申し込みください。

024長野の子ども白書掲載予定記事紹介  ②学校がはぐルッポだったら行くんだけどな

「学校のあるある」 Vol.2 学校がはぐルッポなら行くんだけどな
子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」代表 西森 尚己

はじめに
「はぐルッポ」は学校へ行っていない、また登校していても苦しい思いをしている子どもの居場所です。子どもが、自分で考え自分で決めて次の一歩を歩みだすお手伝いをしています。また保護者の相談も受けています。11年目になります。
2022年度の不登校児童生徒の数が文科省から発表され、10年連続の過去最多でした。毎年一番多い要因は、本人の無気力・不安、続いて家庭環境でした。しかし、「はぐルッポ」の保護者の相談では、不登校のきっかけは、学校での出来事、教員との関係、いじめ、学校の決まりなどが圧倒的に多いです。
「信州居場所・フリースクール等運営者交流会」が不登校児童生徒の保護者にアンケートを実施しました。結果は予想通り、きっかけが学校にある場合が最多でした。時を同じくして「多様な学びプロジェクト」が、不登校の子ども・保護者・経験者に全国的にインターネットで実態調査を行いましたが、やはり結果は同じで、文科省の調査とは乖離していました。当事者抜きにした調査結果をもとに行われてきた不登校対策が10年連続過去最多にしてきた意味を真剣に考えなければいけないと思います。
前回の白書で学校のあるあるを載せました。今回はその続きと、そして先生方が抱える保護者に対してのあるあるもあわせて載せてみました。

子どもや保護者からのあるある

□子どものことを相談したら、他にも大変な子がいるので〇〇くんだけ見てられませんと言われた。
□「家庭でできてるならそのままでやってください。学校には〇〇くんの居場所は作れません」と言われた。
□うちの子は登校していないのに、お便りに「今日は久しぶりに全員そろいました」とあった。
□医者に行って遅刻したら調理実習が終わっていて、「何もしなかったのに、ただ食べるのは常識としていけない」と言われた。
□先生に、「今週1日来たから、来週2日来て増やしていけば1年たったら毎日来れるようになるよね」と言われて辛くなった。
□母が具合が悪いときに先生が来て、カップラーメン食べているのを見て「子どもにこんなもの食べさせて」と言った。
□「久しぶりに原級に行きたい」と言ったら「クラスの準備が整わないので」と言われた。
□「こういうことは得意なので授業出たいんですが」と言ったら「もう終わりましたから」と言われた。
□小学校へ入学したら先生から「みんな友だち。友だち100人作りましょう」と言われて苦しくなった。
□廊下は右側を黙って歩く、走ったら注意される。 
□算数の計算で定規で線を引くように言われている。
□子どもどうしで、忘れ物や身だしなみチェックをして注意したり、先生に報告したりする。(先生同士でも「君のクラス忘れ物多いね」と言われる)
□中学3年になってやっと学校へ行ったら、とたんに担任から「夢は何だ」と聞かれ「ここで人生が決まるぞ」(高校受験)と言われ前より苦しくなった。
□「この大学に入るには〇高校に入らないといけないぞ、今のままでは成績つかないぞ」と言われた。
□先生に「理系のほうがつぶしが聞くぞ」と言われた。
□先生は成績つけるために挙手した回数を数えているが、「挙げすぎるといけない」と友だちが教えてくれた。
□部活動で自主練と言いながら全員参加だと言われるのはおかしい。
□学校はすべて決まっていて、子どもに選択肢がない。
□寒いのではにわスタイル(スカートの下にジャージ)で登校していたら、住民から「みっともない」と言われたからと禁止になった。
□かわいい筆箱やバトル鉛筆などは使ってはいけないと先生に言われた。使うと先生に言いつけられて、子ども同士で監視するみたいになっている。
□相談があっても先生は忙しそうだから声を掛けたら申し訳ないと思っている。
□中学に入ったとたんに「将来困るので勉強させてください」と高校受験のことばかり言う。そういう先生が「親うけ」する。
□小学校に全然行かずにいた子が卒業証書を見て「僕は本当に小学校の課程を卒業したの?」と聞いた。

教員に対する保護者のあるある
□「今日は塾があるので早退させてください」と授業中に電話があった。
□「うちの子が学校で悪口を言われたから注意してほしい」と言われ、お互いに言っているのでと話したら「うちの子はそんなこと言いません、話をすり替えないで」と逆切れされた。
□「あの子がいるとうちの子の勉強に差し支えるから何とかしてください」と言われた。
□「プリントが届かなかったから予定がわからなかった」と親が言ってくる。(子どものカバンにあった)
□「部活の先生の口調がきつくて行く気がなくなったと言ってます」と親から連絡がきた。
□保護者から、子どもの好き嫌いで食べない野菜を、給食で抜いてほしいと言われた。
□担任が妊娠したら、「クラス担任として無責任だ」と言われた。妊娠した先生が「妊娠したようなことを子どもに見せるな」と言われた。
□「AさんとBさんが仲が悪いからうちの子は気を使ってAさんといたのに、いきなりAさんとBさんが仲良くなってうちの子が困っているから何とかしてほしい」と母親から言われた。
□係の仕事が終わらなかったので、「明日少し早く来てやってくれないかな」とお願いしたら、親から「なぜ学校の都合で早くいかなきゃいけないんですか?」と電話がきた。(いつも親が送ってきていた)
□親から「友だちとうまくいかなくなって休みます」と連絡がきたが、家族で遊びに行っていた。
□掃除のときにちょっとしたかすり傷をしたので、絆創膏を貼って帰した。翌朝母親が「医者に行ったら全治2週間でした。対応が悪い」と言われた。
□母親から「GPSを持たせているが、児童センターにいるはずが全く別のところにいるようなので捜しに行ってほしい」と電話があった。
□あの先生はクラスをまとめていく力がないから何とかしてほしいと言われた。
□宿題を少なくしたら、保護者から「宿題がないと勉強しないからちゃんと出してくれ」と言われた。
□「隣のクラスの先生と比べて、授業が下手だ」と非難された

「学校が『はぐルッポ』なら行くんだけどな」
ホントにこんなことがあるの?これはお互いレアなケースでしょう?と思うのですが、死ぬからいいとまで思い詰めている子どもや保護者がいる一方で、保護者対応に苦慮している先生がいることも事実です。不登校の子も親も先生に言えないと言い、先生は親に言ったら何を言われるかわからないと思っているようです。お互いにけん制して警戒しあっていたのでは対話にもなりません。学校の問題を弁護士が助言するスクールロイヤー制度を県でも締結したようですが、これほどまでに学校と子どもや保護者との間に溝ができてしまっているのかと思うと、どうすればいいのかわからなくて切なくなります。この状況を変えていくためには、子どもを支える者同士が子ども含めて話しあうフラットな対話の場が必要です。そこではおのずとそれぞれの価値観が問われることになると思います。それを、「子どもの権利」「人権」という観点から子どもにとっての最善の利益は何なのか、保護者も、先生も自らを問い直さなければいけないと思うのです。「学校が『はぐルッポ』だったら行くんだけどな」小学2年生から「はぐルッポ」へ来ていて現在小6のA君が、つぶやいた言葉です。彼は小学1年生の時に席を離れて歩き回って先生に怒られ、教室の前に立たされて「みんなといっしょに勉強したいです。ごめんなさい」と言わされました。それから学校にはずっと行っていません。彼は「はぐルッポ」ではとても元気ですが、彼の心の底には本当は学校に行きたいという気持ちがあることが、この言葉からわかります。「障害がある子は別の学校や教室に行ってね」、「子どもが不登校になったら別の場所(多様な学び学校やフリースクールなど)に行ってね」、という動きが加速していますが、別のところへ行く子は自分とは違う子だという意識が生まれ、ますます差別を生んでしまうでしょう。今こそ、子どもの権利に則って、すべての子どもが一緒に育っていくことができるように、本丸の学校がインクルーシブな学校になっていかなければいけないと、強く思います。







Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月08日21:03

子どもの声を聴き届けたい ~2024長野の子ども白書拡大執筆者会議開催~

024長野の子ども白書 執筆者のみな様
長野の子ども白書 読者・執筆者のみな様
このブログ読者のみな様

 花の春、新学期の春、新スタートの春、新年度の春、長野の子ども白書も期待や願いを背負って4月を迎えました。執筆者のみな様はじめ、長野の子ども白書を見守り育ててくださっている皆様に、下記のように第3回拡大執筆者会議の開催をお知らせします。

                  記

1 開催の趣旨
 長野の子ども白書が、「子どもの声を聴き届けたい」と謳い、その声を集めながら、「聴き届ける」という責任を果たしていないことは創刊以来の課題でした。今号にも貴重な「声」がたくさん寄せられています。これらを共有し、どこに誰にどう届ければ良いのか、「子どもの意見表明権」の意味を問いながら話し合い、実りある2024長野の子ども白書発行に備えます。

2 会の名称 子どもの声を聴き届けたい
      ~2024長野の子ども白書拡大執筆者会議~

3 内容 「文科省・不登校調査への疑問」(村上陽一)「学校のあるあるⅡ」(西森尚己)「学校を考える対話の場が欲しい」(西山良子)その他の報告を共有し、参加者の発言で深め、誰にどのように「届けたらよいか」話し合います。

4 日程  4月21日(日) 18:00~20:00

5 会場  オンライン開催(リアル会場はありません)
      会議数日前にZoom URLをご案内いたします。

参加ご希望の方は、このブログのオーナーまでメッセージをお送りください。
お名前・メールアドレスをお知らせください。会議数日前にZoom URLをご案内いたします。







Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年04月06日09:26

昨年の子どもの自殺513人。原因は「学校問題」(学業不振・進路・友だち)最多。

昨年の子どもの自殺513人高止まり。原因「学校問題」(学業不振・進路・友だち)最多。

 本当に悲しく悔しいことです。子どもが生まれない・・・どころか、せっかく生まれた奇跡のいのちを、子どもが自分で終わりにする国・にっぽん。
日本が「幸福度調査」で高評価を得られないのは当然と言えば当然です。こんな社会はイヤだ。

 子どもの自殺・とりわけ学齢期の現役児童・生徒の自殺が多いのはなぜなんだろう…。調査して分かっただけでも、その原因や動機は「学校」に多くある。次いで多い「健康問題」は、2次的に発症した精神的病気や身体症状であり、「家庭問題」も、最近言われている、家庭の学校化が子どもの困難を容認しないことで子どもが追い込まれてしまう2次被害だと思います。
 
 不登校の子どもたちや、いじめを訴えても信じてもらえない子どもたちが必ず口にする「死にたい」は、学校と言う「社会」でその存在を否定される孤独感につながっています。「学校に行くのをやめた」子どもたちが「命びろい」したと感じるのはそのためです。
 
 私には「子どもを評価・管理する学校」が、大きな川に架かるつり橋のように思えます。ゆらゆら揺れるつり橋をドキドキしながらわたるのは楽しいものです。でもいったん大きく揺れたり誰かに揺さぶられたり川底を見て恐ろしくなってしまったりしたら、その足が止まり立っていることすらできずそこにうずくまってしまいます。それでも「ここを渡るしか向こう岸に行かれないよ」と言われて、はいつくばって渡ったり誰かに肩を貸してもらって渡ったりします。「また明日もわたれ」と言われたら「ダメ」と言える子は正直です。(みんなはできているのにじぶんはできないという自己否定感に苛まれながら)。「不登校する子は勇気がある」と言ってくれた小児科医もいます。
 がんばって渡ろうとしてもうがんばれないのにわたり続けたら・・・。

渡るのをやめてみたら、川面に浮かぶ小舟を見つけます。ちょっと回り道だけど気ままに向こう岸に行かれる野道もあるのがわかります。つり橋の先だけが向こう岸じゃないこともわかります。ちがう橋を渡った大人にもたくさん出会います。あのつり橋を渡らなかったことを「自分がダメだから」と思わすに安心します。自分がどうしてあのつり橋を渡れなかったのかその時はじめてわかります。(もうつり橋には聴いてもらえないけど) 本当の願いはこのつり橋をみんなが楽しく安心して渡れる橋になってほしいことです。
                                                                                       つり橋を渡れない子が増えているので、川岸に分校(管理者は同じ教育委員会だからね)を作って「ここにおいで」という『学校』もあるけど、子どもを管理したり評価したりすることで自分の事業評価をするような『学校』だったら、つり橋とあまり変わらないと思う。「適応力」や「我慢強さ」も評価するらしいけれど、そのことがつり橋を大揺れさせているんだってこと、気付いて欲しいな。

つり橋を渡れない子に「いつでもここに来ていいよ」と言えるのは、教育委員会の管理を離れた「あそび場・広場」が内包する「まなびの場」。
(川崎市は子どもの権利条例によってこの施設が実現している。子どもの問題を横断的にとらえる施策や事業には「条例」が必要だから)




 

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月30日08:17

国際幸福デー。日本は143か国中幸福度51位。G7では最下位。

あなたはしあわせですか?20日は国際幸福デー。日本は幸福度世界で51位。

もちろんG7のなかでは最下位。
「幸福度調査は1人当たりの国内総生産(GDP)や健康寿命、社会的支援、選択の自由度、他者への寛容さ、腐敗の認識の6項目について、自身の幸福度を0から10までの段階で国民に評価してもらい、過去3年間の平均値を基に算定している。」(ネットニュース引用)

7年連続のフィンランドやデンマークが幸福度が高い。「教育」「福祉」に税金を多く使っている「福祉国家」は国民がしあわせなのだろう。
労働者の賃金を抑え教育予算をケチり、教員も増やさず、ケア職の賃金も低く抑え、福祉や社会保障費を減らし、「子どものため」と言って国民からまた負担金を取るような政治が国民を幸福にできないのは当然です。まして政権の腐敗も根絶できず、これでは「この国は幸せ」と言える人は少ないと思います。

子どものしあわせ度はもっと低いかも・・・。子どもを大切にしない社会は大人もしあわせになれない。あたりまえだけど。

それにしても「もっといい社会に」「みんながしあわせに」とがんばっているつもりなのに、51位とは・・・。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月20日20:00

学校の先生方が見ている風景と保護者や地域が見ている風景がちがう(2)

学校の先生方が見ている風景と保護者や地域が見ている風景がちがう(2)

「学校の先生方個人や学校のやり方がいけない」と批判しているわけではないんです。
学校に行かれなくなった子どもたちがつぶやくのは、「思い出すと辛い言葉」や「今でも不安になるシーン」。考えると苦しくてそんなことで学校に行かれない自分はダメなんだと思うともう死んでしまいたいと思う。きっかけの数々。

この心の在りかは簡単には説明できない。
毎日積み重なる何かが重い。「そんなこともできないのか」「なんどいったらわかるんだ」「きまりなんだからまもりなさい」「よくできました」
「あ、いやだな」と思うのは、クラスメイトが何でもないことで褒められたり叱られたり馬鹿にされたりすること。先生は冗談ぽく「まるで動物園だね」いうから笑った方がいいんだろうか。でもイヤだから何でもない顔をする。疲れる。自分が言われても周りの友達は自分と同じように知らん顔だから、自分も平気な顔をしてへらへらしている。すごく疲れる。「つまらない」と言ったらとがめられたので学校に行かれなくなった。疲れてる。休んでいても思い出す。
こういう話を学校の先生にすると「感覚が過敏な子や繊細な子は時々います。先生はきっと子どもたちのために言ってると思うので、それが理由で学校に来られないのでは無いと思いますよ」とていねいに説明される。「それは大変なことですね」という反応をする先生はほとんどいない。
民主的で子どもの立場になって熱心に教えてくれる先生方ほど、不登校の子どもたちの「つぶやき」を安易に受け入れない。学校のあるあるをひとつひとつ「どちらが正しいか」白黒つけようとする。先生方にも言い分はある。もちろん、言わないけど言いたいことは山ほどあるはず。

不登校も、教員の多忙や疲弊も、同じ根っこから生えてる木なのだとういことがせっかく見えてきたのに・・・。伝統的な学校のシステムも評価や管理に統制された学校のあり方も、そもそも子どもが権利の主体だという教育の目的の不在も、みんな考え直さなくてはいけないということを、辛くも逃亡した「不登校」の子どもたちが教えてくれている。文科省に大鉈をふるうのは難しいけれど、地元で地域でわれらが学校を考えていくことは明日からでもできるではないか。憲法に保障された義務教育を受ける権利は子どもにあり、その権利の主体は「子ども」です。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月19日21:18

学校と地域の間に流れる大きな川のそれぞれの岸から見える風景がちがう

学校と地域の間に流れる大きな川のそれぞれの岸から見える風景がちがう

不登校の居場所から発信された「学校あるある」や、フリースクール関係者が行った「不登校アンケート」の結果から、不登校の「要因」として文科省が発表している「不安」のきっかけが「学校や教師との関係」にあるのではないか・・・と言われるようになってきました。
実際、不登校になったきっかけや引き金のいくつもある「要因」を複数で選択してもらうと、半数近い当事者が「教師との関係」を選択しています。いったい、どんなこと・・・?という疑問に答えるのが「学校のあるある」語録集です。また、先のアンケートの記述式の解答にも、ほとんどがこのことに触れているのは、「対応」も含めて、当事者にとっての学校や教師の意識がかなり遠い距離にあることがうかがえます。 
                                                                                        文科省も学校も教師も「学校生活の環境に適応できない敏感な子どもが増えている。ちょっとしたことで不安になったりがまんできなくなって登校できなくなる」(個人の要因)・・・・と認識しています。だから、もっと適応力を高めがまん強い子を育てようとがんばっています。かたや、学校に来られなくなったら無理をさせず、学校外の居場所を選択してもらうことで「不安」の症状を回避させる。適度な距離間でつながりつつ登校刺激はしない。

学校批判をしているのではありません。「良かれと思ってしている指導や教え方に、何かしら気付かないうちに子どものNGを見過ごしているかもしれない・・・」と伝えています。実際に変えていかれるとしたら現場の教師が直接の当事者なので、どのように理解しているのか聞いてみると、案外その間に流れる川幅が広いことに気づかされます。





Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年03月11日08:41

非認知能力(主体性や協調性)を育むことに重きを置く指針への疑問・警戒・批判

非認知能力(主体性や協調性)を育むことに重きを置く指針への疑問・警戒・批判

信濃毎日新聞に、長野市教委が決めた「しなのきプランⅡ(案)を決めたことが報じられました。
記事によれば、知識や技能の定着重視の考え方からの脱却を目指す‥‥とあります。信大教育学部と非認知能力を測定する調査「しなのきFinder」を独自に開発。小4~中3の児童生徒に年2回の質問に答えさせる。「何事にも一生懸命努力する」「他人の気持ちを考えている」と言う質問。結果を「みらい」「きずな」「じりつ」の観点で可視化し、子ども自身や学校が状態を把握。指導・支援の改善につなげる…のだそうです。

■正直言って、「ゾッとする」。

■これ以上子どもの内心に踏み込んで「評価」し、子どもに「適応を強いる」のか?

■「あなたは粘り強さが足りない。もっと自信をもってがんばりなさい」(みらい)

■「あなたは協調性に欠けている。もっとコミュニケーション力を高めないと」(きずな)

■「あなたは規範意識が乏しい。適応力を高めなさい」(自立)

わあ、いやだいやだ。こんなことして子どもがどうなるのか。これ以上不登校の子を苦しめるのか。考えて見ないのでしょうか?信州大学の教育学部の研究論文を探っても、本気で「不登校」や「生きづらさ」に子どもの視点で踏み込んだものが見当たらない。学校批判を「よくあること」と言ってしまう研究者すらいる。どなたか子どもの立場に立った研究者がいたらぜひ発言して欲しい。

■このプランは考え直してもらいたい。どうせやるなら学校にある子どもの「不安」や「苦しさ」「いたたまれなさ」をしっかり調査し、それに対応する学校(教師)の側の非認知能力を測って、指導や支援の参考にして欲しい。教師が子どもに対してさすがに口では言えないことを、あたかも客観的事実であるかのようにはじき出す、AIの悪用だと思います。

Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月23日08:34

なんでも同じになるように決まってしまっているなんて息苦しいしもったいない

なんでも同じになるように決まってしまっているなんて息苦しいしもったいない

長野市内で「回る周るハウス」という無料リサイクル広場を開催しています。子育て家庭には「おさがりや再利用」も有効だと感じて使い終わった学用品や子ども用品を集め無料で必要な人に提供しています。ランドセル・制服・辞書・・・なんでもあります。みんな高校生になればもう使わないから、きれいなら誰かに使ってもらう方がいいです。でも、近年とても気になるのは「学校用品の指定」「注文の方法」「同じじゃないとダメ」というこまかい制約があることです。運動着・上履き・学習帳・給食着・鉛筆の濃さ。これらはきっちり決まっているらしい。似たようなものがあっても使えません。絵具箱・裁縫箱・習字用具・色鉛筆・算数セット・鍵盤ハーモニカ・縦笛などは、その都度注文用紙が配られます。家に同じようなものがあっても、「回る周るハウスにはある」ものでも、子どもは「みんなと同じじゃないとイヤ」「注文用紙の品とちがう」と言います。「手作りで」と寸法まで指定した説明書付きで注文される図書袋やレッスンバッグも材料を買えば高価です。目的にかなえば何でも良いのではないかと思います。肩掛けは今やいらないし、アマゾンの本のあき袋でも十分です。要するに図書館で借りた本が傷まなければ良いだけです。子どもの感性や好みも保護者の価値観も多様です。なんでも「同じ」をやめれば、子どもの選択の幅は広がるし、何よりモノは大切に長く使えます。「自由にすると経済格差がみえてしまう」と言う人がいますが、格差は無い方がいいけれど、家計にあった工夫をすることは決して問題ではありません。多様な暮らしがあることを認め合い学びあうことは大事な学校での「人権教育」です。お金がない人に同じものを買うように強要するほうがよほど「差別」だと思います。どうしても同じにしたいなら、はじめから学校で揃えればよいでは無いですか。完全無償。これなら文句は言いません。

ある社会福祉法人が休眠預金を元手に、コロナと物価高で困窮する家庭を支援しようと「やさしさめぐるプロジェクト」を展開しました。(6月から2月)食料品と生活物資の宅配は好評で、またたくまに評判になり対応が間に合わないくらいでした。このプロジェクトが子どもたちのために「運動用具の支援」を行いました。部活用品が高くて買えない、部活に入れない、運動するための道具や靴が買えない・・・という子どもたちに「応援チケット」を発行しました。最終月の2月はスポーツ用品店や靴店から在庫品を提供してもらってのリサイクルフェアを開催しました。
高価なスパイクシューズが何足もありましたから、すぐ無くなると思っていたら、あまり出て行きません。「チームで色や形が決まっているから、それじゃないと履けない」のだそうで・・・。体育館シューズ(上履き)も学校指定なので、やはりちがうものは履けない。運動用具店の在庫の中には、某中学校の指定ジャージがたくさんありました。最近モデルチェンジしたので古いデザインの品はもう売れない…のだそうです。こちらはさすがに良品なので「家で着られる」と持って行く人がたくさんいます。学校は「決まったもの」しか使えない。もったいないなあ・・・。転校して一そろい買い換えた・・・という話も聞きます。

じわじわと押し寄せる「同調」「同質」の圧力は、持ち物ひとつにも、その扱いやふるまい方にまで及んでいるように感じます。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月14日20:42

「信州学び円卓会議」が挙げている6つの課題に「ないもの」・・・は?

「信州学び円卓会議」が挙げている6つの課題に「ないもの」・・・は?

2日付信毎に掲載された、「信州学び円卓会議」の記事によれば、昨年9月から今年1月にかけて、県内各地で県民との意見交換会を計6回開催し、子どもが自分の好きなことを突き詰められる柔軟な教育課程の運用、教員の自由度を保障するための業務削減や主体性の尊重ーと言った意見が寄せられ、これを踏まえて課題を六つにまとめた」とのこと。(記事引用)

円卓会議で挙がった六つの課題(信毎記事より)
・子どもがやりたいことを実現できる学校づくり
・教員がチャレンジしたいことを実現できる学校づくり
・入試制度の見直し
・学校や地域、フリースクール、行政など、さまざまな機関の連携・協働
・小規模校ならではの学びの実現
・学びの場を信州全体で支えるために必要な取り組み

■この円卓会議には、不登校の居場所関係者や親の会の関係者も参加して発言を求められていますが、「子どもにとって安心できる学びの場としての学校を」という切実な意見は、「ほとんどスルーされてる」と、感じます。円卓と言いながらその立場や権威がそのままで、もともと声が届きにくい関係をこそ見直して欲しいのに・・・。

■この6つの課題に無いものがあります。それは
・子どもの権利が守られ、安心安全な学校づくりです。

■大人がどんな崇高な目標でゴールを目指しても、子どもが同調や適応を迫られてやがて排除されるような「新しい学校」は誰のための学校ですか?「個別最適な」って、言葉はステキだけれど、モデルにしている外国の学校がいったいどんな規模でどんな理念でそれを実現しているのか見習った方が良い。学級定数は15人。教師は今の4倍。校舎は現在のままでは到底無理でしょう。たとえ小規模でも、それ保障されなければ「教師のチャレンジ」なんてできるわけがない。予算もない。

■要らない物を無くす方が早いです。「競争」「評価」「管理」「同質化」

■教育委員会がやるべきは形やスタイルを変えるより、「子どもが学びと権利の主体である」という理念の転換を図り、教師と児童生徒との関係を人権に於いて対等平等であることをまず確認することから。

■「こども基本法」は行政上の権限を教育の分野からはずしているけれど、「子どもの権利」の啓発・実践・教育は、学校教育に委ねられています。
さほどお金もかからず仕事も増えないから、まずここから始めて欲しいです。円卓会議殿。意識改革っていうんでしょうか?信州教育は旧いままです。







Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年02月05日21:02

「運動用具・靴の回る周るフェア」開催!!2月毎日曜日10:00~13:00

「運動用具・靴の回る周るフェア」開催!!2月毎日曜日10:00~13:00回る周るハウス

 社会福祉法人 信濃福祉会が事業団体として休眠預金の助成を受け、6月から長野地区で展開した「やさしさめぐるプロジェクト」は、2月で終了します。最終月2月には「運動用具・靴の回る周るフェア」開催です。                                                                                     

毎週スーパーに買い物に行く人なら、かつて98円だった品物が軒並み150円とか170円になっていることに気づいたり困惑したりしていると思います。物価は1.5倍になっている実感です。カップラーメン・小松菜・レトルトカレー・おやき・調理パン・レンジごはん・・・。いざと言う時はこれらの安売りがあれば一日生き延びることだってできる・・・品々。さすがに最低賃金は上がったけれど、「できる仕事があれば」の話です、生活保護費は削られることはあっても上がる気配なし。障害年金も同じく。もちろん高齢者の年金も同じ。差し引かれる「介護保険料」はあがっても年金は上がらない。医療費負担もまた上がる。(冷静になると社会保障費の減額は物価高騰とダブルパンチで国民は苦しい!!政党の裏金回してくれ!)

さて、こんな時節に眠っている預金財源を活用して、「やさしさめぐるプロジェクト」は展開しました。食品と生活用品の宅配は希望者が殺到し、なかなか申し込みにつながらない事態も・・・。同時に行った「経済的理由で運動やスポーツができない子どもたちへの支援」にも、多くの応募があって、12月で予算額に達し受付を終了しました。このプロジェクトは、フードバンクや企業・団体からの寄贈も柱に「モノを回す」「財源を回す」ことで血が通うように「やさしさがめぐる」ことを願ってスタートしました。運動用具の支援窓口では、すでに部活やクラブチームで運動している子どもでも、サイズが合わなくなって「新しいのが欲しい」という子や「部活で注文した用具の代金が払えない」という保護者からの声が聴こえます。「弟がチームに入りたいけど靴が無い」という兄弟からの申込みも。運動やスポーツ、部活動が「ぜいたく」になっているようです。

2月4日を皮切りに、回る周るハウス3階では、寄贈された運動用具や靴を提供します。無料です。
ついでに2階の常設「回る周るハウス」へもご来場ください。新しい価値観が「回る」かもしれません。




Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月31日10:23

「ふつう」が見直される時代。子どもの権利の保障と言う理念が変えていく「ふつう」

「ふつう」が見直される時代へ。子どもの権利の保障と言う理念が変えていく「ふつう」

1月24日の朝日新聞に、子どもの「一時保護所」の「決まりの見直し」の記事がありました。虐待などのため緊急で保護された子どもたちが、心身に傷を抱えながら、家族と離れて接する支援の場所が「一時保護所」です。民間の調査機関が2022ねんに調査した「一時保護所を退所した子どもへの調査」では、「スマホが使えなかった」「友達と会ったり連絡できなかった」「学校に通学できなかった」ことなどが「いやだったこと」として多く挙げられていました。(記事による)

 子どもの安全や管理のリスクを減らすために、どうしても厳格で細かいルールを作る必要があったようです。ただ、「子どもの権利」が重要視されるようになり、行き過ぎたきまりや管理には異論がでていたのでしょう。身近にも、「一時保護を勧められたが、きまりが受け入れられなくて断った」という体験者に話しを聴いたことがあります。また、退所経験のある人からは、これらのきまりだけでなく、様々な意味で権利が守られていなかったという話も聞きました。それらは「ふつう」として通用してきましたが、これからは変えていかれるでしょうか。

 すでに児童福祉法の改定で「子どもの権利」が明記されてから10年、昨年の「こども基本法」にも子どもの権利が明記され、さまざまなところから「ふつう」は見直されています。文科省の「生徒指導提要」の改定も同じです。
子どもの問題については「権利の主体は子ども」であり、大人にとって何が良いか、何がふつうか・・・という考え方からの脱却が始まっています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月26日08:05

本日、長野市内でがらくた座木島知草さんの公演があります。第1回執筆者会議。

本日、長野市内でがらくた座木島知草さんの公演があります。第1回執筆者会議。

がらくた座の木島知草さんの公演が長野市県町高校会館で10:30~あります。申しこんでない方もまだ間に合います!!
(090-3806-9332)

信毎の連載「ふつうって何ですか?」が新聞労連のジャーナリズム大賞・優秀賞に選ばれたと、今朝の朝刊にありました。子ども白書も注目していた熱のこもった連載でした。おめでとうございます。
「発達障害」の当事者や家族に取材し、その「生きずらさ」を知らせてくれました。そこにある「ふつう」「ふつうではない」という概念は、支援したり管理したりする場にまで持ち込まれ、やすやすと排除や時には矯正・強制・暴力にも及んでいることが暴露されました。だとしたら「ふつうって何ですか?」という問いは迷路に入りました。

子どもに関わる教育・支援・養育も場でもこの「ふつう」が「当然」になりはっきりと言語化されてしまうと、子どもは個人の存在や権利すら奪われかねません。2023長野の子ども白書「学校のあるある」は、そのことを語る不登校の子どもたちの声を発信しました。

さらにこのテーマにもっと深く広く取材を続けて欲しいなと期待しています。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月20日07:50

「県の子ども医療費助成・来年度以降中学3年までにひきあげの方針」!

「県の子ども医療費助成・来年度以降中学3年までにひきあげの方針」!

 今朝の信毎トップ記事でした。大きな事です。実際はそれぞれの自治体が独自に負担することで、県下75自治体で18歳までが無料です。独自の支援が遅れていた長野市、中野市、茅野市も、拡大の方向を示しました。今回県が助成対象を増やすことで、それぞれの自治体がそれまで負担していた予算を他の子育て支援に向けられます。
 「子ども医療費無料化」の運動は「福祉医療制度の改善をすすめる会」が地方議会とともに長きにわたって取り組んできた成果でもあります。その経緯は長野の子ども白書に報告されていますが、今後、窓口負担の無い完全無料化に向けて取り組みを進め、国の制度として「子ども・障がい者の医療費無料制度」を創設するよう運動を進めます。
 県の「子どもの貧困」対策事業の中でも、長野県が辛くも「成果」として評価しているのは「医療費無料化」の実現です。(運動に押されて実施したのだけれど)何に税金を振り向ければ子育て家庭や子どもにとって生きた使い道になるのか、声を聴く政治に期待したいです。

 政治に期待・・・といえば、今ある制度を改善してより良いものにしていく運動が無いと、なかなか声が届きません。これらを政策に掲げている政党もありますが、議会で多数を得なければなりません。選挙がモノをいう。声を聴かない政治に無力感が湧く。
 孫に勧められて「ハンナ・アレント」(講談社現代新書)を読んでみました。二度と繰り返してはいけない「全体主義」の悲劇。それはまず国民の「あきらめ」や「無力感」を土壌にして拡大する・・・という言葉に・・・まさに「今」だなと思います。

 子ども医療費無料化の運動も、こつこつと集めた署名用紙を地方議会に届け、発言した議員がいたから、その後ろに声を上げるあきらめない人たちがいたから実現に向けて進んできました。2012年、子ども白書創刊の頃でさえ、社会福祉の支援者の中には「当事者には医療費くらい自分で払えるように自立してもらうのが目標です。安易な無料化は甘やかしになると思うから反対です」という意見さえありました。数年たって実際の子育て家庭がどのような状況なのかを知ると、だんだん考えを変えて署名してくれました。テレビでは映画「生きる」をやっていました。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月16日09:59

人形劇団がらくた座の「木島知草さんの公演」があります。

おそまきながら 新年のご挨拶を申し上げます。

元旦の大きな揺れは私たちも感じましたが、北陸では大きな被害が出ました。悲しい出来事で年が明けました。
被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。
まだ救援や支援が届かないところもあると聞けば、本当に苦しいです。早く、なんとか、ともどかしい思いです。自分に何ができるだろうと焦ります。

19号台風の時に活躍した団体が、いちはやく重機を動かして駆け付けたと聞きました。被災の経験が生かされると良いです。「自分も力になりたい」と思う小さな力を活かす「場」の設定が急がれると思います。寄付もボランティアも・・・!

長野の子ども白書は2024長野の子ども白書発行に向けて始動しました。
1月20日(土)に第1回執筆者会議を開催します。

これに併せて、当日 人形劇団がらくた座の「木島知草さんの公演」があります。
木島さんは18歳の時から人形芝居をはじめ、性・人権・命・平和を訴え続けています。日本中にファンが多く北から南まで毎日のように駆け回っています。「もう今となったら、遺言だね」と笑います。いくつもの表現手段を駆使してひとりで演じる2時間をぜひご堪能ください。

「ちいばあの命のお話」~性・人権・命のつながり~
人形劇・紙芝居・語りによる参加型の公演(2時間・途中休憩あり)

1月20日(土)10:30~12:30
会場:長野県高校教育会館(ナビでは長野県教育文化厚生協会Rinks593)
参加費500円
18歳以上限定

お問い合わせ:090-3806-9332
お申込み:naganonokodomo@gmail.com



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2024年01月06日09:58

東京都内の食糧配布に700人の列。長野のきずな村も143人で過去最多。

東京都内の食糧配布に700人の列。長野のきずな村も143人で過去最多。

今朝の信毎に東京都内で食糧支援をする団体(もやいなど)の30日に行われた食糧配布の記事がありました。リーマンショック(2008年)後に行われた「年越し派遣村」を思い出します。大量の派遣切りで路頭に迷う派遣労働者が、宿も金も食べ物もなくこの「派遣村」の列に並びました。それ以後東京はもちろん各地で行われている食糧支援の事業は続き、長野でも2011年以来毎年開かれています。
 あれから、景気は回復したのか、派遣労働者はどうなったのか・・・?貧困は解消したのか?
 今や日本の労働人口のうち、正規採用は5割強。非正規採用が4割以上・・・とも言われています。最近話題になっている公務員の「会計年度職員」も実は非正規で、その給料水準はとても自活できる金額では無いとも・・・。

■「もやい」の大西蓮理事長は、「2014年の活動開始以降、配布の列が700人を超えたのは今年が初めて。低所得の人がたくさんいるのが『当たり前の風景』になっていると危機感を示した」(記事引用)

■長野の反貧困ネットワークによる「きずな村」(冬)には143人がおとずれ、昨年冬(127人)・今年の夏(136人)を超えて、活動開始2011年以来、過去最高の来場者数でした。「家には家族がいる」という方には2個渡すこともあり、準備した支援物資250個はすべて無くなりました。「子どもの貧困対策」「コロナ禍支援」などで、フードパントリーも多くの機会に行われている中、それでもこうして寒い中並ぶ人の中には女性や親子連れが増えているのも新しい状況です。

■生活困窮者の中には、病気や障害で働けないために公的扶助や社会保障制度につながっている方も多く、いかに公的再配分のレベルが実態に見合っていないかを見せつけられます。異常な物価高騰はこの再配分にまったく反映されていないので、やりようがありません。わずかに上がった最低賃金も非正規労働者にすぐさま跳ね返るほどの額ではありません。

■岸田政権がこうしたことを理解したのか攻撃を怖れたのか、「生活困窮者への一時金支給」が決まりました。こうした「お上からの賜りもの」は、生活保護でも「貯金」が許されるとのことで、財布に「15円しかない」と言いながら、以前に支給された「10万円」をまだ貯金している人もいます。「この先なにがおこるかわからないから」。そしてまた食糧支援の列に並びます。

■「子どもの貧困」は、日本の「貧困問題」そのものです。大西さんが理事長を務めるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」も反貧困ネットワークも、働くこと・自力で収入を得ること・公的制度利用することで、生活の自立を支援する団体です。自立のためには支援が必要だからです。家を離れた学生も生活困窮しています。保護制度を利用する人も孤立しがちです。

■「低所得の人がたくさんいるのが当たり前の風景」って、国政の「貧困」そのものですよね。ソーシャルアクションを!!









Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月31日08:35

子ども自殺対策データの集約・子ども家庭庁が省庁横断のデータ分析に着手

子ども自殺対策データの集約・子ども家庭庁が省庁横断のデータ分析に着手

本日の朝日新聞記事によれば、子どもの自殺が増え続ける現状を打開しようと、政府が省庁横断のデータ分析に乗り出す。これまで複数の省庁に散らばる形で管理され、一部は自殺予防に十分活用されずに来た資料をこども家庭庁に集約し、個々のケースを検討しながら自殺に至る要因を多角的に調べ、科学的根拠に基づく予防策の提言につなげる構想・・・とのことです。

「文科省のガイドラインでは、自殺の発生直後、基本的に学校が事実関係の整理のために「基本調査」を行う。この結果を踏まえて、公立では学校設置者である自治体の教育委員会が詳細調査に進むかどうかを判断する。」(記事引用)

■この詳細調査を実施したのは2022年度に全国の小中学校で把握できた子どもの自殺者411人のうち、19人(4.6%)だけであった・・・とあります。本当ですか?文科省に依れば、「詳細調査に移行しない理由」として「全容解明ができ、学校に起因しないと確認されたため」という学校側の説明。学校側が遺族に詳細調査の仕組みなどの説明をした事例は59.4%とも書かれています。

■「学校側の判断」・・・「不登校調査」とよく似た背景が透けて見えます。そもそも、子どもの突然死・急死を、「自死」と認めたがらない学校関係者の言動を当事者から聴いたことがあります。「在校生・同級生が動揺するので病気と言うことで発表したい」と、駆け付けた校長が遺族に告げた例。明らかに自殺なのに「本人の名誉のために公表しないで」と親族が助言した例。「自殺は忌まわしく悪いことだ」「原因を解明するのは大変で誰かが責任を負う」という価値観から、特に学校では「無かったことにしたい」ので、「忘れる」ことに専念する。卒業式に名前が無いのも卒業アルバムが届かないのも良く聞く話です。

■特に長野県の場合、未成年の自殺は学齢児(主に高校生)で、長期の引きこもりや不登校では無く「学校から突然姿を消す」。学校の個人や特定の環境ばかりでなく「学校教育」という場の「なにか」が積み重なって「原因」となる・・・・。この原因解明に着手しなければ。何度も自死を試みた中高校生の声に耳を傾ける気持ちすらない。「学校のあるある」がいつ引き金になるかわからないのに。

■「相談すれば予防できる」以前の話です。早くやりましょう。「こども家庭庁」が、省庁横断を謳いながら実際の行政上の仕組みは「文科省とは別」なのが難関です。文科省は今や学校教育の水準を守る組織であって、子どもの命を守ったりはしないと思います。



Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月27日10:27

殺傷兵器の輸出を可能にする「防衛装備移転三原則」運用指針の改定

殺傷兵器の輸出を可能にする「防衛装備移転三原則」運用指針の改定

裏金問題で揺れている自民党だが、その目指すところはきっちり推し進めるところが怖い。
戦後日本の平和主義を根幹から変えてしまうような「人殺しの武器を他国に輸出する」国になろうとしています。
世論調査では殺傷兵器の輸出に6割が反対している・・・と報じられていますが、支持率最低の政権はどんな悪事が露呈しても知らん顔だ。
これほど「国民の声を聴かない政権」は、かの阿部政権をも上回る強引さで押し通してその名を歴史に刻みます。

次世代に知らせたい。
過去の日本の過ちをまた繰り返そうとしているのは、かの戦争を引き起こした侵略主義者の子孫なのだということ。
他国への謝罪も反省もなく・・・また。


Posted by 長野の子ども白書編集委員会. at 2023年12月24日07:10